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協奏交響曲 変ホ長調 K.Anh.9
〔作曲〕 1778年4月5日〜20日 パリ |
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この年の3月23日、モーツァルトは母と二人、約12年ぶりにパリを訪れていた。 4月5日の手紙で、ザルツブルクに残る父レオポルトに「フルートのヴェンドリング、オーボエのラム、ヴァルトホルンのプント、ファゴットのリッターのためにサンフォニー・コンセルタント(協奏交響曲)を1曲作曲しようとしている」と伝えているが、それがこの曲であるとされている。 パリのコンセール・スピリチュエルの監督ル・グロの依頼により作曲。 ただし、4月5日から20日にかけて急いで書かれたこの曲は失われてしまった。
1778年5月1日、パリから父へモーツァルトは、当時パリで活躍していたヴァイオリン奏者で作曲家のカンビーニ(Giovanni Maria Gioacchino Cambini, 1746-1825)の妨害にあって演奏されなかったと思っていた。 その後、ル・グロの依頼で「交響曲第31番パリ」(K.297)を作曲、6月18日コンセール・スピリチュエルで初演大成功。 そのころ母は病弱のため、その晴れがましい初演を聴くことはできず、そして7月3日他界する。 9月8日、モーツァルトはパリで最後の演奏会を開き、26日にその地を離れ、ザルツブルクへの帰途に着いた。 何も得るものがなく、手ぶらで帰郷せざるをえないことを、途中ナンシーから父に伝えている。
ところで、コンセール・スピリテュエルのことをお話ししなくてはなりません。ついでに手みじかに申し上げますが、ぼくの合唱曲は、言ってみれば、骨折り損でした。
(中略)
ところが協奏交響曲についてもひと悶着がありました。 ぼくはこれは何か邪魔するものがあるんだと思っています。 きっと、ここでもまたぼくには敵がいるのです。 でもどこに敵のいなかったところがあったでしょう? しかしこれは善い兆しです。 ぼくはこの交響曲を大急ぎで作曲しなければならず、一所懸命でした。 独奏者は4人で、みんなすっかり惚れこんでいました。 ル・グロはその写譜に4日の余裕がありました。 ところが、それがいつ見ても同じ場所にあります。 おとといになって、それが見あたりません。 でも楽譜類の間を探してみると、それが隠してありました。 何気ない顔をして、ル・グロに「ところで、協奏交響曲は写譜に出しましたか?」と尋ねると、「いや、忘れていた」と言います。 もちろんぼくはル・グロに、それを写譜することも写譜に出すことも命令するわけにいかないので、黙っていました。 2日たって、それが演奏されるはずの日にコンセールへ行くと、ラムとプントが真赤になってぼくのところへやって来て、なぜぼくの協奏交響曲がやられないのか? ときくのです。 ──「それは知らない。そんなこと、初耳です。 私は全然知りません」 ──ラムはカンカンに怒って、音楽室でフランス語でル・グロのことを、あの人のやり方はきれいじゃない、などと罵っていました。[手紙(上)] pp.147-148
1778年10月3日しかし、もう一度書き上げられることなく、「ホルツバウアーの『ミゼレーレ』のための8楽曲 K.Anh.1 / 297a」、「序曲(交響曲)K.Anh.8 / 311A」とともにこの協奏交響曲は失われてしまった。
ソナタのほかは、出来上がったものを何も持って参りません。 ──2つの序曲と協奏交響曲は、ル・グロ氏に買い取られたからです。 ル・グロ氏は、それを独占しているつもりですが、そうは参りません。 ぼくの頭の中にまだ生き生きと入れてありますから、家へ帰ったら、さっそくもう一度書き上げます。同書 pp.194-195
その後、モーツァルトの伝記を書き残したヤーン(Otto Jahn, 1813-69)の遺品から写譜(オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットの編成版)が見つかり、楽器編成が一部異なる(フルートでなくクラリネットになっている)が、それが失われた作品と推定され、旧モーツァルト全集(1886年)はその写譜を「補遺、オーケストラ作品 7a」として取り上げた。
さらに、ケッヘル第3版(1937年)でアインシュタインは二重番号を採用し、多数の曲の年代順を改めたが、その中で、その写譜に「K.297b」という番号を与え、付録ではなく本体に組み入れた。
しかしケッヘル第6版(1964年)では、ヤーンの遺品にあった写譜(K.297b)は疑作(Anh.C14.01)とし、本来あったはずのもの、すなわちケッヘル初版の K.Anh.9 を K.297B とし、「消失した作品」に位置づけた。
第6版は二重番号付けを採用しつつ、その後の研究成果を取り入れて再度年代順を改めたことによる。
