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クラリネット協奏曲 イ長調 K.622
〔作曲〕 1791年9月29日?〜10月7日? ウィーン |
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ウィーン宮廷楽団のクラリネット奏者アントン・シュタドラーのために。 自作カタログには正確な完成日が記入されていない。 モーツァルトが書いた最後の協奏曲(死の2ヶ月前に完成)であり、その澄み切った曲想あるいは静かな諦観から、彼の「白鳥の歌」と呼ばれることもある。 ただし後述するように自筆譜はなく、編曲者不明の版として残されているので、ロイトゲープのために書いた「ホルン協奏曲ニ長調」(K.412)が「モーツァルトの最後の協奏曲」と言われるようである。
8月25日頃、モーツァルトは皇帝レオポルト2世のボヘミヤ王即位戴冠式を目指して、コンスタンツェとジュスマイヤーを伴い、プラハへ向かってウィーンを出発した。 8月28日に到着。 これは3度目のそして最後のプラハ旅行だった。 レオポルト2世は8月29日にプラハに到着したが、このときウィーン宮廷楽団も随行し、楽長サリエリが7人の宮廷楽士を連れて随伴した。 あとで宮廷楽士は20人に増員されたが、その中にクラリネット奏者シュタドラーが加わっていた。 皇帝レオポルト2世のボヘミヤ王即位式は9月6日に執り行なわれたが、その夜、モーツァルト自身の指揮により『ティトの仁慈』(K.621)が初演され、その後9月8日か9日にモーツァルト夫妻はプラハを離れ、12日頃にウィーンに戻った。 そのときクラリネット奏者シュタドラーはプラハにとどまったが、10月の演奏会のためにモーツァルトに作曲依頼したのだろう。 クラリネットという新しい楽器とその演奏の卓越した技量をもつシュタドラー兄弟(兄アントンと弟ヨハン)にすっかり惚れ込んでいたモーツァルトは喜んで作曲を約束したに違いない。 モーツァルトは未完のまま放置していたバセットホルンのための協奏曲楽章ト長調 K.621b(第3版では K.584b)を第1楽章に置き、シュタドラーのバセット・クラリネットのために書き改める形で作曲を始めたが、『魔笛』(K.620)の完成が9月28日(初演は9月30日)なので、たぶんその後(9月29日以降)に着手し、次の手紙にあるように、10月7日頃に書き上げたものと思われている。 モーツァルトはウィーン近郊バーデンに保養中の妻に次のように伝えている。
(1791年10月7日と8日)完成された曲はクラリネットの技術的能力が見事に発揮され、全音域と音色の可能性がくまなく追求された。 楽器編成にも作品全体に透明で抒情的な色合いを持たせるための工夫がなされた。
・・・ それから、おいぼれ馬を14ドゥカーテンで売った。 それからヨーゼフに頼んでプリームスを呼び、ブラック・コーヒーを手に入れてきてもらった。 それを飲みながら、すてきなパイプで煙草をふかした。 それから、シュタードラーのためのロンド楽章を、ほぼオーケストレーションし終えた。 その間、プラハのシュタードラーから手紙をもらった。 ドゥーシェク家の二人は元気とのこと。 どうやら、彼女はきみからの手紙を一通も受け取っていないらしいね。 でも、それは信じがたいな! その話はこれでよそう。 彼らはみんな、ぼくのドイツ語オペラのすばらしい評判を聞きつけている。[書簡全集 VI] p.688
モーツァルトは、オーケストラの背景に静かさを求めた。 かん高いオーボエの代わりにやわらかい音色のフルートを選び、通常と同様にホルンを用い、バセット・ホルンの稿にはなかったファゴット2本を加えることに決めた。そしてオカールが「ピアノ協奏曲イ長調」(K.488)について言った「モーツァルトのイ長調が常に帯びる、官能的であると同時に透き通るような和らげられた魅力」がこのクラリネット協奏曲に満ちている。[全作品事典] p.205
ところが不思議なことに、なぜかモーツァルトはこの曲を自作カタログに日付を入れずに記載している。 すなわち、9月28日に記入した「魔笛のための祭司たちの行進曲と序曲」のあとに、日付を書かず、下線だけを引いて、この作品を記載しているのである。 このあとそのカタログには「11月15日」の日付で、フリーメーソンのための小カンタータ「我らの喜びを高らかに告げよ」(K.623)が記載されるだけであり、いよいよ12月5日0時55分の最期のときを迎えることになる。 それらの曲が記載された自作カタログの最後のページはネット上で閲覧することができる。
ともあれ、このクラリネット協奏曲はプラハ滞在中のシュタドラーに送られ、10月16日、プラハ国民劇場でのシュタドラーの慈善演奏会で初演された。 ただしこのときの作品は、以下に述べるように、現在我々が聞いているものとかなり違うものだった。
シュタドラーはクラリネットの名手というだけでなく、その改良も試みていた。 そして通常のA管より低音域に長三度低い音の出せるというバセット・クラリネットを考案し愛用していた。 モーツァルトもその「シャリュモー」と呼ばれるクラリネット独特の低音域を好んでいた。 この曲はその楽器のために書かれたが、残念ながら自筆譜は紛失し、現在の典拠は1801年にオッフェンバッハのアンドレ社とライプツィヒのブライトコップ&ヘルテル社が出版したA管指定の初版譜である。
このアンドレの楽譜が刊行された時、『アルゲマイネ・ムージカリッシェ・ツァイトゥング』紙に批評が出たが、評者はこの曲のモーツァルトの自筆楽譜を持っていたらしく、アンドレの版では、至るところでクラリネットのパートの低音域が改造されていることを指摘し、「かなり訂正しなければならない」といっている。 残念なことに、その自筆の譜は残っていない。 しかし多くの誤りは、この批評をもとにして訂正することができるので、現在まで数個所が訂正されている。こうして、新全集(1977)ではエルンスト・ヘスによりほぼ原曲に近い形で復元されたといわれる版を先に置き、その次に通常のA管クラリネット版(編曲者不明)を収録している。 そしてこの協奏曲の原典とも言うべき断片楽章 K.621b(K³.584b)を補遺として加えている。[ランドン] p.82
