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弦楽または管楽のための協奏曲

Concertos for strings or winds instruments

以下、作品を作曲年順でなく、ケッヘル番号順に並べる。 探しやすいと思うからである。
 

トランペット協奏曲 K.47c (紛失)

〔作曲〕 1768年10月か11月初 ウィーン

1768年12月7日レンヴェークの孤児院の献堂式の際、ミサ曲 K.139 (47a) と奉献歌 K.117 (47b)とともに演奏されたことが父レオポルトがザルツブルクのハーゲナウアーに書いた手紙に残る。 しかし楽譜は行方不明。

1768年11月12日、ウィーン
聖なるマリアの無原罪の御孕りの祝日には、パルハーマー師の孤児院の新しい教会の献納がおこなわれます。 ヴォルフガングはこの日のために、荘厳ミサ、奉献誦、それにこの孤児院の少年のために一曲のトランペット協奏曲を作曲しまして、師に敬意を表しました。 たぶんヴォルフガングがみずから指揮することになるでしょう。 なにごとにも理由があるものです。
[書簡全集 I] p.373
1768年12月



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1767年9月11日、皇女マリア・ヨゼファ(マリア・テレジア女帝の9番めの皇女)とナポリ・シチリア王フェルディナント1世の婚儀のために催される祭典をめざして、モーツァルト一家はウィーンへ旅立った。 しかし、その頃ウィーンでは天然痘が大流行していて、10月15日に皇女ヨゼファが死亡してしまう。 一家は難を逃れて一時ウィーンを離れるが、年が明けて1768年1月ウィーンに戻った。 父レオポルトは旅先から故郷ザルツブルクの家主ハーゲナウアーに多くの手紙を書き送り、その中に少年モーツァルトが作った曲が当然のように記されていた。 この手紙に書かれてある「御孕(みやど)りの祝日」は1768年12月8日、献納式は前日に行なわれた。 この年の暮れに一家は帰郷の旅に出るが、ザルツブルクに戻ったのは翌1769年1月5日であった。
 

2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ ハ長調 K.190 (186E)

  1. Allegro spiritoso ハ長調
  2. Andantino grazioso ヘ長調
  3. Tempo di menuetto, Vivace ハ長調
〔作曲〕 1774年5月31日 ザルツブルク

自筆譜に上記日付が書かれてあるが、もっと早い「1773年5月3日」とも読める不明瞭な日付もあるという。 →詳細
 

ファゴット協奏曲 変ロ長調 K.191 (186e)

  1. Allegro 変ロ長調
  2. Andante ma adagio ヘ長調
  3. Tempo di Menuetto 変ロ長調
〔作曲〕 1774年6月4日 ザルツブルク

ミュンヘンのデュルニッツ男爵のために書かれたとされているが、作曲されたのは6月4日であるので、ミュンヘンへ旅立つ前、ザルツブルク宮廷楽団のファゴット兼オーボエ奏者シュルツまたはザントマイヤーのどちらかのために作られていたと推測されている。 →詳細
 

ファゴット協奏曲 K.196d (Anh.230) (偽作?)

  • Allegro ヘ長調 4/4
〔作曲〕 1775年?

冒頭部分がブライトコップ&ヘルテル社の目録に残る。 1775年、ミュンヘン滞在中のモーツァルトは当地で、ファゴットの演奏に優れていたといわれるデュルニッツ男爵(Thaddäus Freiherr von Dürnitz, 1756-1807)のために3曲のファゴット協奏曲を書くはずだった。 その一つだろうと推測され、K.196dの番号で位置づけられた。 しかし西ベルリン国立図書館にあるパート譜には Dzy と書かれてあり、ギークリングは別人(ダンツィ?)の作と見ている。 また、紛失したチェロ協奏曲 K.206a と関連があるとする説もある。
 

チェロ協奏曲 ヘ長調 K.206a (紛失)

〔編成〕 vc, 2 ob, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1775年3月 ザルツブルク

