Mozart con grazia > セレナード >
17
age
61
5
62
6
63
7
64
8
65
9
66
10
67
11
68
12
69
13
70
14
71
15
72
16
73
17
74
18
75
19
76
20
77
21
78
22
79
23
80
24
81
25
82
26

83
27
84
28
85
29
86
30
87
31
88
32
89
33
90
34
91
35
92

セレナード 第12番 ハ短調 「ナハトムジーク」 K.388 (384a)

  1. Allegro ハ短調 2/2 ソナタ形式
  2. Andante 変ホ長調 3/8 ソナタ形式
  3. カノン形式のメヌエット ハ短調 3/4 (トリオはハ長調)
  4. Allegro ハ短調 3/4 主題と5変奏
〔編成〕 2 ob, 2 cl, 2 hr, 2 fg
〔作曲〕 1782年7月または1783年末 ウィーン
1782年7月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031



前年のセレナード第11番変ホ長調(K.375)と同じく4組8本の管楽合奏の編成。 全部で13曲残されているモーツァルトのセレナードの中で唯一の短調。 作曲の目的と成立時期は不明である。 異論があるようであるが、いちおう自筆譜に書かれている1782年の作品とされている。 結婚資金のためとか、ヴァン・スヴィーテン男爵邸で聴いたバッハやヘンデルの曲に触発されたとか、いろいろ説があるが、単なる社交的な娯楽性を越えたセレナードになっている。 確かに、この年の8月4日、父の同意のないまま、聖シュテファン教会でコンスタンツェと結婚することになり、それに関係する様々な問題があったり、バッハやヘンデルのバロック音楽体験がこの曲の第3楽章にかいま見られたりする。
この曲のタイトル「ナハトムジーク」(ドイツ語で「夜の音楽」という意味)は、その7月27日の手紙の中で、モーツァルト自身の手紙の中で

