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12のメヌエット K.585

(1) ニ長調(2) ヘ長調(3) 変ホ長調(4) 変ロ長調(5) ト長調(6) ハ長調
(7) イ長調(8) ヘ長調(9) 変ロ長調(10) 変ホ長調(11) ト長調(12) ニ長調

〔編成〕 2 vn, 2 fl, 2 ob, 2 cl, 2 fg, 2 hr, 2 tp, timp, picc, bs
〔作曲〕 1789年12月 ウィーン
1789年12月

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翌1790年のウィーンでの舞踏会用に、「12のドイツ舞曲」(K.586)とともに作曲した。 ちょうどこの頃はモーツァルトが、やはり翌年初演される『コシ・ファン・トゥッテ』を作曲していた時期である。 大英博物館が公開している自作目録の1789年12月のページにはこれらの作品が並んでいる。

楽器の編成については、自作目録に「ヴァイオリン2、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ピッコロとバス」と記載されているが、作曲されてすぐ、1789年12月27日の新聞記事に、ウィーンのホフマイスターから、7声用に改訂した楽譜が1フロリン30クロイツァーで、またクラヴィア用に編曲したものが40クロイツァーで売りに出された広告が載ったことで先に広まったという。 なお、最初の4曲は1788年頃に書かれた形跡があるという。

サンフォワは次のように評している。

我々に見事な管弦楽の喜びを与えてくれる。 こうした特別の制約の枠の中で楽器の総合的理解と使用方法について、交響曲において感じさせるような卓越した技法を使って見せていることは改めて言うまでもない。
1791年8月、さらに11月には、アルタリア社からクラヴィア用メヌエットとして45クロイツアーで写譜が出版された。 また、死の2週間前の1791年11月20日、弟子だった当時11歳のフランツ・デ・パウラ・ローザー Franz de Paula Roser von Reiter(6オクターブの音域をもつ6段からなるハンマーフリューゲルを考案し、1785年にブリュッセルで製作したヨハン・ゲオルク・ローザー Johann Georg Roser von Reiter の息子で、1789年にウィーンで短期間ながらモーツァルトにピアノのレッスンを受けた)がこの曲の第1、第2、第4の写譜を師から贈られたが、そのとき弦楽のみだったという。 そして、彼は「2部のヴァイオリンとバスのために作曲したが、好評だったので、要請を受けて管楽器パートを加えた」という記録を残している。 ただし、そのもととなった弦楽だけの総譜は第5曲以下が失われて、残っていない。

〔演奏〕
CD [キング KICC 6039〜46] t=26'00
ボスコフスキー指揮ウィーン・モーツァルト合奏団 Willi Boskovsky (cond), Vienna Mozart Ensemble
1966年3〜4月
CD [TELDEC WPCS-22042] (1) t=2'30
トビアス・ライザー・アンサンブル Ensemble Tobias Reiser
1978年頃
※デルシュミット編曲
CD [TECC-30064] (1) t=2'17
ベルガー Hans Berger (zither) and his Ensemble
1989年1月、ミュンヘン、Kleiner Konzertsaal

〔動画〕

〔参考文献〕


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2015/09/27
Mozart con grazia