紛失した自筆譜には「騎士モーツァルトによるヴィオロンチェロのための協奏曲、1775年3月」と記されてあったらしい。

チェロはヴァイオリンと同じ頃に(1520年頃)出現したが、独奏楽器の地位に至るのはヴァイオリンよりずっと遅い。 それは音域で競合するヴィオラ・ダ・ガンバが良い性能と名手とを持っていたためである。 19歳のモーツァルトがどんな動機で独奏チェロのための協奏曲を書こうとしたのか、またそれはどんな曲なのか非常に興味深い。 失われたことは残念でならない。 なお、モーツァルトがチェロのために残した曲(?)としては、ほかに「ピアノとチェロのためのアンダンティーノ」(K.Anh.46 / 374g)や「ファゴットとチェロのためのソナタ」(K.292 / 196c)などがある。
 

ヴァイオリン協奏曲 第1番 変ロ長調 K.207

  1. Allegro moderaro 変ロ長調
  2. Adagio 変ホ長調
  3. Presto 変ロ長調
〔編成〕 vn, 2 ob, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1773年4月14日 ザルツブルク

3回目のイタリア旅行からザルツブルクに帰ったモーツァルトは、間もなく交響曲を相次いで(第22番から第30番まで)書き始めたが、その中にポツンと一つヴァイオリン協奏曲が作られた。 動機は不明 →詳細
 

ヴァイオリン協奏曲 第2番 ニ長調 K.211

  1. Allegro moderato ニ長調
  2. Andante ト長調
  3. Allegro ニ長調
〔編成〕 vn, 2 ob, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1775年6月14日 ザルツブルク

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は1775年に集中して4曲書かれ、どれも作曲の動機がはっきりしない。 これはその最初の曲である。 →詳細
 

ヴァイオリン協奏曲 第3番 ト長調 K.216

  1. Allegro ト長調
  2. Adagio ニ長調
  3. Allegro ト長調
〔編成〕 2 ob (2 fl), 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1775年9月12日 ザルツブルク

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲のなかでもっとも評価の高い曲であり、また「シュトラスブルク」というあだ名が付けられていることでも有名である。 また、第2楽章でオーボエはフルートと交代するのも異色である。 →詳細
 

ヴァイオリン協奏曲 第4番 ニ長調 K.218

  1. Allegro ニ長調
  2. Andante cantabile イ長調
  3. Andante grazioso - Allegro ma non troppo ニ長調
〔編成〕 vn, 2 ob, 2 hr, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1775年10月 ザルツブルク

モーツァルトと父レオポルトの間で「シュトラスブルク協奏曲」と了解し合っていたのはこの曲とされ、「シュトラスブルガー」というあだ名で呼ばれていた。 →詳細
 

ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ長調 K.219

  1. Allegro aperto イ長調
  2. Adagio ホ長調
  3. Tempo di menuetto - Allegro イ長調
〔編成〕 vn, 2 ob, 2 hr, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1775年12月20日 ザルツブルク

1773年の最初のヴァイオリン協奏曲(K.207)から成る一連のザルツブルク協奏曲の最後の作品。 →詳細
 

アダージョ ホ長調 K.261

〔編成〕 vn, 2 fl, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1776年終 ザルツブルク

ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調(K.219)の第2楽章の代替として、同僚のヴァイオリン奏者ブルネッティのために書いたといわれているが確かなことはわからない。 第3番(K.216)で、オーボエをフルートに変える工夫をしていたが、この曲でも同じ意図があったのか。 →詳細
 

ヴァイオリン協奏曲 第6番 変ホ長調 K.268 (Anh.C14.04)

  1. Allegro moderato 変ホ長調
  2. Un poco adagio ト長調
  3. Allegretto 変ホ長調
〔編成〕 vn, fl, 2 ob, 2 fg, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 ?