その結果、初版・第3版・第6版それぞれに違う番号をもつ曲が出てきたのは周知の通り。
新全集(1980年)は第6版を踏襲している。
失われてしまった K.297B (Anh.9) を現代の研究者が統計的手法を応用し、彼の様式に従って復元する試みがなされ、その演奏もある。
〔演奏〕
CD [Testament SBT 1091] t=33'23 MONO サトクリフ (ob), ウォルトン (cl), ブレイン (hr), ジェームス (fg), カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団 1953年11月、ロンドン、Abbey Road スタジオ |
CD [PHILIPS 422 678-2] t=29'45 ブラック (ob), ブライマー (cl), シヴィル (hr), チャプマン (fg), マリナー指揮アカデミー 1976年6月、ロンドン |
CD [BVCD-38039] t=29'00 フッケ (ob), ダインツァー (cl), ボッキー (fg), レックスット (hr), コレギウム・アウレウム合奏団 1978年9月 |
CD [東芝 EMI TOCE-7795] t=30'31 ビエロフラーヴェク指揮ドヴォルザークCO 1980年6月、プラハ芸術家の家 |
CD [ポリドール POCG-1095] t=30'21 テーラー (ob), ディブナー (fg), シンガー (cl), パーヴィス (hr), オルフェウスCO 1989年12月、ニューヨーク |
CD [POCG-7117] t=30'21 ※同上 |
CD [UCCG-8040] t=30'19 アンダーソン (ob), コリンズ (cl), ワトキンズ (hr), アレクザンダー (fg), シノーポリ指揮フィルハーモニア管 1991年12月、ロンドン |
CD [R30E-1025/28] t=29'37 ピエルロ (ob), オンニュ (fg), ランスロ (cl), バルボトゥ (hr), グシュルバウアー指揮バンベルク交 演奏年不明 |
CD [TKCC-30605] t=31'03 スウィトナー指揮シュターツカペレ・ドレスデン 演奏年不明 |
CD [HUNGAROTON HCD 32169] t=29'30 Kalman Berkes (cl), Koji Okazaki (fg), Laszlo Gal (hr), Jozsef Kiss (ob), Janos Rolla (cond), Liszt Ferenc Chamber Orchestra, Budapest 2002年8月 |
〔動画〕
1、K6Anh.C14.01 = K3297b のソロのパートの音楽は K6297B = K1Anh.9 に直接関係がある。 2、ソロのパートの新たなインストゥルメンテーションは、1778年の数年あとに試みられたもので、4人の元のソリストたちの一人のために仕事をしている誰かによっての可能性がひじょうに大きい。 3、K6Anh.C14.01 = K3297b として知られている作品の稿は、未知の編集者によってもたらされた改訂したソロのパートにとづいた作り直しから成っているが、この編集者はたぶんまたインストゥルメンテーションも変えている。 4、編集者はかならずしも文字通りに自分が使ったソロのパートに従っていない。 彼は自分がそうしようと望む個所では素材に書き加えをして修正している。と考え、統計的手法とコンピュータを用いて復元したという研究成果を発表(1974年)した。[海老沢] p.193
さらに曲をコンピューターで分析していった。 その結論に基づきロバート・レヴィンは、失われたフルートのパートの「あるべき姿」を作り上げ、かつオーケストラ・パートを改造して短くし、モーツァルトがパリで作曲したときの姿に最も近いという形の協奏交響曲を復元した。その演奏は以下のCD(または動画)で聞くことができる。 もちろんこれは1778年4月5日にモーツァルトがパリからザルツブルクの父レオポルトに伝えた、「フルートのヴェンドリング、オーボエのラム、ヴァルトホルンのプント、ファゴットのリッターのためのサンフォニー・コンセルタント」そのものではなく、レヴィンが「その姿に最も近いという形」と考えているものである。
〔演奏〕
CD [PHILIPS PHCP-10364] t=28'21 ニコレ (fl), ホリガー (ob), バウマン (hr), トゥーネマン (fg), マリナー指揮アカデミー 1983年7月9〜10日、ロンドン ※ 復元とカデンツァはレヴィン Robert Levin による。 |
CD [PHILIPS 422 678-2] t=28'21 ※同上 |
〔動画〕
〔参考文献〕
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