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フルートと管弦楽のためのアンダンテ K.315 (285e)

  • ハ長調 2/4 ソナタ形式
〔編成〕 fl solo, 2 ob, 2 hr, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1778年初 マンハイム

1777年9月23日、モーツァルトは母と二人で就職活動のためパリに向かってザルツブルクを出発し、途中10月30日、マンハイムに到着。 そこに4ヶ月半滞在したが、ちょうどその頃、裕福な医師で音楽愛好家のドゥジャンが当地に滞在していた。 彼はフルートが上手だったらしく、モーツァルトはフルートと管弦楽のための作品を書き残す機会が生まれた。 そのうちの一つ、この「アンダンテ ハ長調」は、「フルート協奏曲第1番ト長調」(K.313)の別の第2楽章と推定されている。
ドゥジャンはフルートが上手だったというが、しかし彼のために作曲された協奏曲の第2楽章が注文主には難し過ぎるため、これが書かれたと考えられているのである。

この曲(K.313)はオランダの芸術保護者で素人音楽家だったド・ジャンに注文されたものである。 そしてモーツァルトが、フルートを好かなかったので、いやいや作曲に着手したことをわれわれは知っている。 しかしこの作品をよく知れば知るほど、そんなことは感じられなくなる。 緩徐楽章(ニ長調)ははなはだ個人的ですらあって、むしろ非常に幻想的で非常に独特なものになったとも言える。 ために注文者はどうにも扱いようがなかったにちがいない。 そこでおそらくモーツァルトは、このアダージョ・ノン・トロッポの代りに、もっと簡単で、もっと牧歌的または素朴なハ長調のアンダンテを入れなくてはならなかったのであろう。
[アインシュタイン] p.385
ただし、その確証はなく、フルート協奏曲第3番を書くつもりの一部かもしれず、はっきりしたことは分からない。 今では独立した小品としても知られている。 自筆譜は1778~79年のマンハイム・パリ旅行のときを含め、その直前・直後のザルツブルクで使われているものであり、また、それには第三者の手で上記タイトルが記されているという。

なお、フルート協奏曲第1番ト長調(K.313)は一般にドゥジャンのために、1778年1月か2月に、書かれたといわれているが、ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場のフルート奏者ヘンリク・ヴィーゼ(Henrik Wiese)は

モーツァルトがマンハイム・パリ旅行に出発する前に、すなわち1777年の7月に、姉のマーリア・アンナ(愛称ナンネルル)の霊名の祝日(7月26日)用に書き、これを宮廷楽団ヴァイオリン奏者兼フルート奏者カステル(正確にはヨーゼフ・トーマス・カッセル)が吹いたもの
[海老沢] p.194
と結論づけているという。 この推測が正しければ、モーツァルトはドゥジャンの依頼ですでに完成されていたフルート協奏曲第1番ト長調(K.313)の第2楽章だけをこの「アンダンテ ハ長調」で代用しようとしたのかもしれない。 さらにオーボエ協奏曲ハ長調(K.314)からドゥジャン用に編曲されたというフルート協奏曲第2番ニ長調もモーツァルトがマンハイムに旅立つ前に、やはりザルツブルク宮廷楽団のカッセルがすでに演奏していたのではないかという説がある。 モーツァルトがドゥジャンのために書いたのは以下の5曲ということになっている。
  1. フルート協奏曲 第1番 ト長調 K.313
  2. フルート協奏曲 第2番 ニ長調 K.314
  3. フルート四重奏曲 第1番 ニ長調 K.285
  4. フルート四重奏曲 第2番 ト長調 K.285a
  5. フルート四重奏曲 第3番 ハ長調 K.285b (Anh.171)
マンハイム滞在中のモーツァルトがザルツブルクの父へ宛てた手紙でこれらのフルート曲が「ドゥジャンのため」と知られているが、本当にドゥジャンのために書いたのか確証はない。 当時のモーツァルトの心境からすると、1日でも長くその地に滞在していたかった、できればそこで職にありついて定住したかった。 そのためドゥジャンというフルートの演奏が得意だった人物をもち出して、あいまいな話を作り上げ、父の目をごまかそうとしたのだろう。 しかし息子の浅知恵に騙されるレオポルトではなかった。 彼は「なぜこの私に嘘を書くのだ」と見破り、一刻も早く目的地パリへ向かうよう命じたのだった。
こうして現在では、モーツァルトがドゥジャンの依頼で本当に書いたのは『フルートとオーケストラのためのアンダンテ ハ長調』K315(K6285e)だけで、これは『第1番ト長調協奏曲』用の代替楽章と考えられる。
[海老沢] p.195

〔演奏〕
CD [PHCP-3918] t=6'32
ニコレ Aurele Nicolet (fl), ジンマン指揮 David Zinman (cond), 王立アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 Royal Concertgebouw Orchestra, Amsterdam
1978年6月、アムステルダム、コンセルトヘボウ
CD [BMG VICTOR BVCC-8825/26] t=6'40
ゴールウェイ (fl), ヨーロッパ室内管弦楽団
1984年
CD [EDITIO CLASSICA BVCD-1842] t=6'29
クイケン (fl), クイケン指揮ラ・プティット・バンド
1986年
CD [POCL-5243] t=5'33
ベズノシューク Lisa Besnosiuk (fl), ホグウッド指揮 Christopher Hogwood (cond), エンシェント室内管弦楽団 Academy of Ancient Music
1986年、ロンドン、Henry Wood Hall
CD [RVC R30E-1025-8] t=5'12
ランパル Jean-Pierre Rampal (fl), グシュルバウアー指揮 Theodor Guschlbauer (cond), ウィーン・フィル Wiener Symphoniker
演奏年不明(1987年頃)
CD [ビクター R25E-1003] t=6'02
ランパル (fl), スターン指揮エルサレム音楽センター
1987年
CD [PHILIPS 422 509-2] t=5'56
グラフェナウアー (fl), マリナー指揮
1988年

(オーボエ演奏)
CD [SONY SRCR-8966] t=7'03
宮本文昭 (ob), ガルシア指揮イギリス
1985年
CD [キング KICC-7274] t=21'19
ゴリツキ (ob), ライスキ指揮ポーランド・チェンバー
1992年

〔動画〕

〔参考文献〕

 

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2015/01/25
Mozart con grazia