Mozart con grazia > 年代記 > 1764年 |
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1764年8歳 |
8日、パリに戻る。
パリで、ド・テッセ伯夫人のための作品2の第2曲
今、ヴォルフガング・モーツァルト氏の4曲のソナタが出版されつつあります。 表紙にこれが7歳の作品だと書いてあったとき、これらのソナタが世間で引き起こすに違いない大騒ぎをご想像下さい。<参考> ソナタ K.6 と K.7 は「作品1」として出版。 フランス国王ルイ15世の第2王女ヴィクトワールに献呈。 「ヴァイオリンの伴奏で演奏できるクラヴサンのためのソナタ。 7歳のJ.G.ヴォルフガング・モーツァルト、ザルツブルクの出身、マダム・ヴィクトワール・ドゥ・フランスに捧げる。 作品1。4ルイ・ドール4ソル。旧サン・ジャック街、現サン・トノレ街、パレ・ロワイヤルの向い、ヴァンドーム夫人版刻。国王により充許」
中旬、二人の御前演奏によって父レオポルトは1200リーブル(約550グルテン)を手に入れた。 ここでもヴォルフガングは奇跡的な見世物で人々を驚嘆させた。
23日、ロンドン到着。
バッキンガム宮殿で国王ジョージ3世と王妃に謁見。
ヨハン・クリスチャン・バッハと知り合う。
この当時、ロンドンは人口約100万の大都会、パリは70万人、ウィーンは20万人だった。
また、レオポルトはどこで誰と出会ったか子細に記録している。
8月から11月にかけて、翌年1月に英王妃シャーロットに「作品3」として贈ることになる6曲のソナタ
を作曲。 これら6曲は「ロンドン・ソナタ」と呼ばれる。 ほとんどピアノ曲。幼い頃の創作を知る貴重な資料。
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