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ホルン協奏曲 第2番 変ホ長調 K.417
〔作曲〕 1783年5月27日 ウィーン |
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旧知の親友ロイトゲープ(モーツァルトは彼をライトゲープと書いていた)のために。 第1番とされていた協奏曲 K.412 が最晩年の作品としてずっと後ろに置かれたため、この曲がモーツァルトのホルン協奏曲では最初の作品となる。 この作品のもっとも奇妙な特徴は自筆譜に「ヴォルフガング・アマデ・モーツァルト、ロバ、牡牛、馬鹿のライトゲープを憐れむ、ウィーンにて、1783年5月27日」と記されていることかもしれない。 二人の間柄は遡ること20年以上前からになる。 1763年6月、モーツァルト一家は3年半にも及ぶ西方への大旅行に出発したが、その年の8月20日、父レオポルトはザルツブルクの家主ハーゲナウアー宛ての手紙で次のように書いている。
旅行をはじめてから、たしかアウクスブルクでだったと思いますが、一度、ヴォルフガングは朝目を覚ましたとき、泣き出しました。 私がなぜ泣くのだとききますと、ハーゲナウアーさん、ヴェンツェルさん、シュッピツェーダーさん、ダイブルさん、ライトゲープさん、フォークトさん、カイエターンさん、ナーツェルさんなど、それにほかのお友だちにも会えないのが悲しいの、と言いました。このときモーツァルトは7才、ロイトゲープは31才である。 その後ロイトゲープは1777年にウィーンに移り、妻バルバラ(Barbara Plazerian, 1733-85)の父親からチーズ販売店を受け継いだ。 そのかたわらホルンを演奏していたという。 彼が優れたホルン奏者だったことは彼のために作曲された多くの作品からうかがい知ることができる。[書簡全集 I] p.79
モーツァルトがウィーンに定住するのは1781年からであるが、この曲に記された上記の言葉に現れているように、悪ふざけをし合うほどに気の置けない間柄だったという。 ソロモンは「ロイトゲプはモーツァルトより十歳ほど年長であったが、彼は進んでバカになり、宮廷の道化役のような役を演じていたのではないかと思える」と言っている。 ロイトゲープに対するこのような悪ふざけはニ長調の協奏曲(第1番)K.412 のロンド楽章スケッチで独奏ホルンが演奏する部分には「静かに、ロバ君、勇気を出せ、早く、つづけろ、元気を出せ、頑張れ、畜生、ああ、なんという調子っぱずれだ…」と書いていることや、変ホ長調の協奏曲(第4番)K.495 が4色のインクで書き分けられていることでも知られているが、それらは単純な悪ふざけの一端だったのだろうか。 1783年の時点でモーツァルト27歳、ロイトゲープ51歳。 アルコールの影響があったのだろうか? 普通に考えて、24歳も年長のロイトゲープが「進んで道化役を演じる」ことに違和感を覚える。 ところが、オットー・ヤーン(Otto Jahn, 1813-69)がモーツァルトの伝記の中で、まるで見てきたかのように悪ふざけのようすを記述したことから後世はその伝承を引き継ぎ、上記のソロモンの言葉などにあるように、今にいたるまで繰り返し語られている。
モーツァルトが交響曲や協奏曲の楽譜を床に散らし、それをロイトゲープが四つんばいになって拾い上げ、ページをそろえるのでなければ、机に向かってホルン協奏曲を作曲してやらなかったといわれている。 またあるときには、モーツァルトが作曲する間、ロイトゲープはストーブの後ろで跪いていなければならなかった。 「ロイトゲープをからかわずにはいられない」と語ったと伝えられているが、この姿はおかしくもあり、同時に悲しくもある。しかしこの逸話の真偽のほどはまったくわからず、むしろ信憑性はきわめて疑わしいと言わざるを得ない。 おそらくこの逸話は憶測から生まれた創作であろうと思われる。[全作品事典] pp.200-201
ヤーンはボンの大学教授で、考古学と文献学を専門とするかたわら、美学や音楽にも深い関心を抱いていた。 そして4巻からなるモーツァルトの伝記を1856年から59年にかけて完成した人物である。
そのモーツァルト伝においては、考古学的、文献学的アプローチが影響を及ぼしている。 彼はモーツァルトが遺した手紙や同時代人の記録、そしてなによりも彼の音楽作品といった実証的資料にもとづきつつ、生涯と作品を詳説してゆく方法をとった。そして上記の逸話は「モーツァルト伝」第2版の第2巻(1867年)以降から取り入れられているものであるが、とても実証的資料で裏付けられたとは言い難い。 と言うのも、その根拠としているのはゾンライトナー(Leopold Edler von Sonnleitner, 1797-1873)から得た情報であるというからである。[小宮] p.165
