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教会ソナタ 第15番 K.328 (317c)

  • Allegro ハ長調 4/4
〔編成〕 2 vn, bs, og
〔作曲〕 1779年初め? ザルツブルク

成立時期についてははっきりしない。 1779年初めに作曲されたと推測され、1779年3月23日に書かれた『戴冠式ミサ』(K.317)に属すると見られている「教会ソナタ第16番ハ長調」(K.329 / 317a)のあとに位置づけられている。 それは父の強い説得に従って、しぶしぶ故郷のザルツブルクに戻って来た頃であった。 帰郷直後に父レオポルトの用意した(モーツァルト本人にとっては屈辱的な)請願書をコロレド大司教に提出している。 それは1777年末、演奏中に死去したオルガン奏者アードルガッサーの後任として任用されることを請願するものであった。 用意周到なレオポルトは大司教の妹にも働きかけ、請願が受け入れられるように画策していた。 その甲斐があって、すぐに大司教の決済が下っている。

1779年1月17日
余は請願人を宮廷オルガニストに慈悲をもって任命した。 当人はアードルガッサーと同様大聖堂と宮廷の両方において決められた職務お行い、礼拝堂においても倦まず不平なく勤め、宮廷にも教会にもできる限り自身の作曲による新しい作品で仕えるべきこと。
[ドイッチュ&アイブル] p.152
そして前任者と同じ年俸450グルデンを支給され、大司教のもとに再び仕えることになったのである。 父はホッと胸をなで下ろしたであろうが、モーツァルトの絶望感は計り知れない。 にもかかわらず、オカールの言う
あれほど多くの失望のあとでは、悲壮で引きつった音楽が出て来て当然だろうと人は思う。 しかし驚くべきことに、そんなものは一つも見られない。
[オカール] p.63
は、この曲にもあてはまる。 まるで何事もなかったかのように、教会ソナタの見本のような作品を書いている。

〔演奏〕
CD [TELDEC K37Y 10184] t=5'07
Herbert Tachezi (og), Alice Harnoncourt (vn), Walter Pfiffer (vn), Nikolaus Harnoncourt (vc)
1969年
CD [harmonia mundi HMC 901137] t=4'24
ロンドン・バロック
1984年
CD [PILZ 44-9274-2] t=5'01
ヒンライナー指揮カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク
1985年
CD [COCO-78064] t=5'01
※上と同じ
CD [hyperion CDA66377] t=4'14
King指揮, The Classical Orchestra of the King's Consort
1989年
CD [SABAM ADDA 148009-AD184] t=3'30
Jerzy Salwarowski指揮, Orchester der philharmonie POMMERN
1989年

〔動画〕

〔参考文献〕


 

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2017/01/29
Mozart con grazia