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ディヴェルティメント 第17番 ニ長調「ロビニッヒ」 K.334 (320b)
〔作曲〕 1779年〜80年 ザルツブルク |
ザルツブルクの富豪ロビニッヒ(Georg Joseph Robinig von Rottenfeld, 1710-60)の夫人ヴィクトリア(Maria Viktoria, 1716-83, 旧姓アニーザー Aniser)の依頼で。 息子ジークムント(Georg Siegmund, 1760-1823)がザルツブルクの大学を1780年7月に修了するに当たってのフィナール・ムジークと推測され、作品の成立時期はモーツァルトが失意の帰郷をした1779年から自立への道を歩み始める1780年の間と推定されている。
1782年5月8日、ウィーンからザルツブルクの父へここで「ロービニヒの曲 die Musique vom Robinig」というのがこのニ長調のディヴェルティメントとみられ、「ヘ長調」とは「ロドロン・セレナード」と呼ばれているディヴェルティメントK.247であり、また「変ロ長調」とは「第2ロドロン・セレナード」と呼ばれているディヴェルティメントK.287のことである。 これら3曲についてモーツァルトは1年前に次のように写譜を送って欲しいと頼んでいた。
お父さんは手紙で、ロービニヒの曲が欲しいと書いていますが、誰が持ってるんでしょう? ぼくは持っていませんよ。 エックがあなたにお返ししていませんか? ぼくはヘ長調と変ロ長調のと一緒にあれを手紙であなたに頼んだことがありましたよね。[書簡全集 V] p.237
1781年7月4日、ウィーンからザルツブルクの父へ1781年7月といえばモーツァルトが大司教と決別し、ウィーンで自立したばかりのときである。 そのためザルツブルクで書いた自信作をたくさん必要としていた。 それから1年後、父子はともにこの曲の自筆譜を持っていない事態になっていた。 レオポルトは息子が隠し持っていると疑っていたようである。 1782年5月8日の手紙のあと、第1回アウガルテン演奏会(5月26日)がうまく行ったことを伝える手紙で再度次のように書いている。
カッサシオン3曲は、さし迫って必要です。 ヘ長調と変ロ長調が、とにかくいまあれば。 いずれニ長調のほうも写譜をしてもらって、あとで送ってくださいね。 なにしろ当地は写譜代がとても高くつきます。 しかも彼らはまったく無神の徒のようにひどい写譜をします。同書 p.92
1782年5月29日、ウィーンからザルツブルクの父へこのような事情により、この曲は「ロビニッヒ・ディヴェルティメント」と呼ばれ、成立の事情については前述のように推察されている。 モーツァルト一家は古くからロビニッヒ一家と親交があった。 ゲオルク・ヨーゼフ・ロビニッヒは1760年1月15日、妻ヴィクトリアと娘マリア・ヨゼファ(Maria Josepha, 1743-67)を伴ってミュンヘンに旅行中、急死。 モーツァルトの父レオポルトは葬儀にかけつけている。 娘(長女)マリア・ヨゼファも病弱で1767年1月に亡くなった。
ロービニヒの曲については、本当にぼくは持っていませんよ。 ですから、エックがまだ持っているにちがいありません。 だって、ぼくがミュンヘンを発つとき、あの人はぼくに返してくれなかったのですから。同書 p.243
この曲が作られた頃、夫人ヴィクトリアは60歳を越えていた。 早くに夫を亡くし、娘マリア・ヨゼファも失い、二人の娘マリア・エリザベト(次女, Maria Elisabeth, 1749-92, 愛称リースルまたはリーゼル Lizel)とマリア・アロイジア(三女, Maria Aloisia Viktoria, 1757-86, 愛称ルイーゼ Luise)と息子ジークムント(愛称ジーゲルル Siegerl)が残っていた。 モーツァルトは年齢の近いルイーゼが好きだった。 また、夫人ヴィクトリアは1775年1月にモーツァルトの姉ナンネルと一緒にミュンヘンに行き、『偽の女庭師』(K.196)初演を観劇したり、のちに1781年1月には(このときモーツァルトの母アンナ・マリアは他界していた)二人の娘マリア・エリザベトとマリア・アロイジアを伴ってミュンヘンに行き、『イドメネオ』(K.366)を観ているなど、家族ぐるみで暖かく交際してくれたようだが、モーツァルトの方は息苦しいザルツブルクの印象と重なり、必ずしも歓迎していたわけではなかったろう。 夫人ヴィクトリアは1783年4月24日、ザルツブルクで死去。
モーツァルトのディヴェルティメントの中で最も有名な作品である。 第2楽章は主題と6つの変奏曲からなる。 第3楽章のメヌエットはよく単独で演奏されるほどポピュラー。 弦は5つあるが、バスのチェロとコントラバスは同一パートの4部。 また、ホルンは第4楽章では現れない。 この形はロドロン伯爵夫人のために書いたディヴェルティメント第10番ヘ長調(K.247)と第15番変ロ長調(K.287)と同じ。 ただし曲の内容はこちらの方が数段上で、ザルツブルク最後期の傑作に数え上げられる。 アインシュタインは「軽い憂愁の影」を感じ取り、