当該逸話はライトゲープの亡くなった年の年号(1811年)を伝える情報とともに載せられている。 ゾンライトナーはシューベルトの友人で音楽愛好家であった。 だが、ライトゲープが亡くなった時に14歳だったことを考えると彼自らがライトゲープ本人から聞いた話ではなさそうだ。それではゾンライトナーはどこから誰からこの逸話を聞いたのだろうか。 もしかすると、彼の音楽仲間うちで「モーツァルトの楽譜にはロイトゲープを馬鹿にするようなメモが書かれている」という話(それは事実)に尾ひれがついて前述のような逸話がまことしやかに形成されていっただけなのかもしれない。 そして実際にあった話として、1867年の少し前にヤーンのアンテナに届き、真偽のほどが確認できないまま記述されたのかもしれない。 1811年のときヤーンはまだ生まれていない。 それから年が流れ、「モーツァルト伝」第2版が刊行されたとき、ヤーンは54歳そしてゾンライトナーは70歳である。 ヤーンからすれば、ゾンライトナーは昔のことをよく知っている信用できる知識人に見えていただろう。 とにかく、ヤーンの伝承を鵜呑みにして、この逸話をいつまでも繰り返すことはおしまいにすべきだろう。[野口] p.306
こうした楽譜の書きぶりは、従来ロイトゲープをからかっての遊びからと解釈されてきた。 しかし『新全集』版の編集者フランツ・ギークリングは、これはたんなる諧謔ぶりを示すものではなく、デュナーミク(強弱の変化)その他こまかな演奏上の変化を指示するためのものであると指摘している。なお、変ホ長調の協奏曲(第4番)K.495 が4色のインクで書き分けられていることについては[野口]による非常に精密な研究がなされ、そこには作曲家と演奏家の間で高度のやりとり(遊び)があったであろうことが明らかにされている。[書簡全集 VI] p.293
〔演奏〕
CD [EMI TOCE-3042] t=13'39 ブレイン Dennis Brain (hr), カラヤン指揮 Herbert von Karajan (cond), フィルハーモニア管弦楽団 The Philharmonia Orchestra 1953年11月 |
CD [RVC R30E-1025-8] t=14'02 ヴェスコーヴォ Pierre Del Vescovo (hr), パイヤール指揮 Jean-François Paillard (cond), パイヤール室内管弦楽団 Orchestre de Chambre J-F. P. 演奏年不明 |
CD [TKCC-30621] t=13'14 ダム Peter Damm (hr), プロムシュテット指揮 Herbert Blomstedt (cond), シュターツカペレ・ドレスデン Staatskapelle Dresden 1974年3月、ドレスデン・ルカ教会 |
CD [POCL-5139] t=12'51 タックウェル Barry Tuckwell (hr, cond), イギリス室内管弦楽団 English Chamber Orchestra 1983年6・7月、ロンドン Henry Wood Hall |
CD [PHCP-10597] t=13'20 バウマン Herman Baumann (hr), ズカーマン指揮 Pinchas Zukerman (cond), セント・ポール室内管弦楽団 St. Paul Chamber Orchestra 1984年10月、ミネソタ、セント・ポール |
CD [ミュージック東京 NSC166] t=14'40 ハルステッド Anthony Halstead (natural hr), グッドマン指揮 Roy Goodman (cond), ハノーヴァー・バンド The Hanover Band 1987年7月、トゥーティング、オール・セインツ教会 |
CD [PHILIPS 422 509-2] t=13'21 ダム Peter Damm (hr), マリナー指揮 Sir Neville Marriner (cond), アカデミー室内管弦楽団 Academy of St Martin in the Fields 1988年1月、ロンドン |
CD [OLYMPIA OCD 470] t=13'11 Herman Jeurissen (hr), グッドマン指揮 Roy Goodman (cond), オランダ室内管弦楽団 Netherlands Chamber Orchestra 1996年11月、アムステルダム The Beurs van Berlage |
CD [Grammofon BIS-CD-1008] t=12'45 Christian Lindberg (hornbone = alto trombone), カントロフ指揮 Jean-Jacques Kantorow (cond), タピオラ・シンフォニエッタ Tapiola Sinfonietta 1998年11月、フィンランド The Tapiola Concert Hall |
〔動画〕
〔参考文献〕
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