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弦楽五重奏曲 第3番 ト短調 K.516
〔作曲〕 1787年5月16日 ウィーン |
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モーツァルトは1788年4月2日『ヴィーン新聞』に「新作、ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロのための五重奏曲の予約注文を受け付ける」という記事を掲載し、プフベルクのところで入手できると宣伝していたように、借金返済のために1年前に作曲した3曲(ハ短調 K.406、ハ長調 K.515、ト短調 K.516)を予約出版しようとした。 しかし売れ行きは悪く、6月25日には同じく『ヴィーン新聞』に
予約注文者諸氏の数がまだ非常に少ないので私の弦楽五重奏曲の出版を1789年1月まで延期するの止むなきに至りました。と書いていた。 収入があれば、それはプフベルクの手に入ることで目的が達すると考えていたかもしれないが、作曲の真の動機はわかっていない。 5月28日、父レオポルトがこの世を去るが、その直前に書かれたこの曲はモーツァルトの心の奥を物語っているのかもしれない。 深い悲しみに満ちたこの曲の成立の動機にはやはりレオポルトの最期が近いのを直感したことにあるに違いない。 少し前の4月4日に、モーツァルトは次のような手紙を父に書き送っていた。[ドイッチュ&アイブル] p.217
たった今、私をひどく打ちのめすような知らせを聞きました。 最近のお手紙から、ありがたいことに大層お元気だと推察できたばかりなのに、お父さんが本当に病気だと聞いたので、なおさらがっかりしました。 安心のできるようなお知らせをお父さんからいただくのを、どんなに待ちこがれているか、申すまでもないことです。 きっとそんなお便りが、いただけますね。 もっとも私は、何ごとについてもいつも最悪のことを考えるのが習慣になっています。 死は(厳密に考えて)われわれの一生の真の最終目標なのですから、私は数年この方、人間のこの真の最善の友ととても親しくなって、その姿が私にとってもう何も恐ろしいものでもなくなり、むしろ多くの安らぎと慰めを与えてくれるものとなっています! そして、神さまが私に、死がわれわれの真の幸福の鍵だと知る機会を(私の申すことがお分かりになりますね)幸いにも恵んで下さったことを、ありがたいと思っています。モーツァルトは微妙な陰陽の変化に深い意味を感じ取ることができ、またそれを音楽で表現することもできる天分の才能を持っていた。 遠く故郷ザルツブルクで父レオポルトが死の床についていることに気づかないはずはなかったであろう。 幼少の頃モーツァルトは父を神の次に偉いと信じていた。 その父の言う「難しい曲は書くな。誰にでもわかる易しい曲を書け」という指示に従っていたが、やがてモーツァルトは自立し、父の束縛からのがれていったことはよく知られている。 しかし父が病床にあり、そして死期が近いことを直感したモーツァルトは作品の中で叫ばなければ精神の平衡が保てなかったと思われ、このような状況で、この曲が作られたことは確かである。[手紙] p.124
ロビンズ・ランドンは「この曲における絶望の深さはハイドンに捧げた四重奏曲のどれをも遥かに凌駕している」と言い、さらに
第1楽章開始主題の神経質な絶望は、その控えめな表現によって強調される。 それは真に安定させる低音なしに、静かに演奏される。 メヌエットでは弱拍上に置かれる憤怒のフォルテ和音が抗議の叫びのようである。 アダージョ・マ・ノン・トロッポは、5つの楽器すべてに弱音器が使われることによって生み出される、尋常でない雰囲気の中にある。と、このあたりの事情を十分に踏まえつつ、この曲は「モーツァルトの個人の悲劇を映す鏡である」と言っている。 また、アインシュタインは[全作品事典] p.321
(第1楽章で)モーツァルトは平行長調で閉じるが、それから恩寵もなく短調へ帰ってゆく。 のがれる道はない。 そしてメヌエットはまさにこう語るのである、≪我が意(こころ)の儘にとはあらず、御意(みこころ)のままに為し給え。≫ トリオでは天上の慰めの光が一筋雲間からもれ出るが、主部への帰還は避けられない。 アダージョ・マ・ノン・トロッポは、祈り---深淵にとり囲まれた孤独者の祈りであり、多くの≪独奏部≫、主調への帰還前の異名同音の転換は象徴的である。と述べ、「ここで起こることと比較できるのは、おそらくゲツセマネの園の情景だけであろう」と言っている。 「ゲツセマネの園」とはイエスが張り付けになる前の晩を嘆き悲しみながら過ごしたといわれる庭園のことであり、父レオポルトの最期が近いことを敏感に感じ取っていたモーツァルトの心情に重ね合わせている。 アインシュタインは続ける。[アインシュタイン] p.268
