Mozart con grazia > 年代記 > 1792年〜
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1792年以降

レクイエムその後

 
コンスタンツェは、レクイエムを完成させて、礼金の残り50ドゥカーテンを受け取ろうと、ヨーゼフ・アイブラーに作品の完成を依頼した。 しかし、はかばかしく進行しなかったので、結局はモーツァルトの弟子ジュスマイヤーに仕事を委ねた。 まもなくレクイエムは仕上がり、コンスタンツェはこれを夫の作曲としてヴァルゼック伯に渡して残金を手にいれた。 さらに、出版社のブライトコップにもモーツァルトの作品として売った。 後に、レクイエムの真の作者はモーツァルトではないらしいという噂が広まり、ブライトコップ社から真偽について問い合わせを受けたが、彼女は亡夫のものだと主張した。 しかし、1800年2月8日、その問い合わせに対し、ジュスマイヤーは大半の部分が自分の作曲であると回答し、こうしてレクイエムの作者はモーツァルトとジュスマイヤーの二人であることが確定した。

ジュスマイヤーの言葉
モーツァルトの生存中に、私がたびたび全曲を通して一緒に演奏したり、歌ったりしたことや、この曲の仕上げについて彼がしばしば私に話したことや、彼のオーケストレーションの方法や理由について教えてもらっていたことなどは、周知のことでした。 私はこの曲を聴く専門的な人たちに、彼の忘れられない教示の跡がこの中にあることを時々発見してもらえるように書ければ成功だと思ってやりました。

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国際モーツァルテウム財団本部。左手の建物は財団付属コンサート・ホール。 モーツァルテウムの庭園内にはウィーンから『魔笛の小屋』が移築されている。 写真の左手に緑の苔が生えた屋根が見えるのがそれである。 7、8月モーツァルテウム・ホールでコンサートがある時だけ訪れることができるという。

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2012/03/24
Mozart con grazia