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弦楽四重奏曲 第15番 ニ短調 K.421 (417b)
〔作曲〕 1783年6月中旬 ウィーン |
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ヨーゼフ・ハイドン(1783年当時51歳)が1782年に出版した「ロシア四重奏曲集」を見て触発されたモーツァルトが1782年末から85年にかけて書いた6曲の「弦楽四重奏曲集」(『ハイドン・セット』と呼ばれる)の第2番は第1番(ト長調 K.387)から半年後に作られ、セット中で唯一の短調作品となった。 作曲された正確な日付はわからない。 自筆譜にも記載がない。 6月17日、ウィーンのモーツァルト家に長男ライムント・レオポルトが誕生するが、2ヶ月後の8月19日に死亡する。 ちょうど出産を迎えたときにこの四重奏曲のメヌエット楽章が書かれたとコンスタンツェが証言したことから、この曲の成立時期が6月中旬と推定されている。
モーツァルトが書いた短調作品はあまり多くないが、それだけに後世の我々はそこに隠された特別な意味を感じ取ろうとするのは仕方ない。 しかもこの曲の調性は『ピアノ協奏曲 K.466』、『ドンジョヴァンニ K.527』そして『レクイエム K.626』と同じ宿命的なニ短調である。 これらの作品に共通するのは、死と結びついた不気味な緊張感であると言われる。
あの有名なK466のピアノと管弦楽のためのコンチェルト(ニ短調)は、ウィーンのフリーメーソンの支部に入会を許され、その「真の知恵」に接してモーツァルトが作曲したきわめて秘教的な色彩の強い曲だということが最近指摘されている。 つまりこれは闇と光の闘い、あるいは死の経験を通して生にいたるフリーメーソン的書法なのである。ハイドン・セットの第2番を短調で書いた理由は何か? しかもニ短調で書いたことに特別な意味があるのか?
レクイエムとともにモーツァルトのニ短調の最も重要な曲は、いうまでもなくドラマ・ジョコーソ『ドン・ジョヴァンニ』(K527)である。 この不思議なオペラでは、死そのものが、歩く石像という象徴的な形をとって人間の運命のなかに入り込んでくるのである。
(中略)
ドン・ジョヴァンニはモーツァルトにとって根源的な問題の擬人化であり、彼はそれにたいする音楽による解答を、ニ短調の迷路のなかに全身全霊を打ち込みながら、レクイエムのなkで示そうとしたのである。[ド・ニ] pp.148-149
そして再び想い起こされるのは、この弦楽四重奏曲が第一子ライムントのお産の頃書かれたということである。 通常それは喜びにみちたものとされているが、これはまた少なくとも当時にあって、大きな不安を伴ったものだったにちがいない。 そしてモーツァルトは、この世からほんの僅かのサインを受け取るだけで、人生のある深い真実を汲み取れるところまで来ていたにちがいない。 彼の音楽はそういう想像を惹き起させるほど、深いリアリティを獲得するに至っている。短調作品であること、しかもニ短調という調性の謎に対して推理は興味はつきないが、さらにこの弦楽四重奏曲にはもう一つの形式上の独自性があり、フィナーレが変奏曲形式で書かれていることである。 そのシチリアーノ風の主題はハイドンの「作品33の5 ト長調」の動機と同じであるが、曲想はまったく異なるとアインシュタインは言う。[井上] p.191
彼は模倣しない。 彼は自分自身の個性をなに一つ放棄しない。 ハイドンが作品33番の5でやったように、モーツァルトはニ短調楽四重奏曲でフィナーレとして一連の変奏曲を書いているが、これは、主題のいちじるしい類似にもかかわらず、見かけだけの《敬意》にすぎない。 しかしすでにわれわれは、モーツァルトの主題がグルックに対する《敬意》でもあることを述べたが、その類似にもかかわらず、ト長調とニ短調のあいだにはなんという相違があることか! 快い半終止を使う好人物のハイドン、ぶきみに隠された半音階を用いるデモーニッシュなモーツァルト! モーツァルトは完全な独立性を守る。このジャンルの先人に圧倒されながらも若いモーツァルトが自由なそして統一された情感の世界に到達し、独自のものを遂に獲得したのである。 よく知られているように、ウィーンを訪れたレオポルトにハイドン自身が[アインシュタイン] pp.253-4
誠実な人間として神の御前に誓って申し上げますが、御子息は、私が名実ともども知っているもっとも偉大な作曲家です。と言っている。 この曲も含め、6曲は1785年にウィーンのアルタリアから「作品10」として出版され、その年の9月17日の「ウィーン新聞」は
楽長モーツァルト氏による二つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための全く新しい六曲の弦楽四重奏曲、作品10、銅版印刷、価6フローリン30クローネ。という広告を出し、その中で傑作である証拠としてハイドンが賞賛していることを挙げつつ、次のように続けている。[ドイッチュ&アイブル] p.180
そういうことを考慮に入れて出版社はこの作品を紙の点でも印刷の点でもできるだけ美しく、鮮明な形で愛好家、識者の手に届けるべく費用を惜しまなかった。 12フローリン以下では書けないこの四重奏曲150ページの前記の価格が決して高すぎはしないものと確信する。しかし、必ずしも同時代者に理解されなかったようである。 たとえば、サルティはこの曲の作曲者について「悪い耳をもったクラヴィーア奏者以外のなにものでもない」と評したという。同書 p.181
〔演奏〕
CD [WPCC-4119] t=30'24 ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団 Vienna Konzerthaus Quartet / カンパー Anton Kamper (vn), ティッツェ Karl Maria Titze (vn), ヴァイス Erich Weiss (va), クヴァルダ Franz Kvarda (vc) 1953年頃、ウィーン |
CD [DENON 28CO-2150] t=29'15 ベルリン弦楽四重奏団 Berliner Streichquartett / ズスケ (vn), ペータース (vn), ドムス (va), プフェンダー (vc) 1971年5月、ドレスデン |
CD [TELDEC 20P2-2795] t=25'50 アルバンベルク四重奏団 Alban Berg Quartett / ピヒラー Gunter Pichler (vn), メッツル Klaus Maetzl (vn), バイエルレ Hatto Beyerle (va), エルベン Valentin Erben (vc) 1977年 |
CD [TELDEC 72P2-2803/6] t=25'50 アルバンベルク四重奏団 1977年 |
CD [EMI CE32-5727] t=26'06 アルバンベルク四重奏団 1987年12月 |
CD [PILZ CD-160-225] t=24'52 ザルツブルク・モーツァルテウム四重奏団 Mozarteum Quartett Salzburg / Karlheinz Franke (vn), Vladislav Markovic (vn), Philippe Dussol (va), Heinrich Amminger (vc) 1990年頃 |
CD [ポリドール POCG-7056] t=26'46 エマーソン弦楽四重奏団 Emerson String Quartet / ドラッカー Eugene Drucker (vn), セッツァー Philip Setzer (vn), ダットン Lawrence Dutton (va), フィンケル David Finckel (vc) 1991年1月、ニューヨーク |
CD [ALCD-3029] t=30'42 古典四重奏団 Quartetto Classico / 川原千真 (vn), 花崎淳生 (vn), 高岡真樹 (va), 田崎瑞博 (vc) 1992年1月、つくば |
〔動画〕
〔参考文献〕
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