モーツァルトのピアノソナタは1775年に(19歳のとき)デュルニッツ男爵のために書いた6曲から始まる。
そのため、その6曲は「デュルニッツ・ソナタ集」と呼ばれている。
ここで疑問が生れる。
あれほどの早熟の天才が、しかも鍵盤楽器の演奏について数々の驚愕すべきエピソードを残していたにもかかわらず、なぜこのジャンルの作品の誕生が遅いのか。
アインシュタインの言葉を借りれば
モーツァルトははじめのうちはピアノ・ソナタまたは変奏曲を書きとめる必要を感じなかったが、それは、彼がそういう曲を即興演奏したからである。
だから、1766年のはじめハーグで出版された変奏曲(K.24, 25)は、天才児の即興演奏の公開された記録にほかならない。
ごく僅かあとの数曲のソナタは、一時は姉が所有していたが、失われてしまった。
四手のための作品はどうしても書きとめられなくてはならないので、そういう数曲の作品だけが書きとめられている。
1765年のソナタ(K.19d)、1772年のソナタ(K.381)、1774年のソナタ(K.358)である。
これら三曲ともに姉と彼自身による演奏のためのものである。
[アインシュタイン p.329]
というのがもっともな理由である。
また、時代背景として、鍵盤楽器ではチェンバロに代わってピアノという楽器が登場し始める頃であり、そもそもピアノソナタというジャンルそのものがまったく新しい領域だったこともある。
そんな時期の1774年12月、モーツァルトはオペラ「偽の女庭師」上演の機会を得て、父とともにミュンヘンを訪れた。
そこでフォルテピアノという新しい鍵盤楽器と出会ったのである。
モーツァルトはその優れた楽器の持つ表現力と未知の可能性に対して大きな関心を抱き、一気に6曲のピアノソナタを書き上げた。
この最初の6曲のソナタには作曲者自身の手で1番から6番までの番号が付けられ、また調性についても、ハ長調から始めて、ヘ長調(第2)・変ロ長調(第3)・変ホ長調(第4)・ト長調(第5)・ニ長調(第6)と循環するようにしているので、連作としての意図が強く感じられるものである。
これらの作品について、「ロココ趣味の時期の作品であり、相当無駄がある」(オカール)という評価もあるが、しかし、モーツァルトには新しいジャンルを切り開くつもりの意気込みがあり、2年後のアウクスブルクからパリへの旅行でも、この6曲をよく演奏していた。
なお、これらの作品のきっかけを与えてくれたタデウス・フォン・デュルニッツ男爵(Thaddäus von Durnitz 1756?-1803)はミュンヘンのバイエルン選帝侯の侍従で音楽愛好家であり、ファゴット演奏に優れていたらしく、モーツァルトはファゴット作品も彼のために書いたことでも知られている。
デュルニッツは代金をなかなか支払わなかったという余談もある。
その6曲からはじまり、モーツァルトのピアノソナタは以下のように並び、シュタインのフォルテピアノと出会ってからの作品K.309 (284b)から霊感あふれる作品が生れてゆく。
■完成作品
- K.279 (189d) ハ長調 1775年 ミュンヘン
I. Allegro ハ長調 II. Andante ヘ長調 III. Allegro ハ長調
- K.280 (189e) ヘ長調 1775年 ミュンヘン
I. Allegro assai ヘ長調 II. Adagio ヘ短調 III. Presto ヘ長調
- K.281 (189f) 変ロ長調 1775年 ミュンヘン
I. Allegro 変ロ長調 II. Andante amoroso 変ホ長調 III. Allegro 変ロ長調
- K.282 (189g) 変ホ長調 1775年 ミュンヘン
I. Adagio 変ホ長調 II. Menuetto 変ロ長調 III. Allegro 変ホ長調
- K.283 (189h) ト長調 1775年 ミュンヘン
I. Allegro ト長調 II. Andante ハ長調 III. Presto ト長調
- K.284 (205b) ニ長調 1775年2月か3月 ?
I. Allegro ニ長調 II. Andante イ長調 III. Andante ニ長調
- K.309 (284b) ハ長調 1777年 マンハイム
I. Allegro con spirito ハ長調 II. Andante un poco adagio ヘ長調 III. Allegretto grazioso ハ長調
- K.310 (300d) イ短調 1778年 パリ
I. Allegro maestoso イ短調 II. Andante cantabile con espressione ヘ長調 III. Presto イ短調
- K.311 (284c) ニ長調 1777年 マンハイム
I. Allegro con spirito ニ長調 II. Andante con espressione ト長調 III. Allegro ニ長調
- K.330 (300h) ハ長調 1783年 ウィーン か ザルツブルク
I. Allegro moderato ハ長調 II. Andante cantabile ヘ長調 III. Allegretto ハ長調
- K.331 (300i) イ長調 (トルコ行進曲つき) 1783年 ウィーン か ザルツブルク
I. Andante grazioso イ長調 II. Menuetto イ長調 III. Allegretto イ短調
- K.332 (300k) ヘ長調 1783年 ウィーン か ザルツブルク
I. Allegro ヘ長調 II. Adagio 変ロ長調 III. Allegro assai ヘ長調
- K.333 (315c) 変ロ長調 1783年 リンツ
I. Allegro 変ロ長調 II. Andante cantabile 変ホ長調 III. Allegretto grazioso 変ロ長調
- K.457 ハ短調 1784年 ウィーン
I. Allegro ハ短調 II. Adagio 変ホ長調 III. Molto Allegro ハ短調
- K.545 ハ長調 1788年 ウィーン
I. Allegro ハ長調 II. Andante ト長調 III. Allegretto ハ長調
- K.570 変ロ長調 1789年 ウィーン
I. Allegro 変ロ長調 II. Adagio 変ホ長調 III. Allegretto 変ロ長調
- K.576 ニ長調 1789年 ウィーン
I. Allegro ニ長調 II. Adagio イ長調 III. Allegretto ニ長調
- K.533 & 494 ヘ長調 1788年 ウィーン
I. Allegro ヘ長調 II. Andante 変ロ長調 III. Allegretto ヘ長調
■断片など
- K.312 (590d) ト短調 (未完) 1790年 か 91年 〃
- K.400 (372a) 変ロ長調 (ゾフィーとコンスタンツェ/未完) 1781年? ウィーン
- K.Anh.29 (590a) ヘ長調 (断片) 1786〜90年? 〃
- K.Anh.30 (590b) ヘ長調 (断片) 〃 〃
- K.Anh.31 (569a) 変ロ長調 (断片) 1787〜89年 ウィーン
- K.Anh.37 (590c) ヘ長調 (断片) 〃 〃
- K.Anh.135 (547a) ヘ長調 (疑作)
- K.Anh.199 (33d) ト長調 (紛失) 1766年 ?
- K.Anh.200 (33e) 変ロ長調 (〃) 〃 〃
- K.Anh.201 (33f) ハ長調 (〃) 〃 〃
- K.Anh.202 (33g) ヘ長調 (〃) 〃 〃
- K.___ ピアノ・ソナタ ハ長調(断片) 1771年 ?
■引用文献
- [アインシュタイン]
アルフレート・アインシュタイン 「モーツァルト、その人間と作品」 浅井真男訳、白水社 1997 (復刊)
2009/06/07