Mozart con grazia > アリア >
17
age
61
5
62
6
63
7
64
8
65
9
66
10
67
11
68
12
69
13
70
14
71
15
72
16
73
17
74
18
75
19
76
20
77
21
78
22
79
23
80
24
81
25
82
26
83
27
84
28
85
29
86
30
87
31
88
32
89
33

90
34
91
35
92

アリア「大いなる魂と高貴な心」 変ロ長調 K.578

Aria for soprano "Alma grande e nobil core"

〔編成〕 S, 2 ob, 2 fg, 2 hr, 2 vn, 2 va, vc, bs
〔作曲〕 1789年8月 ウィーン

1789年8月





12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31





1789年9月

123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930



上記の日付けで自作目録に記載されたが、自筆譜は散逸。 ジュゼッペ・パロンバ(Giuseppe Palomba)の詞にチマローザが曲をつけたオペラ・ブッファ『ロッカ・アッズッラ(青砦)の二人の男爵 I due baroni di Rocca Azzurra』の挿入歌として、ルイーズ・ヴィルヌーヴ嬢のために作曲された。 そのオペラは9月6日と13日の両日曜日にウィーン・ブルク劇場で初演されたが、公演はその2回だけだったので、評判は良くなかったのだろう。

ルイーズ・ヴィルヌーヴ(19歳)はこの年の6月にウィーンでデビューしたばかりの若いソプラノ歌手だったが、「魅惑的な歌いぶりと趣味のよいコロラトゥーラの円熟した技倆」(アインシュタイン)をそなえ、「皇帝ヨーゼフ2世はこの美しい歌手をたいそうお気に入りだったのではないかと思われる」(ブレッチャッハー)というので、その当時のアイドル歌手だったのかもしれない。 よく知られているように、彼女はモーツァルトがこの年から翌年にかけて作曲した『コシ・ファン・トゥッテ』(K.588)の初演(1790年1月26日ブルク劇場)で妹ドラベラ役を歌った。

ジュゼッペ・パロンバはナポリの著名な劇作家アントニオ・パロンバ(Antonio Palomba, 1705-1769)の甥で、叔父アントニオに及ばないものの、当時は作家として高い評価を得ていたという。 1765年から1825年の間ナポリで活躍していた。 それは彼の作品が書かれた期間であり、その前とその後のこと、すなわち生年と没年はわからない。 『ロッカ・アッズッラ(青砦)の二人の男爵』は1783年ローマでチマローザの作曲により初演され、1789年9月にはウィーンで初演された。 そのときモーツァルトが若いヴィルヌーヴ嬢のためにこの「若い貴婦人の憤怒の息吹を持った、魅力的なアリア」(アインシュタイン)を書いたのである。

物語は、トタロ男爵には、美しい婚約者ドンナ・ラウラがいるが、彼はまだ彼女と会ったことがない。 そこへ付け込んだのがフランケットで、彼はかねてから好きであったラウラを横取りしようと、彼女からの使いと偽り、妹のサンドリーナの肖像画を届ける。 男爵がすっかりこれを信じてしまうことから、ブッファにおさだまりの取り違えやドタバタの人生模様が展開される。
[事典] p.182
そのような劇の第1幕第8場で、誇り高いラウラのアリア「おおいなる魂と高貴な心は」が歌われる。
とりかえばや物語風の底抜け喜劇が展開する中で、トタロ男爵の許嫁ラウラが気品高く、また決然と歌うアリアではある。 変ロ長調、アレグロに始まり、アレグロ・アッサイとテンポを上げて歌い切る。
[海老沢] p.221

〔歌詞〕
Alma grande e nobil core
Le tue pari ognor disprezza.
Sono dama al fasto awezza
E so farmi rispettar.
Va, favella, a quell'ingrato,
Gli dirai che fida io sono.
Ma non merita perdono,
Si mi voglio vendicar.
大いなる魂と高貴な心は
つねにあなたのような人を軽蔑するでしょう。
私は栄光に慣れた貴婦人
尊敬を受けるにふさわしくふるまうすべを知っています。
行って、あの恩知らずの男に告げるがよい、
私はあの男に忠実であると。
しかし、私が復讐しようと思うなら
あの男は許しを受ける資格はないのだと。
西野茂雄訳 CD[EMI TOCE-7588]

〔演奏〕
CD [EMI TOCE-7588] t=4'23
シュワルツコップ (S)
1968年
CD [EMI 7-63702-2] t=4'23
シュワルツコップ (S)
1968年
CD [Brilliant Classics 93408/2] t=4'43
Miranda van Kralingen (S), European Sinfonietta, Ed Spanjaard (cond)
2002年8月、Nieuwe Kerk, The Hague, The Netherlands

〔動画〕


 

Louise Villeneuve

1770~1799

ミラノのガブリエーリ侯おつきの料理人の娘で、名女流歌手として知られたフランチェスカ・アドリアーナ(Francesca Adriana Gabrieli)の妹ではないかといわれている。 名前も Luigia、Luisa、Lucia Vilnova ともいわれる。 フェッラーラ(Ferrara)生まれで、初舞台は1787年トリノ。 1789年6月にウィーンでデビュー。

モーツァルトが彼女のために書いたアリア 「私は行きます、でもどこへ」(K.583)の性格から、アインシュタインは「ルイーズ嬢は魅惑的な歌いぶりと趣味のよいコロラトゥーラの円熟した技倆をそなえた、魅惑的な人だったにちがいない」と述べているが、一方で

暗く響くソプラノを自在に操り、その強みは、生き生きとしたコロラトゥーラというより、ドラマチックな表現力と美しく女性的な容姿にあった。
[ブレッチャッハー] p.321
ともいわれ、当時の世情をつぶさに記録し残したカール・ツィンツェンドルフ伯爵の日誌には「ヴィルヌーヴの愛の流し目はオペラグラスを通してもこわい」と記されているという。 そのため、ブレッチャッハーは「皇帝ヨーゼフ2世はこの美しい歌手をたいそうお気に入りだったのではないかと思われる」と言っている。 そんな彼女のために、モーツァルトは以下の曲を書いた。

〔参考文献〕

 

Home K.1- K.100- K.200- K.300- K.400- K.500- K.600- App.K Catalog

2017/10/29
Mozart con grazia