Mozart con grazia > ヴァイオリン曲 >
17
age
61
5
62
6
63
7
64
8
65
9
66
10
67
11
68
12
69
13
70
14
71
15
72
16
73
17
74
18
75
19
76
20
77
21
78
22
79
23
80
24
81
25

82
26
83
27
84
28
85
29
86
30
87
31
88
32
89
33
90
34
91
35
92

ヴァイオリンのための協奏風ロンド K.373

  • Allegretto grazioso ハ長調 2/4 自由なロンド形式
〔編成〕 solo vn, 2 ob, 2 hr, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1781年4月2日 ウィーン
1781年4月






1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30





ウィーンの「ドイチェ・ハウス」で4月8日に催された音楽会のために、コロレド大司教の求めに応じて作曲。 大司教に同行していたザルツブルク宮廷楽団のヴァイオリン奏者ブルネッティが演奏した。

コロレド大司教は父親のルドルフ・コロレド侯爵(Rudolph Joseph Graf Colloredo-Mels und Wallsee, 1706-88, 帝国副宰相の地位にあった)の病気見舞いのため、ウィーンに滞在していた。 長期間にわたる滞在であったため、ザルツブルク宮廷楽団を伴っての旅だった。 大司教は伯父カール・コロレド伯爵(Carl Graf Colloredo, 1718-86)の館でドイツ騎士団の宿舎でもあった「ドイチェ・ハウス」(左の写真「聖シュテファン大聖堂」の近くにあった)に泊っていた。 そして、大司教はモーツァルトにすぐウィーンへ来ることを命じた。 モーツァルトが予定の休暇を大幅に伸ばして、ミュンヘンで自由に行動しているのを咎め、ウィーンでザルツブルク宮廷楽団に合流させ、演奏活動と作曲をさせるためだった。 大司教の従僕に過ぎないモーツァルトはウィーンへ向い、3月16日ウィーン着。 結果的にこの日からモーツァルトはウィーンの人となる。

しかしウィーンでは当然のことながら大司教から冷たくあしらわれ、従僕としての身分を思い知らされることになる。 モーツァルトは大司教のほか大司教に仕える高官も泊っていた「ドイチェ・ハウス」に(自立する5月まで)泊まることになり、同行していた音楽家ブルネッティやチェッカレリは別の宿に泊っていたことに比べると、決して粗末に扱われたわけではないが、モーツァルトにとってそれは「牢屋」にいるのと同じことだった。 ヨーロッパ各地を歩いて自由思想を肌で感じ、また自分の力量に高い自信とプライドを持っていたモーツァルトは、自由な生き方を求めて5月についに独立することになる。 この辺の経緯は音楽史上もっとも有名な話の一つであり、後世に残された手紙から生々しいやりとりを読むことができが、モーツァルトは主人の大司教を「ぼくの邪魔者である」と言い切っている。 自分の意思で自由に活動できたらウィーンではいくらでも稼げるのに、それができない現実を打ち破ろうとする若者と、世の中はそんなに甘いものではないから現実を受け入れるようにと説得する父親のやりとりは古今東西不変であるようだ。

1781年4月4日、父へ
ここはすばらしいところで、ぼくの仕事に世界一合っています。 誰しも同じことを言うでしょう。 それに、ぼくは当地が気に入っていますし、だからこそぼくの全力をあげて稼ぎたいと思います。 ぼくの唯一の目的は、できるだけお金を稼ぐことにあると信じてください。 なぜなら、お金は健康についで最上のものですから。
[書簡全集V] p.28
自分の才能を過信したあげく、乞食芸人となって落ちぶれてしまうことがわからないほど自分はバカではないことを、父が一番納得するであろう金儲けという目的を具体的な数字をあげてはっきり書いている。 この曲はこのような切羽詰まった最中に作られたもので、たいへん意義深いものがある。

4月8日に、モーツァルトにとって大司教というもう一方の煩わしい父のための音楽会が催されることになり、いくつかの曲を急いで用意することになった。 この曲はヴァイオリニストのブルネッティのために作曲(自筆譜は行方不明だが、4月2日の日付けがあったという)され、その演奏会で初演された。 このような機会音楽に属する作品ではあるが、いつものように決してやっつけ仕事ではなく、完璧で魅力的に仕上がっている。

