Mozart con grazia > ヴァイオリンのための曲 >
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コンチェルトーネ ハ長調 K.190 (186E)

  1. Allegro spiritoso ハ長調
  2. Andantino grazioso ヘ長調
  3. Tempo di menuetto, Vivace ハ長調
〔編成〕2 solo vn, 2 ob, 2 hr, 2 tp, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕1774年5月31日 ザルツブルク
1774年5月






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自筆譜に上記日付が書かれてあるが、もっと早い「1773年5月3日」とも読める不明瞭な日付もあるという。 そのためであろうか、アインシュタインは「1773年5月のはじめ、モーツァルトは一つの《コンチェルトーネ》に着手した」と書いている。

「2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ」として呼ばれているが、ただし自筆譜のタイトルは「コンチェルトーネ」だけである。 コンチェルトーネとは「大協奏曲」と訳されることもあるが、これといった明確な区別がつけられず、協奏交響曲(シンフォニア・コンチェルタンテ)と同じように、協奏曲(コンチェルト)と交響曲の中間的なジャンルの音楽で、1770年代前半に北イタリアからオーストリアにかけての地域で愛好されていたという。 独奏楽器がヴァイオリンだけとは限らず、オーボエとチェロも加わったり(第2楽章カデンツァなど)、また独奏楽器に名人芸が求められることもなく、協奏曲より自由な形式の娯楽音楽ともいえる。 そのせいか、第2・第3楽章では一瞬「チェロ協奏曲」のような雰囲気が楽しめる部分もある。

二つのヴァイオリン、独奏オーボエ、チェロのための、いわばコンチェルト的な豪華な見せもの風の作品である。 チェロは第一楽章ではほとんど目立たないが、緩徐楽章アンダンティーノ・グラツィオーソや、フィナーレの速められたテンポ・ディ・メヌエットでは、《コンチェルティーノ》を四重奏に拡大する役割を持っている。
[アインシュタイン] pp.373-374
モーツァルトが残した「コンチェルトーネ」作品はこの一曲だけであり、そのジャンルで若いモーツァルトが残した自信作。 また、父レオポルトも高く評価していた。 アインシュタインはこの曲が独奏楽器の名手が際立つようには書かれていないにもかかわらず、それでいて協奏曲のように「見せる」ことに成功している点に、しかも17・18歳の青年(少年?)がそれを成し遂げていることに驚嘆している。
作品全体も、二部構成のヴィオラを持つオーケストラも、コンチェルト的な熱意、生き生きとした装飾音型、生き生きとした《ガラントな》模倣、といったものの火花を散らせるのである。 17歳になるかならずでこのような作品を作り得た形式上の老練ぶり、ここに十分な満足を見いだした彼の技術上の功名心は驚嘆に価いする。
同書
のちに、1777年9月、21歳のモーツァルトは母と二人で就職活動のためパリを目指して旅立つ。 そのときこの曲を持って行き、途中滞在したマンハイムで演奏する機会があった。 それは12月11日の父からの手紙に書かれてあった「マンハイムではセレナード『ハフナー K.250』、『コンチェルトーネ』、あるいは『ロドロン・セレナード K.247』または『第2ロドロン・セレナード K.287』の一つでも演奏できなかったのか?」に対する返事で
ぼくはヴェンドリングさんに、ぼくのコンチェルトーネをクラヴィーアで弾いて聴いてもらいました。 彼が言うには、「これはまったくパリにむいている」ということでした。 バッハ男爵に聴いてもらったとき、彼はわれを忘れていましたっけ。
[書簡全集 III] p.355
と報告している。 ここでモーツァルトがバッハ男爵(Baron Bach)と書いているのはバッゲ・アフ・ボー(Karl Ernst Freiherr von Bagge af Boo, 1718?-91)という人物であるが、レオポルトも彼の名前を正確には知らなかった。 そのレオポルトがマンハイム滞在中のモーツァルトにこの男爵についてかなり細かいことまで伝えているのはさすがである。
1778年3月
彼は私の知るかぎり、プロイセンあるいはそのあたりの出の貧乏男爵で、パリで大金持の帽子職人の娘さんと結婚しました。 その後、彼らのあいだでいろんなごたごたがもち上がり、私たちが帰国したあと、夫婦はおたがいに醜い争いになり、たいへんな訴訟争いにまでなってしまって、あげくの果てには、噂だと、奥さんは修道院に身を隠してしまったとのことです。 彼は熱心な音楽愛好家です。 彼はいつも自宅でコンサートをしていたし、たぶん今でもやっているでしょう。 このコンサートのほかにも、彼は常時幾人か、つまりヴァルトホルン奏者を二人(その一人がエーナです)、オーボエ奏者を二人、コントラバス奏者を一人などかかえていて、彼らにはいつも金を払っていましたが、わずかしかやらないのに彼らが仕事をしたのは、それがいくらか長続きするものだからです。 その上彼は、彼のところにやってきた外国の名手たちをみんな頼りにしていました。 というのも、・・・(以下略)
同書 p.576
そしてレオポルトは肝心なアドバイスを忘れない、すなわち「この人は立派な曲に対してはすぐになにか支払ってくれる」のだから
愛するヴォルフガングよ、おまえは初めには、おまえのいちばん出来の良い曲以外は彼のところでは演奏してはいけません。 そうすれば、おまえはすぐにも信用が得られます。
と指示している。 男爵邸の音楽会にモーツァルトも「ちゃんとした曲を試演する機会」があったようであるが、ただし彼はただの音楽愛好家に過ぎず、モーツァルトは何も得るものはなかった。 のちにレオポルトもバッゲ男爵は「まったく馬鹿な老いぼれ」だと突き放した。 さらに余談であるが、ヴァルトホルン奏者エーナ(当時49歳)こそはモーツァルトがパリで知り合った人物の中でも最重要人物であった。

