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ロンド 「君を愛する人の願いに」 K.577Rondo for soprano "Al desio, di chi t'adora."
〔編成〕 S, 2 basset-hr, 2 fg, 2 vn, va, vc, bs |
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タイトルについて、[事典]と[全作品事典]では「あなたを愛している人の望みどおり」と訳されている。 おそらく当時の愛人ダ・ポンテの詩といわれる。 モーツァルトはアドリアーナ・ガブリエリ(Francesca Adriana Gabrieli)のために作曲したと、自作目録に記載した。 ただし正確には、「The British Library Board: Mozart's Thematic Catalogue - ff. 21v-22r」でわかるように、結婚後の呼称「フェッラレーゼ・デル・ベーネ(Ferrarese del Bene)」と書かれている。
8月29日に『フィガロ』がウィーンで再上演されたとき、すでに帰国していたストレース嬢に代ってスザンナを歌ったので、モーツァルトは彼女のために新たに2つの曲を追加した。 それはアリア「喜びに躍りて」(K.579)とこの曲であるといわれている。 この曲は第4幕第28曲スザンナのアリア「とうとうその時が来たわ、早くおいで、美しい喜びよ」の代替曲として書かれた。
〔歌詞〕
Al desio di chi t'adora,
Vieni, vola, oh mia speranza!
Morirò se indarno ancora
Tu mi lasci sospirar.
Le promesse, i giuramenti,
Deh! rammenta, oh mio tesoro!
E i momenti di ristoro,
Che mi fece Amor sperar!
Ah! ch'omai più non resisto
All'ardor che il sen m'accende.
Chi d'amor gli affetti intende,
Compatisca il mio penar.
〔演奏〕
CD [Brilliant Classics 93408/2] t=5'55 Miranda van Kralingen (S), European Sinfonietta, Ed Spanjaard 2002年 |
CD [SONY SK 47230] t=4'49 ランパル (fl), トリオ・パスキエ (2 va, vc), アダモプーロス (vn) 1990年11月、パリ ※ソプラノ声部をフルートで演奏 「フルート五重奏曲 K.Anh.177」 |
〔動画〕
Adriana Francesca Gabrieli del Bene1755頃~1791以降 |
ミラノのガブリエーリ侯おつきの料理人の娘で、名女流歌手として知られている女性たちがいる。 カタリーナ(Catarina Gabrieli, 1730-96)、妹フランチェスカ・アドリアーナ(Francesca Adriana Gabrieli)、そして(不確かであるが)ルイーズ・ヴィルヌーヴ(Louise Villeneuve, 1770-1799)である。
アドリアーナはフェッラーラ(Ferrara)生まれであり、また、1782年にヴェネツィアの貴族ルイジ・デル・ベーネと結婚したことから、フェッラレーゼ・デル・ベーネ(Ferrarese del Bene)と呼ばれていた。 彼女の生年ははっきりしない。 舞台には1779年から立っていた。 ウィーンでのデビューは1788年10月13日で、オペラ『ディアーナの樹』のディアーナ役を演じたものだったが、その中のアリア数曲は彼女のために特に移調されたものだったという。
彼女は気の遠くなるような高音から驚くべき低音まで歌いこなす。 音楽通はこのようなすばらしい歌手はウィーンでは前代未聞だと唸っている。 そして、今回の演目ではこの優秀な歌手には物足りないのではないかと同情することしきりである。と、当時の新聞記事に書かれたという。 数々のオペラに出演し、成功をおさめた人気歌手だった。 モーツァルトのオペラでは『フィガロ』でスザンナ役、そして『コジ・ファン・トゥッテ』初演ではフィオルディリージ役を歌っている。[ブレッチャッハー] p.313
余談であるが、ダ・ポンテと恋仲にあり、そのスキャンダルがもとで1791年の劇場シーズンの終わりとともに失職。 その年の6月にダ・ポンテとともにウィーンを離れ、トリエステに旅立ったが、その後すぐ別れたという。 1804年にヴェネツィアで死去といわれるが、彼女の没年もはっきりしない。
関係する曲
〔参考文献〕
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