Mozart con grazia > 年代記 > 1789年
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1789年

33歳

1月

自作目録に を記入しているが、楽譜は不明。

25日、ドレスデンでオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の管楽編曲版が演奏され、聴衆に強い印象を与えた。

31日、マインツの国民劇場で「偽りの女庭師」(ドイツ語版)が上演されたが、失敗。 聴衆には難しく技巧的で、「普通の愛好家の理解力を越えている」と受取られた。

1789年2月






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2月

この頃 を作曲。

21日(ウィーン)、宮廷での舞踏会のためにトルコ風の舞曲を作るように注文を受け

を作った。 ただし、弦の方は1788年に作られ、1789年に管楽器を加えて完成させたと推定されている。

3月

6日、エステルハージー伯爵邸で をモーツァルトの指揮により初演。 これはスヴィーテンの依頼により編曲したもの。

13日、マインツで「ドン・ジョヴァンニ」の改作版が上演されたが、失敗。 大規模な音楽は華美で、騒音のようだったという。 「モーツァルトの音楽は難しい」という先入観が定着していた。

1789年4月


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4月

2日、最高法廷書記ホーフデーメル宛てに100フローリンの借金を4ヶ月後に返すという約束手形を書いた。 彼の妻マリア・マグダレーナはモーツァルトの弟子だった。

8日、ホーフデーメルに借りた資金で、リヒノフスキー侯爵(1756〜1814)と一緒に、プラハ、ドレスデン、ライプツィヒ、ポツダムへ旅立つ。

10日、プラハ着。

12日、ドレスデン着。 ドゥーシェク夫人ヨゼファと再会し、翌13日コンサートを開いた。

14日、選帝侯フリードリヒ・ザクセン3世邸でピアノ協奏曲「戴冠式」を演奏。 クラヴィーア、フォルテピアノ、そしてオルガンの演奏について、「腕前は筆舌に尽くし難い。 初見演奏の能力は並外れていて、神業だ」と絶賛された。

16日、ドレスデンから妻へ手紙。 それには「健康に留意し、特に春の風に気を付けること。一人で出歩かないこと。行動や身なりをきちんとするように」などの願いが書かれている。

ドレスデンで、モーツァルトはドーラ・シュトックに肖像画(横顔)を描いてもらった。

18日、ドレスデンを出発。

20日、ライプツィヒ着。

22日、ライプツィヒの聖トーマス教会でオルガンを演奏。 ライプツィヒの楽長ドーレスは「大バッハの再来」と感激したという。

22日?、ロホリッツの記録によれば、ドーレス宅で食事したとき、夫人の求めに応じて

をその場で作ったというが、紛失。

23日、ライプツィヒ発。

25日、ポツダム着。

29日(ポツダム)、デュポールのメヌエットを主題に

を作曲。 デュポールはモーツァルトより15歳年長のフランスの作曲家で、ベルリンの宮廷で客員として幅をきかせていた。 それで国王ウィルヘルム2世のご機嫌を取るために彼のソナタをテーマにして変奏曲を作ることにした。

30日、フランクフルト・アム・マインで「偽りの女庭師」(イタリア語)が上演されたが、失敗。 またもや「聴衆には理解しにくく、能力ある識者向きである」と受取られた。

30日、新大陸のアメリカで、ワシントンが初代大統領に就任。

5月

3〜4日、フランクフルト・アム・マインで「ドン・ジョヴァンニ」が上演されたが、「坊主の茶番劇」であり、「この作品はやがて忘れられるだろう」と評された。ただし、墓地の場面だけは特別な印象を与えたといわれる。

8日、ウィルヘルム2世に謁見できなかったため、再びライプツィヒに戻った。

12日、ライプツィヒのゲヴァントハウスで演奏会を開く。 ドゥーシェク夫人が共演。 そこで演奏されたものは

である。

16日(ライプツィヒ)、大バッハゆかりの聖トーマス教会オルガニストのエンゲルの求めに応え

を作曲。 その教会でオルガンをモーツァルトが弾いたとき「バッハの再来」と讃えられたという。

17日、リヒノフスキー侯爵と別れてひとりベルリンに向けて出発。

19日、ベルリン到着。
宮廷で演奏。 チェロを得意としていたウィルヘルム2世から弦楽四重奏曲を6曲と、ピアノ・ソナタを6曲依頼された。 そのうち、前者は3曲(いわゆる「プロシャ王」と呼ばれているもの)と、後者はK.576とだけが作曲される。