自筆譜ない。 アンドレの初版(1799年)から偽作と思われていたが、アインシュタインは第3版で K.365b に置いた。 しかし、ケッヘル第6版では「偽作および疑義ある作品」として Anh.C14.04 に置かれ、新全集では収録していない。 →詳細
 

ロンド 変ロ長調 K.269 (261a)

〔編成〕 vn, 2 ob, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1775-77年 ザルツブルク

アダージョ(K.261)と同じ成立の事情があったと推測されているが、確かなことはわからない。 →詳細
 

ヴァイオリン協奏曲 第7番 ニ長調 K.271i

  1. Allegro maestoso ニ長調
  2. Andante ト長調
  3. Allegro ニ長調
〔編成〕 vn, 2 ob, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 ?

自筆稿は1837年までパリにあった後、紛失したという。 2種類の写本(総譜とパート譜)が残る。 モーツァルトの作風とは違うことから新全集では「疑わしい作品」に分類している。 →詳細
 

オーボエ協奏曲 K.271k 「フェルレンディス」

〔編成〕 ob, 2 fl, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1777年夏 ザルツブルク

ザルツブルク宮廷楽団のオーボエ奏者ジュゼッペ・フェルレンディスのために。 フルート協奏曲(K.314)の原曲の「オーボエ協奏曲」がこれであるとする説もある。 →詳細
 

オーボエ協奏曲 ヘ長調 K.293 (416f)

〔編成〕 ob, 2 cl, 2 fg, 2 hr, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1778年11月? マンハイム

未完、70小節。 アレグロ、4分の4拍子。 成立は不明。 オットー・ヤーンは1776か77年にザルツブルク宮廷楽団のオーボエ奏者ジュセッペ・フェルレンディスのために作曲と推測した。 →詳細
 

管楽器のための協奏交響曲 変ホ長調 K.297b/B

  1. Allegro 変ホ長調
  2. Adagio 変ホ長調
  3. Andantino 変ホ長調
〔編成〕 fl, ob, hr, fg, ?
〔作曲〕 1778年4月5日〜20日 パリ

パリのコンセール・スピリチュエルの監督ル・グロの依頼により作曲。 しかし、4月5日から20日にかけて急いで書かれたこの曲は当時の流行作家ジュゼッペ・カンビーニ(1746-1825)の妨害にあって演奏されず、失われてしまった。 今日残っているのはヤーンの遺品にあった写譜(オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットの編成版)K.297b であり、これは編曲版と推定され、ケッヘル第6版から偽作(Anh.C14.01)とされた。 それを現代の研究者が統計的手法を応用し、彼の様式に従って復元した。 失われてしまったものが K.297B (Anh.9)である。 →詳細
 

フルートとハープのための協奏曲 K.299 (297c)

  1. Allegro ハ長調
  2. Andante ヘ長調
  3. Allegro ハ長調
〔編成〕 fl, hp, 2 ob, 2 hr, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1778年4月 パリ

母と二人でパリに滞在中、フルートの演奏が得意だったド・ギーヌ公爵とその令嬢のために作った曲。 モーツァルトにとって好きでなかったフルートと、当時まだ不完全な楽器だったハープを使い、さらに素人演奏家のために易しく作ってはいるが、比類のない名曲。 しかも令嬢のレッスン料も屈辱的に少なかったことを考えると、奇跡的な名作。 →詳細
 

フルート協奏曲 第1番 ト長調 K.313 (285c)

  1. Allegro Maestoso ト長調
  2. Adagio ma non troppo ニ長調
  3. Tempo di Menuetto ト長調
〔編成〕 fl solo, 2 ob, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1778年1月か2月 マンハイム?

