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弦楽五重奏曲 第2番 ハ長調 K.515
〔作曲〕 1787年4月19日 ウィーン |
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モーツァルトにとってこのジャンルでは第2番となるハ長調 K.515 は第1番 K.174(1773年)から15年ほどあとになって突然生まれた。 上記の日付でモーツァルトは自作目録に記載。 作曲の動機については、アインシュタインが
なにが彼を五重奏曲へ誘ったかを言うのは困難である。 外的な誘因を探せば、おそらくフリードリヒ大王の死と、ベルリーンのチェロを弾く音楽愛好家フリードリヒ・ヴィルヘルムの即位であろう。 1786年1月21日に、ボッケリーニはプロイセンの宮廷作曲家となったが、モーツァルトはこのような有利な任命をいつも注意深く求めていたのである。 ボッケリーニがその翌年に、ベルリーンとブレスラウを訪問したことは立証されている。 彼はまたおそらく、彼の兄弟、ジョヴァンニ・アントーニオ・ガストーネがリブレット作者として住んでいたヴィーンをも訪問したであろう。 そしてこの動機がおそらく最も納得のゆく説明であろう。と述べているように、就職活動のためとも思われる。 プラハでは『フィガロの結婚』が大当たりしていたが、ウィーンはモーツァルトに冷たかった。 だからと言って、彼はプラハで生活しようとは考えていなかった。 人一倍プライドの高いモーツァルトにとって、それはあり得ない選択肢であったのだろう。[アインシュタイン] pp.265-6
プラハが彼の将来設計の上で重要な位置を占めなかったこともよくわかる。 つまり、プラハは結局のところは音楽的には田舎のセンターなのであり、大作曲家を食べさせていく場所ではなかったのである。 また実際にプラハでは以前から多くの音楽家を輩出したが、彼らは食えなかったのでみなプラハから流出してしまっている。 プラハの有力貴族たちはこの地に城館を維持してはいたが、ほとんど住みついてはいなかった。 またプラハのオーケストラは熱心で、評判どおり管楽器のセクションがすぐれていた。 しかし、人員が十分揃っていなかった。 新しいオペラ・ハウスは4年前の1783年にできたばかりで、ボンディーニ一座も完全に定着しているわけではなく、ライプツィヒと掛け持ちであったし、歌手も決して一流とはいえなかった。[ソロモン] pp.645-646
Friedrich Wilhelm II 1744-1797 |
その時期を早めるために、彼は管楽器のセレナーデ(K.388)を五重奏曲に編曲(K.406)すらしている。ただし、こうした成立の動機を裏付ける確証はなく、一つの可能性を示すものとして考えられている。 アインシュタインも「外的な誘因を探せば」と断った上での説明である。 モーツァルト自身、第1番を書いた頃(17歳)より人間としても作曲家としてもはるかに成長している。 『フィガロ』から『ドン・ジョヴァンニ』につなぐ線上には父レオポルトの死が横たわっていることも見逃せない。 内的な誘因を探せば、これもまた当然のように一つの可能性を示すものとして考えられる。 作品が内面的に深まって、次の第3番ト短調(K.516)に続くあたりについて、 オカールが
(中略)
おそらくモーツァルトは一つのフラグメント(K.Anh.80)を書きはじめていたのであって、展開部のはじめまで進んでいた。 それは価値の高いスケッチであるが、チェロをあまりにうとんじていたことに気づいて、彼はこれを捨てたのである。 こうしていまや彼は一つの五重奏曲(K.515)を書きはじめる。 ここにはもはや第一ヴィオラと第一ヴァイオリンとのあいだの対話はなく、チェロとヴァイオリンとの対話がある。 これは偶然ではない。同 p.266
ここには衝撃がはっきりとあらわれている。 最初のアレグロは彼の室内楽のなかでも最も感動的なものの一つであるが、これはやがて不安にみちたバス(上昇和音)と第一ヴァイオリンの応答、というか少なくとも応答たろうとしているものとの対話にいたる。 (中略)と結論を急いでいるが、確かにそのような内面的な危機を、父レオポルトの死の直前に相次いで書かれた2つの五重奏曲 K.515(4月19日)と K.516(5月16日)から感じとることもできる。 ハイドンの弦楽四重奏曲から刺激を受けて室内楽のジャンルに独自の世界を広げたモーツァルトに、さらに大きな構想を実現しようとする明確な意図があったのかどうか不明だが、結果的にはそのようになり、彼の器楽曲中で最大規模の作品(1149小節。ちなみに、ジュピター交響曲は924小節)がここに生まれた。
