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ヴィレム・ファン・ナッサウの歌による7つのピアノ変奏曲 ニ長調 K.25
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父レオポルトは、一家の西方への大旅行中のパリからザルツブルクの家主ハーゲナウアーに宛てた手紙で
1766年5月16日と書き残しているが、ここで2曲の変奏曲とは「グラーフのオランダ歌曲による8つのピアノ変奏曲 ト長調」(K.24)とこの「ヴィレム・ファン・ナッソーの歌による7つのピアノ変奏曲 ニ長調」である。
おなじ小包のなかには、なお2曲の変奏曲がありますが、それらは、ヴォルフガングがさるアリア(これは公のご成年とご即位の折に作られたものです)を主題として作り上げねばならなかったもの、それにオランダではくまなくだれもが歌ったり、吹いたり、口笛を吹いたりしている別のさる旋律を主題にして、いそいで書き下ろしたものです。 これらはたいしたものではありません![書簡全集 I] p.257
時計の針を巻き戻してみよう。
1763年6月から始まった大旅行はようやく3年経過して終盤、ロンドンから帰途に着こうとしていた。 レオポルトはミラノ、ヴェネツィアを回ってから帰郷しようと考えていたが、ロンドンを離れるときにオランダ大使の強い懇願を受けて計画変更、大陸に戻ってからはオランダ、パリを回って帰郷することになる。 オランニエ公女ナッサウ・ヴァイブルク侯妃カロリーネ(Caroline von Nassau-Weilburg, 1743-87)が是非とも神童ヴォルフガングと会いたいと願っていたからである。
一家は1765年7月にロンドンをたち、大陸に戻ったが、ところが、まずヴォルフガングが重い病気にかかり、それが良くなると今度はレオポルトがベッドから立ち上がれないほどの病気になり、さらに次には姉ナンネルが重いチブスにかかってしまった。 一家は9月12日にオランダ・デン・ハークに到着し、まず、レオポルトはハーゲナウアーに次のように伝えている。
1765年9月19日レオポルトは「8月をオランダで過ごし、9月の末ごろにパリに着き、それから徐々に」郷里ザルツブルクに帰るつもりだったが、このような事情で大幅に変更を余儀なくされた。 さらに悪い状況が続き、レオポルトはハーゲナウアーに最悪の事態を知らせた。
私ども人間の計画なぞまったくの無価値なものだという見本がやってまいります。 リルでヴォルフガングがたいへん烈しいカタルにかかりましたが、この子が2週間ほどでいくらかよくなると、今度は私に順番が回ってきました。 私は目眩に襲われましたが、これはまったく格別のものでした。
(中略)
これが私たちを4週間も引きとどめまして、私はなかば元気になり、なかば病気のままリルを発ち、まだそれほどよくならないままヘントに着きまして、ここに私どもは一日だけ滞在しました。[書簡全集 I] p.235
1765年11月5日10月21日には娘ナンネルの臨終の秘蹟さえおこなったことを伝えている。 奇跡的に彼女は助かり、ベッドから起き上がることができたとき、今度はまたヴォルフガングが倒れてしまった。 レオポルトの詳細な手紙は続く。
人間は自分の運命をまぬがれることはできません。 私は自分の気持に逆らって、オランダへやってこなければなりませんでしたが、その結果が、ここで、私のかわいそうな娘を失ったとはいわないまでも、ほとんどもう死に瀕している娘を見なければならなかったのです。[書簡全集 I] p.241
1765年12月12日幼い二人の子供が生死をさまよう苦難を切り抜け、年が明けて1月下旬、一家はアムステルダムを訪問、3月7日ころまで滞在。 四旬節のため公開の演奏が禁じられていたが、神童の演奏だけは特別だったようである。
娘がベッドを離れて1週間、そしてひとりで部屋の床を歩き慣れたか慣れないうちに、11月15日、ヴォルフガングが病気に襲われまして、彼は4週間というもの、この病気のためにまことに惨めな状態におちいり、まったく意識がなくなったばかりか、柔らかな皮と小ちゃな骨骸のほかなんにもなくなったほどでした。 今では5日前から、毎日ベッドから安楽椅子に運ばれています。 しかし、昨日とそれに今日は、二、三度、あの子を部屋のなかで動かし、徐々に足が動かせるようにし、またひとりで立っていられるようにしています。[書簡全集 I] p.249
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1766年1月21日、「アムステルダム火曜時報」このような演奏の機会に、当時オランダでよく知られていた歌「ヴィレム・ファン・ナッソーの歌」の主題によるクラヴィーア変奏曲を即興演奏して聴衆の大喝采を浴びたであろうと想像できるが、確かなことはわからない。
