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アリア「はや、やさしき春はほほえむ」 K.580〔編成〕 S, 2 cl, 2 fg, 2 hr, 2 vn, va, vc, bs〔作曲〕 1789年9月17日 ウィーン |
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曲名となっている「Schon lacht der holde Frühling」は、[事典]と[全作品事典]さらに[書簡全集]では「やさしい春はもうにこやかに笑いかけ(る)」と訳されている。 ヴィーデン劇場で上演予定のパイジェルロの『セヴィリアの理髪師 Il Barbiere di Siviglia』ドイツ語版の第2幕に加えることを目的に、義姉のソプラノ歌手ヨゼファ・ホーファー(当時30歳)のために作曲したが、オーケストラ・パートはスケッチのままで、未完に終っている。 それは上演予定が実現されなかったからと思われている。
彼女のためにモーツァルトは《ドイツ・アリア》を書いた。 『やさしい春はすでにほほえみ』がそれである。 この曲は、ヨゼーファが契約を結んでいたアウフ・デル・ヴィーデン劇場においてパイジェルロの『セヴィリアの理髪師』をドイツ語で上演するという企画のために、挿入曲として着想されたのであった。 しかしこの作品は明らかに再び除かれたのである。 モーツァルトの原稿がスケッチ風で不十分な性格を持っているのは、それによって説明がつく。『セヴィリアの理髪師』は1782年にペテルスブルクで初演されて以来、その高い人気のゆえにモーツァルトとダ・ポンテによる『フィガロの結婚』(1786年5月初演)へと続いたが、その後『セヴィリアの理髪師』のドイツ語版(ジングシュピール)を上演しようという計画も生まれたのだろう。 このころ、ヨーロッパ各地でオペラの上演が盛んに行われていたので、この人気の高い『セヴィリアの理髪師』で稼ぎたい気持ちがあって当然のところ、たち消えになったのは残念である。[アインシュタイン] p.507
この曲の楽譜は50年以上行方不明だったが、1989年5月19日ロンドンのサザビーズ社が自筆譜を競売し104,500ポンド(約2,340万円)で売れた。
〔歌詞〕
Schon lacht der holde Frühling aufblumenreichen Matten. wo sich Zephire gatten unter geselligem Scherze, Wenn auch auf allen Zweigen sich junge Blüten zeigen kehrt doch kein leiser Trost in dieses arme Herz. |
やさしい春がもうほほ笑んでいる 花ほころぶ草の原に、 そして、そよ風は 軽やかに花にたわむれる 木々の枝には つぼみが芽をふいている、 でも、やさしい慰めは この哀れな心には訪れてこない 石井宏訳 CD[ポリドール POCL-1076]
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〔演奏〕
CD [COCO-9283] t=8'20 ヨナーショヴァー (S), ルカーシュ指揮プラハ室内合奏団 1970年 |
CD [ポリドール POCL-1076] t=7'46 グルベローヴァ (S), フィッシャー指揮ウィーン室内管弦楽団 1980年9月、ウィーン |
〔動画〕
〔参考文献〕
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