そのあと、不安はますます強くなる。 悲劇的な揺れをもつトリオの胸を刺すような不安定さ。 これはモーツァルトがメヌエットの中心に置いたうちでも、最も不思議なトリオである。 (中略)
フィナーレはふるえるような喜びに息づいているようにみえる。 だが、指示部において軽快であった主題が深刻になり、ときどき引き裂かれる。 平静さも反抗もなく、ただ強い生命の搏動があるだけなのだが、その活気はある種の興奮の跡をとどめている。
レーオポルトにはもう二週間しか生きる時間が残されていなかった。 5月28日、彼は再び息子と会うこともなく、この世を去る。[オカール] pp.130-131
実際に完成したのは3曲「ハ長調 K.515」、「ト短調 K.516」、「ハ短調 K.406」であり、6曲セットが完成しなかったのは、プロシャ行きがうまくいかないことが分かって作曲意欲を失ったせいともいわれている。 また、完成した3曲について、演奏したという記録はないが、予約販売しようとしたことは知られている。 1788年4月、ウィーン新聞には「3曲の写譜がプフベルクのところで入手できる」という広告が出されたという。 しかし予約者はほとんどなく、モーツァルトは出版を2年後に延ばす広告を出した。 結局、ハ長調 K.515は1789年に、ト短調 K.516は1790年に、ハ短調 K.406は1792年にアルタリア社から出版された。 最初の広告で3曲の弦楽五重奏曲がまったく売れなかったことには次のような事情があったからと思われる。
まず第一に、モーツァルトはすでに1785年と86年に、2曲の激烈なピアノ協奏曲を書いている(K.466とK.491)。 そしてニ短調の四重奏曲K.421もまた、深くペシミスティックな作品である。 ピアノ四重奏曲の中にも、すでに見たとおり、同様に人を驚かすト短調の曲K.478がある。 次に、アマチュアたちは実際に自分で見るまでは内容を知らなかったであろうということである。 特にウィーン以外に住んでいる人たちは、買わないことには聞けなかったであろう。 だが、これまでのモーツァルトのウィーンにおける出版と演奏の経緯を見て、いうことがあるとすれば(ピアノ協奏曲K.466とK.491は生前は出版されなかった)、モーツァルトの音楽言語は、当時のアマチュアの理解の能力を遥かに越えていたということである。[ランドン] pp.122-123
余談であるが、2年後の1789年、モーツァルトはプロシャ王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世のために3曲の四重奏曲(K.575、K.589、K.590)とフリーデリケ王女のために「やさしいピアノソナタ」(K.576)を書いている。
〔演奏〕
初版(1789年)では第2楽章はメヌエット、第3楽章がアンダンテの順だった。
以下の演奏でその順になっているものを【A】で、また上記のように、第2楽章アンダンテ、第3楽章メヌエットの順になっているものを【B】と表記した。
CD [WPCC-4118] t=40'43 【A】 バリリ四重奏団 Barylli Quartet (バリリ vn, シュトラッサー vn, シュトレング va, クロチャク vc)、ヒューブナー va 1953年頃、ウィーン |
CD [CBS SONY 75DC 953 - 5] t=32'28 【A】 ブダペスト弦楽四重奏団(ロイスマン vn, A.シュナイダー vn, クロイト va, M.シュナイダー vc)、トランプラー va 1966年12月、ニューヨーク |
CD [PHILIPS PHCP-9649] t=36'24 【B】 グリュミオー vn, ゲレツ vn, ヤンツェル va, ルズール va, ツァコ vc 1973年5月 |
CD [L'OISEAU-LYRE POCL-2545] t=35'31 【A】 エステルハージ弦楽四重奏団(シュレーダー vn, シュトゥロープ vn, アシュワース va, メラー vc)、ハーヴェ va 1980年、古楽器による演奏 |
CD [F00G 27073] t=34'56 【A】 メロス弦楽四重奏団(メルヒャー vn, G.フォス vn, H.フォス va, ブック vc)、バイアー va 1986年7月 |
CD [EMI CE33-5261] t=33'53 【B】 アルバン・ベルク弦楽五重奏団(ビヒラー vn, シュルツ vn, カクシュカ va, ヴォルフ va, エルベン vc) 1986年12月 |
CD [キング KKCC-305] t=33'22 【B】 アンサンブル415(バンキーニ vn, ガッティ vn, モレーノ va, シャラー va, ゴール vc) 1994年11月 |
〔動画〕
〔参考文献〕
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