Mozart con grazia > 弦楽または管楽のための協奏曲 >
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バセットホルン協奏曲 ト長調 K3.584b / K6.621b

〔編成〕 basset hr, 2 fl, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1787~91年 ?

断片 199小節。 ウィーン宮廷楽団のクラリネット奏者アントン・シュタドラーのために書かれたクラリネット協奏曲(K.622)の草稿とみられ、直前の K.621bに置かれている。

自筆楽譜は現在スイスのリヒェンベルク財団の所有となっており、ヴィンタートゥール市立図書館に保存されている。 12段譜表横長五線紙24ページで、199小節の総譜状の未完成曲である。 独奏声部のみが通して書かれ、伴奏声部は主として第1ヴァイオリンとバスのみ記入されているが、中間声部も15小節、25小節、31小節以下、39小節以下、64小節以下、128小節以下がスケッチされている。 180小節以降は後から書かれたらしく先のとがったペンが使われ、何の断りもなくイ長調に変化している。
[野口]
作曲された動機、時期は不明。 アインシュタインは、モーツァルトが1789年9月にシュタドラーのために書いた「クラリネット五重奏曲」(K.581)との関連から、ケッヘル第3版で1789年10月~12月の間と考え、K.584bに位置づけ、次のように推測していた。
モーツァルトはおそらく1789年末に、第1楽章を元来はバセットホルンのためにスケッチしたのだが、1791年10月に再び手がけ、ト長調からイ長調に移調し、友人であったクラリネット奏者《シュタットラー兄》のために増補完成したのである。
[アインシュタイン] p.389
その後、位置づけが見直され、「モーツァルトがある作品の草稿を転用する場合には、その間にあまり時間を置いていないことから」第6版では「クラリネット協奏曲イ長調」(K.622)の直前 K.621bとされた。 しかし、そのクラリネット協奏曲の1年か2年前に作曲されたという説(ロビンズ・ランドン)もあり、また、タイソンの五線紙の研究から1787年の可能性もあるとされ、現在ではいずれにしても「クラリネット協奏曲イ長調」の直前ではなく、もっと前に書いていたが何らかの理由で放置されていた断片を改訂しつつ完成させたのが「クラリネット協奏曲イ長調」であると見られている。 もしかしたらその完成されたクラリネット協奏曲が「自作目録」に日付なしで記載されていることにも隠された事情の一端があるのだろう。
179小節まで書いたところでモーツァルトは、演奏の機会が差し迫ったものではない(あるいはなくなった)ため、その草稿をしばらく放っておくことにしたのであろうと思われる。
<中略>
しかし、広く演奏会で新しい楽器とその考案者を紹介するために(恐らく要請もあって)、協奏曲を書く必要が再び生じたことは想像に難くない。 そこでモーツァルトは贔屓の旧来の楽器による草稿を引っぱり出して見直したものと思われる。
[野口]
その演奏会(の一つ)とは1791年10月16日のプラハにおける慈善演奏会であり、シュタドラーにより「クラリネット協奏曲イ長調」(K.622)が初演されたのだった。 モーツァルトは妻コンスタンツェと弟子ジュスマイヤーを伴ってプラハを訪問していたが、その演奏会に立ち会うことなく、9月中旬ウィーンに帰っている。

この曲については野口秀夫氏による研究論文「協奏曲楽章 K.584b(621b) 〜バセットホルンとバセットクラリネット」(1998)があるので、詳細はそちらのページで確認のこと。

〔動画〕

〔参考文献〕


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2016/03/13
Mozart con grazia