Mozart con grazia > 年代記 > 1766年 |
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1766年10歳 |
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ハーグで
前年10月に作られたものを加筆し、ナッソーヴァイルブルク侯妃のために
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2月からハーグで作っていた6曲の
ハーグで、オランジュ公ヴィレム5世の即位祝いの食卓音楽として混成曲
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モーツァルトがパリを去った後、パリでグリムが「文芸・哲学・批評通信」に次のような報告を残している。
「この驚嘆すべき子供は現在9歳である。ほとんど成長していないが、音楽では並みはずれた進歩をとげている。 彼は2年前すでに作曲をよくし、ソナタの作者であった。その後ロンドンで英国王女のために6曲のソナタを出版した。 オランダではナッサウ・ヴァイルブルク公妃のために他の6曲のソナタを公けにした。 彼は大オーケストラの交響曲をいくつも作曲したが、それらは当地で演奏され、広く喝采を博した。 またイタリア語のアリアをいくつも書いたが、私は彼が12歳になる前にイタリアのどこかの劇場でオペラを演じさせるのではないかと思う。 ロンドンで冬の間マンツオーリを聴いていた彼は、それを大変よく活かし、声ははなはだ弱いとはいえ、趣きと感情をともどもに備えた歌い方をする」18日、ディジョン市庁舎ホールで姉弟の演奏会。
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ローザンヌで、ヴュルテンベルク公ルートヴィヒのために
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チューリヒで
ザルツブルクに帰郷する途上
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29日、ようやくザルツブルク着。
神童ヴォルフガングの名前はヨーロッパ中に広がっていた。
そして一家が旅するのに合せて各都市の新聞が次々とそのニュースを伝えた。
その世界的なアイドルが故郷に帰って来たのだった。
父レオポルトの興行は大成功だった。
彼はパリで一家を描いた銅板画を作り、それを旅先で売りながら帰郷したという。
ザルツブルク聖ペトロ教会のヒューブナー神父が残した日誌には「ヴォルフガングはあまり大きくなっていないが、ナンネルはかなり背が高くなり、そろそろ結婚できる年頃である」と書かれている。
また、その日誌には「今回の旅行で2万フランかかったというが、どうやってそれだけの金をかき集めたのだろうか」とも記していた。
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21日、ザルツブルク大司教フォン・シュラッテンバッハの叙階式記念日のために
この頃作ったと思われるピアノ・ソナタの断片
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