母と二人で就職活動のためパリに向かう途中マンハイムに滞在。 その地の音楽愛好家でフルートが上手だったらしいドゥジャンという人物のために作曲。 →詳細
 

フルート協奏曲 第2番 ニ長調 K.314 (285d)

  1. Allegro aperto ニ長調
  2. Adagio non troppo ト長調
  3. Allegretto ニ長調
〔編成〕 ob, 2 ob, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1778年1月か2月 マンハイム

ザルツブルク宮廷楽団のオーボエ奏者ジュゼッペ・フェルレンディスのためにザルツブルクで作曲(1777年)された「オーボエ協奏曲ハ長調」を、1778年マンハイム滞在中に当地の音楽愛好家ドゥジャンのためにフルート用に編曲したもの。 →詳細
 

フルートのためのアンダンテ ハ長調 K.315 (285e)

〔編成〕 fl solo, 2 ob, 2 hr, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1778年初 マンハイム

フルート協奏曲第1番ト長調(K.313)の別の第2楽章とみなされていた。 しかし、はっきりしたことは分からず、今では独立した小品と見られている。 →詳細
 

ピアノとヴァイオリンのための協奏曲 ニ長調 K.315f (Anh.56)

  • Allegro ニ長調
〔編成〕 p, vn, 2 fl, 2 ob, 2 hr, 2 tp, timp, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1778年11月 マンハイム

母と二人で就職活動のためパリに行ったが、夢やぶれ、当地で母を失い、失意のうちに帰郷する途中マンハイム滞在。 元マンハイム宮廷楽団コンサート・マスターのフレンツル(ヴァイオリン)とモーツァルト自身(ピアノ)のために作曲。 しかしなぜか未完に終り、自筆譜は120小節だけが残る。 →詳細
 

ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための協奏交響曲 イ長調 K.320e (Anh.104)

〔編成〕 solo vn, solo va, solo vc, 2 ob, 2 hr, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1779-80年 ザルツブルク

自筆譜が残っているが、成立については不明。 モーツァルトの手で「シンフォニア・コンチェルタンテ」と書かれ、オーケストラによる提示部が51小節まで完成され、続く52小節から134小節までの独奏楽器による提示部はソロパートのみ完成。 ただし作曲を放棄したのではなく、後で完成させるつもりでいたらしい。 →詳細
 

ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364 (320d)

  1. Allegro maestoso 変ホ長調
  2. Andante ハ短調
  3. Presto 変ホ長調
〔編成〕 vn solo, va solo, 2 ob, 2 hr, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1779年晩夏 ザルツブルク

協奏交響曲 sinfonia concertante というジャンルが当時パリやマンハイムで流行していたので、モーツァルトは並々ならぬ関心をもっていたが、残念なことに、完成されたのはこの1曲のみ。 しかし自筆譜は消失し、作品の成立について何もわからない断片が残るのみである。 →詳細
 

ホルン協奏曲 楽章 変ホ長調 K.370b (断片)

〔編成〕 solo hr, 2 ob, 2 hr, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1781年 ウィーン

断片 144小節。 独奏パート以外はスケッチのみ。 作曲の動機は不明。 →詳細
 

ホルンのための協奏風ロンド 変ホ長調 K.371

〔編成〕 solo hr, 2 ob, 2 hr, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1781年3月21日 ウィーン

ホルン奏者ロイトゲープのために作曲したと思われていたが、新全集(ギークリング)は、ウィーン宮廷楽団次席ホルン奏者アイゼンのために作られたと推測している。 作曲の動機はよくわからない。 →詳細
 

ヴァイオリンのための協奏風ロンド ハ長調 K.373

〔編成〕 solo vn, 2 ob, 2 hr, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1781年4月2日 ウィーン

1781年4月8日にウィーン滞在中の大司教のための音楽会が催されることになり、モーツァルトはいくつかの曲を急いで用意することになった。 この曲はヴァイオリニストのブルネッティのために作曲され、その演奏会で初演された。 →詳細
 

ホルン協奏曲 第1番 ニ長調 K.412 & 514 (386b)

  1. Allegro (K.412) ニ長調
  2. Rondo : Allegro (K.514) ニ長調
〔編成〕 hr solo, 2 ob, 2 fg (I), 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1791年1〜10月? ウィーン

