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ピアノ小品 K.33BPiano piece (untitled) / Klavierstück in F〔作曲〕 1766年10月初? チューリヒ |
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モーツァルト一家は1763年6月9日、西方への大旅行に出発した。 ザルツブルクに戻るのは、約3年半後の1766年11月29日であるが、その間、各地の王侯・貴族の前で神童ぶりを発揮したことはよく知られている。 その旅が終りに近づく頃、1766年9月27日に一家はチューリヒに到着し、2週間滞在した。 そのとき聖母マリア大聖堂の隣にある音楽堂でモーツァルト姉弟の演奏会が催された。 10月7日と9日のことであったという。 当地のムジーク・コレギウムの音楽会予告ビラの裏にこの曲が書き残され、その自筆譜はチューリヒの中央図書館に所蔵されている。 作曲の目的についてカウデリーは「即興的な作曲能力を示すため」と推測しているように、ピアノ演奏だけでなく作曲についても驚くべき才能があることを即席で示したのだろう。
曲はヘ長調(アレグロ)で、12小節と14小節から成る二部形式。 あるいは3小節の中間部をはさむ三部形式。 ピアノ譜で書かれた旋律とバス声部で構成されているが、必ずしもピアノ演奏用と限定するものではなく、フルートとファゴットでの演奏もある。 曲のタイトルはなく、ザスロー編「モーツァルト全作品事典」では「舞曲」に分類され《無題の小曲「コントルダンス」》として掲載されている。
余談であるが、パリでカルモンテル(Louis Carrogis de Carmontel, 1716-1806)が描いた水彩画(1763年)をもとにドゥラフォス(Jean Baptist Delafosse)や弟子のメーヒェル(Christian von Mechel, 1737-1817)が銅版画を作った。 それをレオポルトは旅の先々で売っていたという。 ちょうどこの小品が書かれていた頃、次のような宣伝が掲載されている。
『木曜通信』から。 チューリヒ、1766年10月9日
靴職人ツンフト、オレル、ゲスナーとその会社で入手可能なもの
目下当地に滞在中の有名なモーツァルト一家を描いた銅版画。 椅子に寄りかかる父モーツァルト氏、クラヴィーアの前に坐る9才の息子、その側に立つ姉、マドモアゼル・モーツァルト。 この美事な姿はカラース家の絵を描いた芸術家の手になるものである。 現金払いで30クローネ。[ドイッチュ&アイブル] p.52
〔演奏〕
CD[PHILIPS PHCP-3595] t=1'13 マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールド 1971年8月、ロンドン ※コントルダンス曲として、フルートとファゴットで演奏 |
CD[PHILIPS PHCP-3594] t=1'02 スミス (hc) 1976年、ロンドン ※チェンバロによる演奏 |
CD[U.S.A. Music and Arts CD-660] t=0'59 キプニス (fp) 1986年10月、コネチカット、ウィルトン ※グレプナー製フォルテピアノ使用 |
CD[BVCD 34037] ホグウッド (hc) 2004年10月、ザルツブルク ※モーツァルト所有クラヴィコードで演奏 |
〔動画〕
〔参考文献〕
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