終楽章は第一ヴァイオリンの憂鬱に英雄的な一種のカヴァティーナによって導入され、次にト長調に変る。 しかしこれは、最晩年の非常に多くの作品においてモーツァルトに独特な、慰めなき長調である。 もっともこのロンドの主題は先行する三つの楽章の解決としてはやや平板にすぎるように思われ、また≪エピソード≫ののちに帰還するたびごとに、いくらかショックを与えるのである。この終楽章の主題の自筆スケッチが残されてあり、ト短調交響曲(K.550)のスケッチらしきものなどとともに、前田育徳会が所蔵しているという。 第4楽章にはト短調の序奏(約3分間の)があり、そこではチェロのピツィカート伴奏に乗せてヴァイオリンが静かに深い悲しみを歌うが、その後、ト長調の明るいロンドに変る。 「まるで何ごともなかったのごとく、軽やかに響きわたる」アレグロのロンドについては議論があるようである。 オカールは同書 p.268
フィナーレがよく議論の対象になるのは、ロマン主義的な偏見のために、実に絶え間なく悲劇的であった四つの楽章のあとに歓ばしい終曲がくることがけしからぬことに思われるからだ。 実を言えば、このフィナーレが他の部分ほどの高みに達していないのは音楽的次元においてなのだ。 それまでの楽章にふさわしいような歓ばしい終結部をモーツァルトは私たちにあたえてくれなかったのである。と評している。 モーツァルトはいつまでも病床の父を思い沈んでいることはできなかったであろう。 彼はあと4年生きていかなければならなかったのである。 ロビンズ・ランドンは次のように締めくくっている。[オカール] p.132
このロンドでは夏の空のわずか一点の雲のようにモーツァルトの憂鬱はたちまち消え去る。そして、いつものように、モーツァルトは聴衆の多くを置き去りにしてゆくのである。[全作品事典] p.321
〔演奏〕
CD [WPCC-4120/1] t=31'41 アマデウス弦楽四重奏団 Amadeus String Quartet, アロノヴィッツ Cecil Aronowitz (va) 1950年頃 |
CD [CBS SONY 75DC 953 - 5] t=33'40 ブダペスト弦楽四重奏団 The Budapest String Quartet, トランプラー Walter Trampler (va) 1966年12月、ニューヨーク |
CD [CHANDOS CHAN 9284] t=32'42 グリュミオー Arthur Grumiaux (vn), ゲレツ Arpad Gérecz (vn), ヤンツェル Georges Janzer (va), ルズール Max Lesueur (va), ツァコ Eva Czako (vc) 1973年5月 |
CD [L'OISEAU-LYRE POCL-2545] t=35'35 エステルハージ弦楽四重奏団 Esterhazy Quartet, ハーヴェ Wim Ten Have (va) 1981年11月 古楽器による演奏 |
CD [EMI CE33-5261] t=33'50 アルバン・ベルク四重奏団 Alban Berg Quartett, ヴォルフ Markus Wolf (va) 1986年12月 |
CD [F00G 27073] t=34'31 メロス弦楽四重奏団 Melos Quartet, バイアー Franz Beyer (va) 1986年7月、バンベルク |
CD [KKCC-237] t=30'57 ミュージック・フロム・アストン・マグナ Music from Aston Magna (クァン Linda Quan (vn), ウィルソン Nancy Wilson (vn), マーティン Anthony Martin (va), ミラー David Miller (va), オサリヴァン Loretta O'Sullivan (vc)) 1991年7月 |
CD [キング KKCC-305] t=25'19 アンサンブル415(バンキーニ Chiara Banchini (vn), ガッティ Enrico Gatti (vn), モレーノ Emilio Moreno (va), シャラー Irmgard Schaller (va), ゴール Kaethi Gohl (vc)) 1994年11月 |
〔動画〕
弦楽五重奏曲 ト短調 K.Anh.86 (516a)
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作曲 1787年5月、ウィーン
K.516のフィナーレのための草稿。
〔参考文献〕
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