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ヴァイオリン協奏曲 第1番 変ロ長調 K.207
〔作曲〕 1773年4月14日 ザルツブルク |
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1773年3月13日、3回目のイタリア旅行からザルツブルクに帰ったモーツァルトは、間もなく交響曲を相次いで(第22番から第30番まで)書き始めたが、その中にポツンと一つヴァイオリン協奏曲が作られた。 その動機は不明であり、作曲者自身が優れたヴァイオリン奏者でもあったので自分自身のためか、または宮廷楽団のヴァイオリン奏者ブルネッティ(当時29歳)のために書かれたと思われているほかに、1777年9月28日の父の手紙に書かれているコルプという人物のために作曲したのかもしれないという。
この金曜日には、コルプさんが他所から来た商人たちのために、大がかり音楽会をやったが、フェルレンディ、フェッラーリ、カッセル、シュタードラー、ピンツガーたちも居合わせていた。 彼はおまえの協奏曲のヴァイオリン・ソロを弾いた。ただしコルプのために書いたのは、真作かどうか疑われているヴァイオリン協奏曲第7番(K.271a / 271i)だとする説もあるようである。 また、プロではなくアマチュアのヴァイオリン奏者であったというコルプという人物も特定できていない。[書簡全集 III] p.59
おそらくは市参事会員ヨハン・アントーン・コルプ(1785年歿)の息子、アンドレー(Johann Andoreas Antonius Vitus Kolb, 1745-1819)、あるいはヨーアヒム(Zacharias Joachim Franz de Paula Kolb, 1752-1817)のいずれかであろうが、年齢の点などで後者と思われる。ただし、フランツ・クサヴァー・コルプ(Franz Xaver Kolb, 1782年歿、51歳)とも考えられていて、こちらはプロのヴァイオリン奏者であった。[書簡全集 I] p.159
この曲の成立時期については、自筆譜に訂正された形で1775年とあったが、1977年に再発見された自筆譜の研究の結果、1773年作と訂正された。 これにより、この曲はモーツァルトの最初の協奏曲となった。 このあと、12月に最初の『ピアノ協奏曲ニ長調』(K.175)が、そして翌年6月の『ファゴット協奏曲変ロ長調』(K.191)が続くことになる。
モーツァルトの(真作とされる)ヴァイオリン協奏曲は5曲あり、第2番以降はすべて1775年に集中している。 その中で、この第1番はほかの4曲とは違った雰囲気をもっていて、若いモーツァルトの瑞々しさを感じる。 1774年から75年にかけてモーツァルトはフランス風のギャラントリーに傾倒してゆくが、この作品は時期的にその前に位置していて、イタリア風のほとばしる流れで始まり、独奏ヴァイオリンがのびのびと歌う展開に心踊る。 様式の上にも、ほかの4曲とは違う点がある。 すなわち、「緩徐楽章がアダージョと指示されていることで、モーツァルトがギャラント様式の性格を強く打ち出す際にしばしば選んだ、より密度の低いアンダンテではないこと」(ザスロー)であり、さらに、第3楽章がほかの4曲ではロンド形式なのに対して、この第1番だけはソナタ形式となっている。
アインシュタインはこの曲を含め5つのヴァイオリン協奏曲はすべて1775年に書かれたと考えていて、
さて、ふしぎな話だが、これら五曲のコンチェルトは名人芸と名づけられるものを大して要求せず、その点ではモーツァルト自身のディヴェルティメントにさえ劣っている。 パガニーニのような人だったら、このような曲を多少とも嘲笑したにちがいない。と総括し、この第1番については次のように批評していた。[アインシュタイン] p.380
なおも古いコンチェルトの理想への明白な回想が見いだされることは、やはりモーツァルトの伝統主義、限界を守ろうとする性向を証するものであって、「ブッフォ的」でない案出の傾向、独奏楽器の装飾音型などは、すでにコレルリやヴィヴァルディにもありうるようなものである。 あらゆる小節に活気があり、主題の素材のありあまる豊富さがある。 しかしまさにそのために「不意打ち」がなく、精神の戯れがなく、もはや個人的なもの、特にはなはだモーツァルト的というべきものがない。しかしアインシュタインの主張には一貫性がないようである。 9才の少年モーツァルトが書いたアリア『行け、怒りにかられて』(K.21)について、「お飾りたくさんの伴奏のついた、きわめて因習的な名人芸アリア」と評しているからである。 ザスローは次のように言っている。
モーツァルト自身は単に名人芸を見せることを軽蔑していたため、逆説的なことに、彼のヴァイオリン協奏曲を上手に弾くのはいっそう難しい。 これらの作品では、完璧なテクニックと華やかさだけでは不十分であり、何よりも思慮深く感受性豊かな音楽性が必要である。[全作品事典] p.181
〔演奏〕
CD [POCL-3632] t=21'08 藤川真弓 (vn), ヴェラー指揮 Walter Weller (cond), ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団 Royal Philharmonic Orchestra 1980年、ロンドン |
CD [グラモフォン 415-958-2] t=20'38 パールマン Itzhak Perlman (vn), レヴァイン指揮 James Levine (cond), ウィーンフィル Wiener Philharmoniker 1985年6月、ウィーン |
CD [claves KICC-9308/10] t=20'08 グッリ Franco Gulli (vn), ジュランナ指揮 Bruno Giuranna (cond), パドヴァ室内管弦楽団 Orchestra da Camera di Padova 1989年5月、パドヴァ |
CD [POCL-4178/9] t=19'32 スタンデイジ Simon Standage (vn), ホグウッド指揮 Christopher Hogwood (cond), エンシェント室内管弦楽団 Academy of Ancient Music 1990年8月、ロンドン ※スタンデイジ使用のヴァイオリンは、ストラディヴァリ1708年製「ダンクラ」のコピー(1987年ディヴィッド・ルビオ製作) |
CD [Virgin Classics, 7243 5 61576 2 0] t=20'12 ハジェット Monica Huggett (vn, cond)指揮, Orchestra of the age of enlightenment 1991年3月、ロンドン |
CD [WPCS-12354/5] t=19'48 ギドン・クレーメル (vn), クレメラータ・バルティカ 2006年8月ザルツブルク音楽祭でのライブ ※カデンツァは R.D.レヴィン |
〔動画〕
〔参考文献〕
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