ロイトゲープのために書いた4つのホルン協奏曲の一つ。 新全集では、1782年作と思われていたアレグロ K.412 は死の年の最後の10ヶ月に書かれた、モーツァルト最晩年の最後の未完の協奏曲としている。 また、ロンド K.514 はスケッチをもとに弟子のジュスマイヤーが完成させて一つの作品としたものであり、恩師の死を悼んで 1792年に書き上げたものと考えられている。 →詳細
 

ホルン協奏曲 第2番 変ホ長調 K.417

  1. Allegro maestoso 変ホ長調
  2. Andante 変ロ長調
  3. Rondo 変ホ長調
〔編成〕 hr solo, 2 ob, 2 hr, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1783年5月27日 ウィーン

旧知の親友ロイトゲープのための最初のホルン協奏曲。 自筆譜に「ヴォルフガング・アマデ・モーツァルト、ロバ、牡牛、馬鹿のライトゲープを憐れむ」と記されていることでも有名。 →詳細
 

ホルン協奏曲 第3番 変ホ長調 K.447

  1. Allegro 変ホ長調
  2. Romance : Larghetto 変イ長調
  3. Allegro 変ホ長調
〔編成〕 hr, 2 cl, 2 fg, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1787年? ウィーン

大の親友で、冗談と悪ふざけの相手として有名なロイトゲープのために。 ただし、演奏者をからかうような悪ふざけがこの曲にはなく、充実した真面目な内容から、4曲あるホルン協奏曲のうちの最高傑作と言われる。 いつ作られたのか不明。 →詳細
 

ヴァイオリン協奏曲のためのアンダンテ イ長調 K.470 (断片)

〔編成〕 2 ob, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1785年4月1日 ウィーン

自作目録に記された主題4小節だけ残る。 ハインリヒ・マルシャンのために、あるヴァイオリン協奏曲のアンダンテ楽章として作られた。 →詳細
 

ピアノ協奏曲 変ホ長調 K.491a (Anh.62) (断片)

〔編成〕 p, fl, 2 ob, 2 cl, 2 fg, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1786年?

楽器編成とピアノ・パートの旋律のみ3小節。 ピアノ協奏曲第24番ハ短調(K.491)の第2楽章か。 →詳細
 

ホルン協奏曲 第4番 変ホ長調 K.495

  1. Allegro moderato 変ホ長調
  2. ロマンス Andante 変ロ長調
  3. Rondo : Allegro vivace 変ホ長調
〔編成〕 hr solo, 2 ob, 2 hr, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1786年6月26日 ウィーン

ロイトゲープのために。 自筆譜が青、赤、緑、黒の4色のインクで書き分けられていることで知られている。 単なる悪ふざけではなく、色の使い分けによって作曲者は強弱や表情の細かいニュアンスを伝えようとしたのではないかと言われている。 完全な自筆譜がなく、謎が多い。 →詳細
 

バセットホルン協奏曲 ト長調 K3.584b / K6.621b

〔編成〕 basset hr, 2 fl, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1787~91年 ?

断片 199小節。 ウィーン宮廷楽団のクラリネット奏者アントン・シュタドラーのために書かれたクラリネット協奏曲(K.622)の草稿とみられ、直前の K.621bに置かれている。 →詳細
 

クラリネット協奏曲 イ長調 K.622

  1. Allegro イ長調 4/4 ソナタ形式
  2. Adagio ニ長調 3/4 三部形式
  3. ロンド Allegro イ長調
〔編成〕 cl, 2 fl, 2 fg, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1791年9月29日〜10月7日 ウィーン

ウィーン宮廷楽団のクラリネット奏者アントン・シュタドラーのために。 自筆譜はなく、また不思議なことに、なぜかモーツァルトはこの曲を自作カタログに日付を入れずに記載しているのでいつ完成されたのか不明。 →詳細
 


参考文献


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2016/03/13
Mozart con grazia