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Maria Anna Thekla Mozart

1758 - 1841
Baesle

マリア・アンナ・テークラは叔父フランツ・アロイス・モーツァルトの娘で、モーツァルトの従妹(ベーズレ)。

1758年9月25日アウクスブルクで生れ、1841年1月25日バイロイトで没(83歳)。

右は、1777-78年頃本人がモーツァルトに送った有名な鉛筆画の肖像。 モーツァルトの死後、この絵は妻コンスタンツェの手に渡り、それから息子フランツ・クサヴァーの所有となった。 今はザルツブルク・モーツァルテウム財団が所蔵。

ベースレの肖像画についてルートヴィヒ・ヴェーゲレはこう書いている。
「彼女はアウグスブルクの市民階級の娘にふさわしい黄金色の肌をしており、暗色のショールのついた服を着ている。 アウグスブルクの女性の服装は当時まだ階級と信仰による厳格な規範に従っていた。 ともあれマリアンネは名望ある職人の娘であり、立派な身なりに事欠くことはなかった。」
(中略)
マリーア・アンナ・テークラが本当に「黄金色の肌」をしていたかどうかはさておき、とびきりきれいな肌をしていればこそ、この肖像画に描かれている通りの簡素な服装の方がむしろ似合ったのではないか。
[アイブル&ゼン] p.159
彼女の「黄金色の肌」は一種の定説のように流布しているが、野口は次のように否定している。
おいおい、困ったことになってるね。 女神像や仏像ではあるまいし、ヴェーゲレもアイブル/ゼンも原文では「ベースレは黄金色の肌」などとは言ってはいないのだよ。 Sie trägt die Goldhaube des Augsburger Bürgermädchens und ein Kleid mit dunklem Umhängetuch. の Goldhaube が誤訳されている。 これは「黄金色の肌」ではなく、「黄金色の帽子(キャップ)」だ。 したがって「ベースレはアウクスブルクの市民階級の娘にふさわしい黄金色帽子を被っており、暗色のショールのついた服を着ている」が正しく、次のアイブル/ゼンの意見 Ob Maria Anna Thekla wirklich eine »Goldhaube« trägt, sei dahingestellt; es könnte auch ein einfaches Spitzenhäubchen sein, das dem schlichten Kleid eher angemessen wäre. も「マリーア・アンナ・テークラが本当に「黄金色帽子」を着けているのかどうかは異論のあるところだ。 それは簡素なレース帽ではないか、だからこそ簡素な服装の方がよりふさわしいのであろう」と訳すべきなんだ。
[野口] p.3

a letter to Baesle in 1779 モーツァルトの遊び心(特に「火山の噴火を想わせるような」言葉の洪水)はこの2歳下の従妹(ベーズレ)に宛てた手紙の中で最大限に開花。 彼女は1曲も作ってもらってないが、その代わり史上希に見る手紙の山を贈られた。 下品な内容だということで20世紀まで隠されてはいたが、よくぞ残されていたと思う。 たとえば息子カール・トーマスは自分が所有する「下品な手紙」を抹殺しようと考えていた(そうしてしまったものも実際あるだろう)という。 左の手紙はオーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクが所有していたもの。 その中央にはモーツァルトが描いた彼女の似顔絵がある。
 

〔参考文献〕


 
2013/05/12
Mozart con grazia