1782年7月27日、ザルツブルクの父へ
最初のアレグロしかお目にかけないので、びっくりなさるでしょう。 でも、ほかに仕様がなかったのです。 急いで夜曲を一つ、といってもただの吹奏楽用に(さもなければお父さんのために使えたでしょうが)、書かなければならなかったので。 31日の水曜日に二つのメヌエットとアンダンテと終曲を−−できれば行進曲も−−お送りします。
[手紙(下)] p.64
と書いていることから、そう呼ばれているものである。 ただし、その夜曲がこの曲(ハ短調)であるという確証はなく、変ホ長調(K.375)の第2稿ではないかともいわれている。 なお、上の手紙で「アレグロ」とか「二つのメヌエットとアンダンテ」などと書いているのは、「ハフナー・シンフォニー」(K.385)のことである。 この年の夏、ザルツブルクではハフナー家が貴族に列せられることになり、モーツァルトは父からその祝祭用セレナードの作曲を催促されていた。 ウィーンで一人立ちしようと決心したモーツァルトの方は多忙を極め、7月16日のブルク劇場でのオペラ「後宮からの誘拐」初演、さらに26日には3回目の上演があった。 それは大変な熱気に包まれ、モーツァルトは「こんなに喝采されるのは気持ちいい」と父に伝えている。 その忙しいときに、「ナハトムジーク」を急いで書かなければならない事情があったことは確かであったが、それがこの「ハ短調」かどうかは謎であり、アインシュタインは「秘密におおわれている」と言っている。
われわれは動機や注文者についてはなにも知らない。 また注文者がこのセレナーデをそんなに急に欲しがったのか、それともこの曲が急にモーツァルトの魂からほとばしり出たのか、ということもわかっていない。 これは本当に野外のための《ナハト・ムジーク》なのだろうか? 普通の4楽章だけで、第一メヌエットも、第二の緩徐楽章も、両端の楽章のための導入部も行進曲もないのである。 ハ短調という暗い調性は、モーツァルトの社交音楽のなかでは唯一無二のものである。 ト短調がモーツァルトにおける宿命の調性ならば、ハ短調は劇的な調性であり、攻撃的なウニソノと抒情的な転換とが対立する調性である。
[アインシュタイン] p.286
この短調作品の「セレナード」という表題は作曲者自身によるものであるが、「ナハトムジーク」という呼称の方はどうしても不釣り合いである。 海老沢は「短調で書かれたということ自体、なにか異様であり、メヌエットも一つだけで4楽章制をとるその構成は純粋な室内楽曲を思わせる」と言っている。
私はこの曲が、夜の静寂の中で鳴りひびいた時のことを想像する。 いや想像しえない。 なぜなら、これはもはや楽しみの音楽ではないからだ。 それは変ホ長調のアダージョに愕然とさせられたサリエーリの思いでもあったろう。
[海老沢] p.192
第3楽章の「カノンのメヌエット」はゼバスティアン・バッハとヘンデルに捧げたオマージュとよく言われるが、アインシュタインは「まだヨーハン・ゼバスティアーン・バッハよりもむしろヨーゼフ・ハイドンを追っている技術的作品である」と言う。
メヌエットにはあらゆる種類のカノン風の進行があって、対位法の見本をなしているが、対位法がハイドンの場合のように陽気さの対象や、機智、気まぐれ、才気の表現手段などではなく、非常に厳格に考えられているので、決してただの見本には終っていない。
[アインシュタイン] p.286
その「対位法の見本」とは石井によれば「最も末梢的、形骸的な技法」であるという。 少し長い引用になるが、彼が譜例を示しながら解説する一節を紹介したい。 ここにモーツァルトの音楽の真髄が見事に捉えられているからである。
使われた技法は『二重の鏡のカノン』と呼ばれるひどく煩雑で不自然なものである。 鏡のカノンとは、対位する旋律2本の譜の中央に線を引いてみると、上の旋律と下の旋律が、鏡に映したように、対称形になっているものをいう。言葉でいうより実例をお目にかけよう。
(譜例、略)
上の旋律を、左に2小節ずらせてみれば、上と下は、寸分たがわぬ機械的な対象を作っている。
続いて、ファゴットの二人も、さらに2小節おくれて別のカノンをやり始める。
(譜例、略)
こちらも、正確な天地対称のカノンである。 モーツァルトは、この両者を組み合わせて、素人にはとてもできないような二重のカノンにして、きちんとしたハーモニーの枠組規則の中に押しこんだものである。
そのこと自体はたとえ複雑で、数学めいていても、少しも驚くべきことではない。 当時の『馬車曳きの馬』たちでも、このくらいの技術的作業はやれたのである。
驚くべきことはその次に起こる。 すなわち、これを音にして鳴らした時だ。 それは何という美しさに満ちていることか。 歌い合うオーボエとファゴットは、澄んで静謐な空間を作り出し、そこに青空の悲しみが漂う。
だれがそれを信じられるのだろうか。 このような姑息な末法の技術を使ってこのような詩想を生み出すとは。 いかにもそれは恐ろしいことであり、その恐ろしさの故に信じることのできないものである。 モーツァルトの頭脳の中では、音楽の数学性、論理性すらが、無意識の領域において消化され、全く自然な、自発的な流れとなって、まるで鼻歌を思いつくかのように、この世に生まれてくるのだった。
[石井] p.199

なお、よく知られているように、モーツァルトは1787年にこれを弦楽五重奏曲ハ短調(K.406 / 516b)に編曲している。

〔演奏〕
CD [MVCW-19016] t=17'35
ウィーン・フィルハーモニー木管グループ
1949年
CD [EMI CDM 7-63620-2] t=19'46
ニューフィルハーモニア管楽アンサンブル
1968年
CD [SRSC-8830] t=24'32
マック (ob), 他、シュナイダー指揮
1968年7月、マールボロ音楽祭ライブ
CD [PHILIPS PHCP-9159/60] t=23'58
エド・デ・ワールト指揮オランダ管楽アンサンブル
1969年3月
CD [SONY classical SB2K 60115] t=24'09
ダンツィ五重奏団
1977年6月
CD [ORFEO 35CD-10083] t=23'55
ベルリン・フィルハーモニー管楽アンサンブル
1982年11月、ベルリン
CD [CHANDOS CHAN 9284] t=23'25
オランダ管楽アンサンブル
1993年
CD [PHCP-11026] (2) t=4'34
マッキャンドレス (ob), 他
1995年、編曲
CD [DENON COCQ-83261] t=28'07
ウィーン木管八重奏団
1999年

〔動画〕

〔参考文献〕


 

Home K.1- K.100- K.200- K.300- K.400- K.500- K.600- App.K Catalog

2017/07/09
Mozart con grazia