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弦楽四重奏曲 第22番 変ロ長調 「プロシャ王第2」 K.589

  1. Allegro 変ロ長調 3/4 ソナタ形式(二部形式)
  2. Larghette 変ホ長調 2/2 展開部を欠く変則的なソナタ形式(二部形式)
  3. Menuetto : Moderato 3/4 変ロ長調
  4. Allegro assai 変ロ長調 6/8 ロンド風ソナタ形式
〔編成〕 2 vn, va, vc
〔作曲〕 1790年5月 ウィーン

1790年5月





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自作目録を見るとわかるように、1790年はなぜか作曲が極端に少ない。 ヘンデルの作品の編曲を除くと、作品の数はプフベルクに借金を願う手紙の数より少ないほどである。 この弦楽四重奏曲は自作目録に5月作曲と記入されているが、5月17日(または前日)には

今はもう一文なしになってしまい、最愛の友であるあなたに、何とかして、あなたのほんのご不用な分だけでもお貸し下さるよう、お願いせざるをえない次第です。 私の希望どおりに、一、二週間のうちに金が入りましたら、今お借りする分を、さっそくお返しいたします。 すでに長いあいだお返ししないままになっている分については、残念ながら、まだご勘弁をいただくほかありません。 そうしたことが私にとってどんなに気遣いの種になりますことか、お察しいただけますならば。 このごろはずっと私の四重奏曲の完成も妨げられています。 しかし今度は宮廷に大きな望みをかけています。
[手紙(下)] pp.170-171
と書いている。 このような状況のなかで、2つの弦楽四重奏曲(5月に変ロ長調 K.589 と、6月にヘ長調 K.590)が作られたのであった。 先の(第21番の)ニ長調 K.575 がチェロ奏者でもあるプロイセン王フリードリヒ・ウィルヘルム2世のために作曲されたことから、これらの作品も同じ動機によるものと思われている。 プロイセン王のための3曲の弦楽四重奏曲はモーツァルトの死後、1791年12月28日にウィーンのアルタリアから「作品18」として出版されるが、彼はこれらの弦楽四重奏曲を妻コンスタンツェの療養の費用を工面するためにアルタリアに二束三文で売り渡していたのであった。
1790年6月12日(または前日) プフベルクへ
妻は少しばかり、快くなっています。 もう痛みも和らいでいるようです。 でもまだ60回も入浴が必要なので秋にはまた出かけなければなりません。 何とかして、それが効いてくれればいいのですが。 最愛の友よ、今のこの差し迫った支出にさいして、いくらかでもご援助願えますなら、そうしてやって下さい。 倹約のため私はバーデンに留まって、よっぽどのことがないかぎり、町へは来ません。 今は私の四重奏曲(この骨の折れる仕事)を、こんな状況の中でお金にしたいばっかりに、二束三文で手放す羽目になりました。 そのためにも、今度はピアノソナタを書いています。
[手紙(下)] p.172

第3楽章のトリオについてオカール評

これは前代未聞の大胆さと自在さとを持った対位法のせせらぎをつくり出す、音楽史上でも最も驚異的な、とてつもないトリオである。 モーツァルト的な悪ふざけを難ずる者たちは、このような作品こそよく聴いてみるべきだ。 彼らはモーツァルトがこのうえなく残酷な絶望をいかに「軽々しく」扱っているかを見るであろう。
[オカール] p.165

〔演奏〕
CD [WPCC-4123] t=23'24
バリリ四重奏団
1954年5月、ウィーン
CD [KING K33Y 137] t=24'22
ウィーン・アルバン・ベルク四重奏団
1976年6月
※下の[TELDEC 72P2-2803/6]と同じ。
CD [TELDEC 72P2-2803/6] t=24'22
ウィーン・アルバン・ベルク四重奏団
1976年6月
※上の[KING K33Y 137]と同じ。

〔動画〕

〔参考文献〕

 

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2016/07/10
Mozart con grazia