17 age |
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90 34 |
91 35 |
92 |
劇唱(シェーナ) K.528
■編成 S, fl, 2 ob, 2 fg, 2 hr, 2 vn, va, vc, bs |
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ドゥーシェク夫人(当時34才)のために。 1777年にプラハからドゥーシェク夫妻がザルツブルク(夫人の故郷)を訪れて以来親交が生まれていた。 モーツァルトが彼女のために書いた曲はほかにもあり、どれもソプラノ歌手としてのドゥーシェク夫人の力量が優れていたことがわかる。 この曲は『ドン・ジョヴァンニ』(K.527)のプラハ初演のために訪問した際に作られ、上記日付で「自作目録」に記載された。 作曲にまつわるエピソードとして彼の息子(フランツ・クサーヴァー?)による次の話が伝えられている。
ドゥーシェク夫人に対してモーツァルトはアリアを一曲作曲すると約束していたが、これはなかなか果されなかった。 歌詞はダ・ポンテが作ったものと思われるが、彼は10月8日にプラハに着き、1週間滞在して、「ドン・ジョヴァンニ」の初演前にヴィーンに帰って行った。 したがってこのテクストは、この期間に書かれたものであろう。 モーツァルトはそれを暖めていたわけである。 待ちかねた夫人は、彼を別荘の客間に閉じ込め、鍵を掛けて作曲を無理矢理仕上げさせたという。 そのお返しに今度はモーツァルトが、もし夫人がこのアリアを初見で正確に歌わなければ、曲を彼女に手渡さないと言ったという。モーツァルトが妻コンスタンツェを伴ってウィーンを出発したのは10月1日であり、4日にはプラハに到着していた。 また、プラハをあとにしたのは11月13日であり、ウィーンに帰ったのは17日である。 当時、ウィーンとプラハ間は馬車で4日程度かかったようである。 別荘とは「ベルトラムカ荘 Villa Bertramka」と呼ばれている、プラハ郊外にある屋敷であり、1784年からドゥーシェク夫人の所有となっていた。 その後モーツァルト生誕200年を記念して博物館として公開されていたが、2009年11月から閉館となっている。[書簡全集 VI] p.430
歌詞はサルコーネ(Michele Sarcone)の台本によるヨメッリ(Niccolo Jommelli)の劇場セレナータ『なだめられたチェレーレ Cerere placata』(1772年ナポリで上演)から。 詞の内容は、イベリアのティターノ王(Titano)がシチリアの女王の娘プロセルピーナに恋し、肘鉄を食らったので誘拐したところ、女王に捕らえられ死の宣告を受けて歌う(ちょっとだらしない男の)嘆きとなっている。
これは極端なシテュエーションの要求を極端な手段によって満たすもので、決して一般聴衆のための曲ではなく、美術家の言葉で《アトリエ向きの作品》と呼ばれるような曲なのである。 モーツァルトの息子が伝えたエピソードによると、モーツァルトはこのアリアをヨゼーファの能力に対する挑戦として書いたというが、いかにも信じられる話である。『ドン・ジョヴァンニ』の直後に位置するこのシェーナにはその偉大なオペラの性格が反映している。[アインシュタイン] p.505
このアリアの全曲は、レチタティーヴォのオーケストラの思いふけるような多声音楽にはじまり、情熱的な《ストレッタ》にいたるまで、『ドン・ジョヴァンニ』(K.527)の地獄に近い世界に対応する、強烈な興奮の領域のなかで進行する。 一人の英雄が犠牲死に向って歩み、三人の人物に別れを告げるが、そのうちの一人は彼の恋人である。 (それはプロセルピーナであろうか?──なぜならレチタティーヴォの最後で述べられる名前、チェレーレとアルフェオとが冥府における一情景を暗示するからである。) われわれがこのシテュエーションを復原しえてこそはじめて、この雄大な曲は理解されるにいたるだろう。[アインシュタイン] pp.505-506
■歌詞
Bella mia fiamma, addio! Non piacque al cielo di renderci felici. . . . |
私の麗しい恋人よ、さようなら。 私たちが幸せになるのを 天はお望みにならなかったのだ。 ・・・ |
Resta, oh cara, oh cara! Acerba morte mi separa, oh Dio! da te Prendi cura di sua sorte, consolarla almen procura. . . . |
とどまって下さい、ああ、いとしい人よ、 苦しい死が、ああ神よ! そなたから私を引き離すのです。 その定めに気をつかい、 せめて慰めてやって下さい。 ・・・ 海老沢 敏訳 CD[VJCC-2309]
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■演奏 アインシュタイン
CD [COCO-9283] t=10'43 ヨナーショヴァー Jana Jonášová (S), ルカーシュ指揮 Zdenek Lukáš (cond), プラハ室内合奏団 Prague Chamber Soloists 1970年、スプラフォン・ドモヴィナ・スタジオ |
CD [DECCA LONDON 417-756-2] t=9'07 テ・カナワ Kiri Te Kanawa (S), フィッシャー指揮 Gyorgy Fischer (cond), ウィーン室内管弦楽団 Wiener Kammerorchester 1980年12月、ウィーン |
CD [ポリドール POCL-1076] t=9'07 ※上と同じ |
CD [VJCC-2309] t=9'29 ルーテンス Lena Lootens (S), クイケン指揮 Sigiswald Kuijken (cond), ラ・プティット・バンド La Petite Bande 1988年3月、オランダ |
CD [Brilliant Classics 93408/5] t=10'05 ? (S), European Chamber Soloists, Nicol Matt 2006年 |
■参考文献
■動画
[http://www.youtube.com/watch?v=jhk5BNHKJoA] t=9'38 Lilian Sukis (S), Leopold Hager (cond) |
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