これはいとわしい主人、大司教の父のもとでの或る音楽会の夕べ(1781年4月8日)に、ヴァイオリニストのブルネッティが演奏するために作曲された。 これが独立して演奏されたのか(それはありそうなことである)、それとも他人のコンチェルトのフィナーレのための補充曲として演奏されたのか、わたしは知らない。 いずれにせよ魅力ある曲である。 モーツァルトは、日課の仕事を提供しなければならない場合にも、日課の仕事以上のものを与えているのである。
[アインシュタイン] pp.383-384
このような音楽会には申し分のない作品に仕上がっているものの、ザスローは物足りないものを感じている。
しかし、モーツァルトの他のヴァイオリン協奏曲のロンドと比較すると、この曲は短く、それほど本格的に仕上げられていない。 他の言い方をするならば、もしモーツァルトが他の2つの協奏曲を作曲した後でこのロンドを「フィナーレとして」作曲していたならば、このような文句なしに楽しい機会音楽作品よりもやや重厚な曲を書いていたことであろう。
[全作品事典] p.191
さて、その演奏会のあと筆まめなモーツァルトは、音楽会の出演者チェッカレリにつきまとわれつつも、ザルツブルクの父へ手紙を書いている。
1781年4月8日
ぼくが何よりも嬉しく思い、またふしぎに思ったのは、驚くほどの静粛さと、演奏のさ中にブラヴォーという叫びが上がったことです。 こんなに大勢のピアニストが、しかも優秀なピアニストがいるヴィーンでは、これは確かに非常な名誉なことです。
これを書いているのは夜の11時ですが、今日ぼくたちは、発表会を催しました。 そこでぼくの曲が3曲演奏されました。 もちろん新作です。 ブルネッティのための協奏曲に属するロンド(K.373)と、ぼくがピアノを弾くヴァイオリン伴奏つきのソナタ(K.397) これは昨夜11時から12時までに作曲したのですが、一応仕上げてしまうために、ブルネッティのための伴奏の部分だけを書いて、自分のパートは頭の中に入れておきました。 それからチェッカレリのためのロンド(K.374)ですが、これはあの人が繰り返して歌わされました。
[手紙(上)] pp.242-243
そのザルツブルク宮廷音楽家による演奏会は大成功で、27日にも開かれた。 ザルツブルク宮廷楽団のオーナーである大司教は大いに「虚栄心をくすぐられた」が、逆にモーツァルトの方はウィーンで独立してやっていける自信をますます深めることになった。 双方の利害関係は決定的になったと言っても過言ではない。 その意味で、この曲はモーツァルトの転換期に位置する重要な作品の一つである。 並の人間なら、自分の欲求不満をブチまける曲を書くかもしれないが、そんなものは父レオポルトへの手紙の中だけにして、作品の方は何事もないかのようにあくまでも音楽的な美を追求して仕上げているのは、さすがモーツァルトである。 あるいは不用意に不満を漏らすような曲を作り、多くの著名な聴衆の面前で主人の大司教を侮辱してしまうことになれば自分が不利になると考えたのかもしれない。
ウィーンに到着した瞬間から早くもモーツァルトの心は昂ぶっていた。 今度こそは心を鬼にしても決定的な、撤回不可能な行動をもう一度仕掛けようとしていたからである。 おそらくこのときすでに大司教ヒエロニムス・コロレドのもとを去る気になっており、あとはただ自分の行動を正当化する口実を探していたと思われる。
[ソロモン] p.379
モーツァルトの目は大司教の頭上を飛び超えてウィーンの聴衆に向けられていたのだろう。

この曲を1音高く移調しフルート用に編曲した「フルートと管弦楽のためのロンド」(K.Anh.184)がある。

〔演奏〕
CD [POCL-3632/3] t=5'25
藤川真弓 (vn), ヴェラー指揮 Walter Weller (cond), ロイヤル・フィルハーモニー Royal Philharmonic Orchestra
1980年、ロンドン
CD [グラモフォン 415-958-2] t=5'25
パールマン Itzhak Perlman (vn), レヴァイン指揮 James Levine (cond), ウィーン・フィル Wiener Philharmoniker
1985年6月、ウィーン
CD [claves KICC-9308/10] t=5'33
グッリ Franco Gulli (vn), ジュランナ指揮 Bruno Giuranna (cond), パドヴァ室内管弦楽団 Orchestra da Camera di Padova
1989年5月、パドヴァ
CD [POCL-4178/9] t=5'46
スタンデイジ Simon Standage (vn), ホグウッド指揮 Christopher Hogwood (cond), エンシェント室内管弦楽団 Academy of Ancient Music
1990年8月、ロンドン
※スタンデイジ使用のヴァイオリンは、ストラディヴァリ1708年製「ダンクラ」のコピー(1987年ディヴィッド・ルビオ製作)

〔動画〕


 

フルートと管弦楽のためのロンド ニ長調 K.Anh.184

  • Allegretto grazioso ニ長調 2/4 ロンド形式

「ヴァイオリンのための協奏風ロンド K.373」を1音高く移調しフルート用に編曲したもの。 1790年頃ウィーンのホフマイスター社から出版された。
ホフマイスター(Franz Anton Hoffmeister, 1754-1812)はウィーンの作曲家で出版業者。 フリーメーソンの仲間として晩年のモーツァルトからの借金に応じている。

〔演奏〕
CD [ビクター R25E-1003] t=5'11
ランパル Jean-Pierre Rampal (fl, cond)指揮, イギリス室内管弦楽団 English Chamber Orchestra
演奏年不明
CD [RVC R30E-1025-8] t=5'11
※上と同じ
CD [BMG VICTOR BVCC-8825/26] t=6'05
ゴールウェイ James Galweay (fl, cond)指揮, ヨーロッパ室内管弦楽団 Chamber Orchestra of Europe
1984年12月、ロンドン

〔動画〕


 

〔参考文献〕


 

Home K.1- K.100- K.200- K.300- K.400- K.500- K.600- App.K Catalog

2016/11/06
Mozart con grazia