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1779年23歳 |
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8日、ミュンヘンから父へ
僕が楽しみにしているのは、ザルツブルクへ行くことではなく、お父さんのところへ行くことです。 僕はザルツブルクとその住民が我慢なりません。あの言葉や生活態度が、たまらないのです。 僕のベーズレがここに来ています。なぜかは誰でも知っていることですが、それはザルツブルクで話します。 そのために、ベーズレが一緒にザルツブルクへ行ってくれることを切に願っています。 あの人にお会いになったら、きっと気に入るでしょう。従姉妹のベーズレがミュンヘンで果たした「重大な役割」とは何か? モーツァルトの願いを容れて、ザルツブルクまで足を伸ばした。 彼に同行したのか、後から行ったのか、分からない。
13日、ミュンヘンを去る。
15日、モーツァルトは否応なしにザルツブルクに戻った。
大司教への請願書
いと尊く慈悲深き神聖ローマ帝国領主にして国王閣下。慈悲をもちまして私を宮廷オルガニストに任命していただきたく、最も深き臣従をもってお願い申し上げます。モーツァルトの署名(Wolfgang Amade Mozart)がなされているが、この請願書は彼がザルツブルクに到着する前に、父レオポルトによって書かれたものだという。 さらにレオポルトは大司教の妹、マリア・フランツィスカ・ヴァリス伯爵夫人の援助も受けたという。 用意周到な根回しのお陰で、大司教からすぐ決済がなされ、アードルガッサー(1777年末に没)の後任として、ザルツブルク宮廷オルガン奏者に任命された。 年俸450グルテン。 これは前任者と同額。
25日、大司教の決済(17日付け)
余は請願人を慈悲をもって任命する。 決められた職務を行い、礼拝堂において不平なく勤め、宮廷と教会にできる限り新しい作品で仕えよ。
失意のうちに帰郷し、嫌悪しっきていた大司教の従僕に戻されたにもかかわらず、オカールの言葉によれば、
あれほど多くの失望のあとでは、悲壮で引きつった音楽が出て来て当然だろうと人は思う。 しかし驚くべきことに、そんなものは一つも見られない。ここにもモーツァルトの音楽を聴く者が心得ておかなければならない秘密の鍵がある。
この年の初め、ザルツブルクの父の家で行われていた音楽会用に、2台のピアノのための
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君の心とろかす似姿は、おお、かわいい従妹よ、いつも僕の枕元にただよう。 けれど悲しい涙を誘うのは、それが君自身でないからさ。 たそがれ迫り、月が輝くころ、いつもそれを眺めて、泣きます。 次の手紙ではもっとたくさん本当にまともなことを書きます。 ごきげんよう、さようなら、天使さん。
23日、ザルツブルクで演奏会。交響曲で始まった。
このセレナーデ用に
ウェーバー家はウィーンに引越した。
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この年から翌年にかけて、ザルツブルクで、のちの「魔笛」と「後宮からの逃走」の先行作と見られている劇音楽を作曲した。 前者は、シカネーダーからの依頼を受けた
であり、後者はザルツブルクに来演中のベーム劇団のための
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