ザルツブルク領主大司教の楽長モーツァルト氏は、1766年1月29日水曜日、アムステルダムの「サール・デュ・マネージュ」で大演奏会を催す。 その際8才8ヶ月の息子と14才の娘がクラヴィーアで協奏曲を演奏する。 序曲は全て、抜群の才能を示し、ヴィーン、ヴェルサイユ、ロンドンで驚異の的となったこの少年作曲家の手になるものである。 希望者が好みの楽譜を示せば、彼はすぐに初見で演奏し・・・
1766年2月25日、「アムステルダム火曜時報」
特別な希望によりモーツァルト氏の二人の子供は2月26日水曜日「サール・デュ・マネージュ」で2回目の大演奏会を催す。 二人は2台のクラヴィーアで協奏曲を演奏するだけでなく、1台で四手の演奏もする。 少年は自分自身のカプリッチョ、フーガ、それに大作曲家達の作品も演奏する・・・[ドイッチュ&アイブル] p.44
3月7日ころモーツァルト一家はアムステルダムからデン・ハークに戻っているが、それは、1751年に父ヴィレム4世の地位を継ぎ、1766年3月8日に18歳に達したオランニエ公ヴィレム5世の叙任の式典に参列するためだったと思われる。 カロリーネはオランニエ公ヴィレム4世の娘で、ヴィレム5世の姉。 1760年、フォン・ナッサウ・ヴァイルブルク侯(Carl Christian Prinz von Nassau-Weilburg)と結婚。 歌うのが上手であったが、ピアノ(チェンバロ)の腕前もたいしたものだったという。 モーツァルトは6曲のピアノ・ソナタ(K.26, K.27, K.28, K.29, K.30, K.31)を「作品 IV」として献呈したほか、アリア「誠実に身を守れ」(K.23)も作曲している。 さらに1778年1月17日付けの手紙で、モーツァルトは「シンフォニーを1曲献呈するつもりです」と書き、同月24日付けの手紙ではレオポルトが「ヴォルフガングは公妃様に差し上げるためにアリアやシンフォニーを用意してきた」とも書いているが、残念ながら不明。
余談であるが、この曲(K.25)のテーマ「ヴィレム・ファン・ナッサウの歌」は現在のオランダ国歌となっている。 また、モーツァルトはこの主題を『ガリマティアス・ムジクム』(K.32)の終曲のフーガにも(ヘ長調で)使わっているという。 さらにまた、12年後、モーツァルトが母と二人でパリに向かって旅立ち、ザルツブルクに残った父レオポルトが自分の手の届かないところへ息子が離れて行こうとしていることに危機を抱いて書いた手紙
1778年2月12日、マンハイムの息子への中にある歌『オラーニャ・フィガターファ oragnia figatafa』の旋律もこの曲(K.25)のテーマと共通した動きをもっているという。 モーツァルト父子にとって、1766年のオランダでの生死をかけた闘病生活は終生忘れることのできない記憶だった。
子供のおまえが安楽椅子の上に立って、私のために『オラーニャ・フィガターファ』を歌ってくれて、最後には鼻先にキスし、そして私がおじいさんになったら、おまえは私をガラスのケースに入れて外気から守ってくれて・・・[書簡全集 III] p.513
〔演奏〕
CD [EMI TOCE-11557] t=4'19 ギーゼキング Wlater Gieseking (p) 1953年8月18日、ロンドン、No.3 Studio, Abbey Road |
CD [PHILIPS PHCP-3673] t=6'36 ヘブラー Ingrid Haebler (p) 1975年11〜12月、アムステルダム、コンセルトヘボウ |
CD [SYMPHONIA SY-91703] t=8'13 アルヴィーニ Laura Alvini (hc) 1990年8月、Teatro "A. Ponchielli" di Cremona ※デュルケン(1747)モデルのチェンバロ(1983)で演奏。 |
CD [EMI TOCE-7514-16] t=9'24 バレンボイム Dniel Barenboim (p) 1991年3月2〜5日、Bavaria Musik Studio |
CD [NAXOS 8.550611] t=7'06 ニコロージ Francesco Nicolosi (p) 1991年12月16〜22日、 the Moyzes Hall of the Slovak Philharmonic in Bratislava |
〔動画〕
〔参考文献〕
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