たとえ編曲版であっても、クラリネットの不朽の名作として知られているこの曲を賞賛する人は多い。
独奏楽器の扱いでは、高音・中音・低音すべての音域が完全に使い尽くされ、しかも名人芸の陳列はまったくない。 自由なカデンツァの機会はない。 最高の単純さとその効果が、単なる名人芸の陳列と違うことを理解するには、クラリネットのもう一人の偉大な理解者であり愛好者であったカール・マリア・ウェーバーの類似の作品と比較すればよい。また、モーツァルトの音楽の捕らえどころのない魅力についても[アインシュタイン] p.389
クラリネットのようなリード楽器がこの音楽的ポエジーのなかにおけるように素晴らしいものにされたことはかつてなかった。 よく響くと同時に清澄で、饒舌でありながら穏やかで、官能的でありながら人間離れした、鋭さと柔和さとを兼ね具え、軽やかかと思うと(グラーヴェでは)本質の深みをみせるといったこの音色の可能性は、何一つないがしろにされていない。[オカール] p.182
〔演奏〕
CD [MCA Records 32XK-3] t=30'22 ウラッハ Leopold Wlach (cl), ロジンスキ指揮 Artur Rodzinski (cond), ウィーン国立歌劇場管弦楽団 Orchestra of the Vienna State Opera 1954年 |
CD [BMG ファンハウス BVCC-37316] t=28'28 グッドマン Benny Goodman (cl), ミュンシュ指揮 Charles Munch (cond), ボストン交響楽団 Boston Symphony Orchestra 1956年7月、タングルウッド、バークシャー音楽祭コンサートホール |
CD [CLASSIC CC-1099] t=30'38 プリンツ Alfred Prinz (cl), ベーム指揮 Karl Böhm (cond), ウイーンフィル Wiener Philharmoniker 1972年頃 |
CD [ポリドール F35L-50310] t=28'48 ペイ Anthony Pay (basset-cl), ホグウッド指揮 Christopher Hogwood (cond), エンシェント室内管弦楽団 Academy of Ancient Music 1984年, WALTHAMSTOW ASSEMBLY HALL, London |
CD [DELOS DE 3020] t=29'36 David Shifrin (cl), Gerard Schwarz (cond), Mostly Mozart Orchestra 1984年 ※ Mozart' original version -- played on an extended-range clarinet |
CD [COCO-78060] t=29'16 グレイザー David Glazer (cl), サイモン指揮 Jeffrey Simon (cond), イギリス室内管弦楽団 English Chamber Orchestra 1987年 |
CD [ERATO R30E-1026] t=28'06 ランスロ Jacques Lancelot (cl), パイヤール指揮 Jean-François Paillard (cond), パイヤール室内管弦楽団 Orchestre de Chambre Jean-François Paillard 1987年頃 |
CD [PHILIPS PCD-22] t=28'22 ライスター Karl Leister (cl), マリナー指揮 Sir Neville Marriner (cond), アカデミー Academy of St Martin in the Fields 1988年9月 |
CD [PHILIPS 422 675-2] t=28'22 ライスター Karl Leister (cl), マリナー指揮 Sir Neville Marriner (cond), アカデミー Academy of St Martin in the Fields 1988年9月 |
CD [EMI CDC 5 55155 2] t=24'47 マイヤー Sabine Meyer (basset cl), フォンク指揮 Hans Vonk (cond), シュターツカペレ・ドレスデン Staatskapelle Dresden 1990年 |
CD [UNITED 88010] t=27'27 Joan Enric Lluna (basset-cl), English Chamber Orchestra 1993年 |
CD [HUNGAROTON HCD 32169] t=27'00 Kalman Berkes (cl), Janos Rolla (cond), Liszt Ferenc Chamber Orchestra, Budapest 2002年 |
〔編曲〕
CD [BMG BVCC-8826] t=28'17 ゴールウェイ James Galway (fl), マータ指揮 Eduardo Mata (cond), ロンドン交響楽団 London Symphony Orchestra 1978年、ロンドン ※A.E.ミュラー(1767-1817)が編曲した「フルート協奏曲ト長調」K.622Gを元にゴールウェイ編曲 |
CD [BVCF-5003] (2) t=3'47 ニュー・ロンドン・コラール 1984年 |
CD [PCCY 30090] ディール (p), ウォン (bs), デイヴィス (ds) 2006年、編曲 |
〔動画〕
〔参考文献〕
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