第1・第2楽章にはモーツァルト自身によるカデンツァがある。

〔演奏〕
CD [DENON 33C37-7507] t=27'07
カントロフ Jean-Jacques Kantorow (vn), マルティノーヴァ Olga Martinova (vn), ステンヘンガ Herre-Jan Stegenga (vc), メイヤー Hans Meijer (ob), ハーガー指揮 Leopold Hager (cond), オランダ室内管 Netherland Chamber Orchestra
1984年5〜6月、アムステルダム、ヴァールス教会
CD [KICC 9308/10] t=29'27
グッリ Franco Gulli (vn), トーゾ Pieto Toso (vn), ブルネッロ Paolo Brunello (ob), キャンパン Gianni Chiampan (vc), ジュランナ指揮 Bruno Giuranna (cond), パドヴァ室内管弦楽団 Orchestra da Camera di Padova e del Veneto
1987年4月
CD [CBS SONY 30DC 5189] t=28'04
ランパル Jean-Pierre Rampal (fl), 工藤重典 Shigenori Kudo (fl), シュナイダー Josef Schneider (vc), シュラッハター Wolfgang Schlachter (ob), ザルツブルク・モーツァルテウム Mozarteum Orchester Salzburg
1988年11月、東京、津田ホール
CD [BMG ARTE NOVA BVCC-6012] t=20'47
ホック Wolfgang Hock (vn), レーマン Willi Lehmann (vn), オット Alexander Ott (ob), オステルターグ Martin Ostertag (vc), ギーレン指揮 Michael Gielen (cond), 南西ドイツ放送交 SWF Symphony Orchestra
1989年6月24日、南西ドイツ放送局
CD [KKCC-9046] t=28'11
スーク Josef Suk (vn), フルチェク Oldrich Vlcek (vn), Jan Kolar (ob), Michal Kanka (vc), ヴィルティオージ・プラハ Virtuosi di Praga
1992年10月、プラハ

〔動画〕
[http://www.youtube.com/watch?v=8S_dqAJTIJk] t=25'35
Anna Hölblingova (vn), Quido Hölbling (vn), Slovak Chamber Orchestra, Bohdan Warchal (cond)

〔参考文献〕

 

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2012/03/25
Mozart con grazia