アンダンテの主題と6つの変奏曲は、もしディヴェルティメントで四重奏曲のように厳粛になるのが許されるものだとしたら、ニ短調弦楽四重奏曲(K.421)のフィナーレにも迫るものであろう。 室内楽的なものとコンチェルタントなものとの混合がここでは完成の域にまで成功している。と評している。 また、CD[DENON COCO-7882]の解説書に若林氏による演奏者(第1ヴァイオリン)ヘッツェル氏へのインタビューが掲載されていて、ヘッツェル氏は[アインシュタイン] p.280
曲の真ん中あたりから作曲者は娯楽音楽ということを忘れているようだ。 教会音楽のような崇高さがあり、ヨーロッパの人が持っている『死の踊り』という考えを思い出させる。と述べている。 ただしモーツァルトのバランス感覚は崩れない。 アインシュタインは次のように続けている。
最後のロンドで最も純粋に現われているような甘美な感覚性、もしくは、両メヌエットが変形して示すレントラー風のものへの傾きによって、四重奏曲の厳粛さに陥るのを防いでいる。 二番目の緩徐楽章(イ長調)はヴァイオリンのためのコンチェルト楽曲であって、独奏楽器がいっさいの個人的なことを述べたてるが、伴奏も全然沈黙してしまわないという、『セレナード』の理想である。なお、単独で演奏されるほどよく知られていてる第3楽章の優雅なメヌエットについて、アンガーミュラーは「これと張り合えるのはたぶんボッケリーニの有名なメヌエットだけだろう」と絶賛している。
作品はモーツァルトの死後、1799年にアウクスブルクで出版されたが、その以前に(1795年)第3・第4楽章を省いた4楽章から成る曲としてライプツィヒで出版されたこともある。
〔演奏〕
CD [PHILIPS 32CD-168] t=51'09 アカデミー室内アンサンブル Academy of St. Martin-in-the-Fields' Chamber Ensemble 1982年12月、ロンドン |
CD [SONY SK 47230] t=42'36 ランパル Jean-Pierre Rampal (fl), カザレ Andre Cazalet (hr), ヴィニ Jean-Michel Vinit (hr), パスキエ Regis Pasquier (vn), パスキエ Bruno Pasquier (va), ピドゥー Roland Pidoux (vc) 1990年11月、パリ ※第1ヴァイオリンのパートをフルートで演奏。フルート協奏曲の趣があっておもしろい。 |
CD [DENON COCO-7882] t=46'14 ウィーン室内合奏団 Wiener Kammerensemble 1991年4月〜5月、ウィーン |
CD [キング KICC 220] t=41'11 ザルツブルク・モーツァルト・アンサンブル 1997年 |
■メヌエット楽章だけの演奏
CD [BMG VICTOR BVCC-8825/26] t=4'01 ゴールウェイ指揮ヨーロッパCO 1984年 |
CD [COCO-78055] t=4'45 ヴェーグ指揮カメラータ・アカデミカ 1990年 |
CD [BICL 62193] t=3'30 近藤研二、松井朝敬(ウクレレ) 2006年 |
CD [PCCY 30090] t=5'09 ディール (p), ウォン (bs), デイヴィス (ds) 2006年 |
〔動画〕
K.445 (320c) 行進曲 ニ長調〔編成〕 2 hr, 2 vn, va, bs〔作曲〕 1779年〜80年 ザルツブルク |
曲の成立時期は不明。 上のディヴェルティメント第17番 K.334 の入退場のためと推定されている。 ソナタ形式で作られ、主部はニ長調の主題とイ長調の副主題で華やか。 短調の展開に続いて、上記ディヴェルティメント第1楽章の主題が導入される。 そして、フィナーレはピアニッシモの中に消える。
〔演奏〕
CD [キング KICC 6039〜46] t=3'27 ボスコフスキー指揮ウィーン・モーツァルト・アンサンブル 1965年 |
CD [PHILIPS 32CD-168] t=3'43 アカデミー室内アンサンブル 1982年 |
CD [COCO-78047] t=3'34 グラーフ指揮モーツァルテウム 1988年 |
CD [DENON COCO-7882] t=3'34 ウィーン室内合奏団 Wiener Kammerensemble 1991年4月〜5月、ウィーン |
〔動画〕
〔参考文献〕
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