23日ベルリンで、モーツァルトも出席した演奏会で11才のフンメルがピアノ変奏曲K.264を弾いた。

6月

4日、(ドレスデン、プラハを経て)ウィーンに帰る。 モーツァルトに対する一般的な評価は「ピアノの演奏については秀でているが、彼の作品は難しく、オペラも音楽の通でなければ分からない代物」というもので、人気を得るどころか逆にだんだん忘れ去られる存在となっていった。

帰郷後、プロシャ王ウィルヘルム2世のために

を作曲。 ミラノ四重奏曲に共通するような明るさがある。 アマチュアのチェロ奏者であった皇帝のために単純明快な旋律にしたのだろうといわれている。

1789年7月


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7月

ウィーンへ帰郷の途中、ライプツィヒの聖トーマス教会に立ち寄ったとき、J.S.バッハの芸術に記憶を新たにしたためか、プロシャ王女フリデリーケに「やさしいピアノ曲」を6つ頼まれていたが、帰郷後に作った は彼のピアノ・ソナタ中もっとも演奏が難しい作品となってしまった。 ただし、このいきさつについて、新全集は否定している。

コンスタンツェが病気療養に入り、経済状態がさらに悪化した。

7月12日、プフベルクに借金の申込み(500フローリン)をし、150フローリンもらった。

14日、フランス革命。バスティーユにパリ市民が押し寄せ、フランス全土で農民の反乱が起きた。 陸軍は解散。 新しい憲法はモーツァルトの死の年(91年9月3日)に公布される。
フランス革命は隣のベルギーにも飛び火して、8月には革命軍がリエージュ市庁を占拠した。オーストリアは革命に干渉する。

17日、プフベルクに借金の申込みをし、150フローリン送ってもらった。 そしてさらに7月後半、借金の申込みをしている。

アドリアーナ・ガブリエリ(フェラレーゼ・デル・ベーネ夫人)に

を作曲。「フィガロ」追加曲。

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8月

チマローザのオペラ「二人の男爵」の挿入曲として、ルイーズ・ヴィレヌーヴ嬢のための と、「フィガロ」追加曲として、アドリアーナ・ガブリエリのための を作曲。

26日、フランスで人権宣言と「自由・平等・博愛」の布告がなされた。

29日、ウイーンのブルク劇場で「フィガロの結婚」が上演された。 スザンナ役のデル・ベーネ夫人のために新しく2曲が追加されている。 この上演がきっかけとなり、10月にヨーゼフ2世からオペラの作曲を依頼され、それが「コシ・ファン・トゥッテ」となる。

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9月

17日、パイジェルロの「セヴィラの理髪師」第2幕追加曲として、義姉のソプラノ歌手ヨゼファ・ホーファーのために を作曲するが、未完。

29日、親友のシュタドラーのバセット・クラリネットを想定して

を作曲。 モーツァルト自身が「シュタドラー五重奏曲」と呼んだ。 初演は12月22日ブルク劇場で。

10月

10日、ルイーズ・ヴィレヌーヴ嬢のために2曲のアリア を作曲。 ダ・ポンテ詞になるもので、ソレールのオペラで、ヴィレヌーヴ嬢が歌うためのもの。

31日、モーツァルト宅を訪れた医学博士アントン・シュミット(ヴァイオリン奏者でもあった)は「ラウドンにおいてはパラスが、モーツァルトにおいてはアポロが支配し、両天才はその才能により後世まで名を残すだろう」と記念帳に記した。

11月

16日、次女アンナ(第5子)誕生し、死亡。

12月

この頃、プフベルクに借金の申込み(400フローリン)をし、300フローリン送ってもらった。

フランチェスコ・ベヌッチのために

を作曲。 これは「コシ・ファン・トゥッテ」第2幕グリエルモのアリアとして作ったが、長すぎるので書き換えたもの。

22日、音楽芸術家協会が未亡人と遺児のために開いた大演奏会でモーツァルトのクラリネット五重奏曲K.581がシュタドラーにより演奏された。

宮廷のために

を作曲。 このK.587は、コーブルク・ザールフェルト元帥が9月22日ルーマニアでオーストリアとロシアの連合軍を率いてトルコ軍を打ち破った賛歌として、その進軍歌のメロディーを取り入れたという。


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2000/08/27
Mozart con grazia