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テノールのためのレチタティーヴォとアリア「務めが私を強いる今こそ Or che il dover ジギスムントの事蹟はかくも偉大にして Tali e cotanti sono」 K.36 (33i)〔編成〕 T, 2 ob, 2 fg, 2 hr, 2 tp, timp, 2 vn, va, bs〔作曲〕 1766年12月 ザルツブルク |
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作詞者不明。 ケッヘル番号 K.36 は1766年12月から1767年3月12日の間に作られたオラトリオ「第一戒律の責務」(K.35)の次に位置するものであるが、このアリアはたぶん1766年12月21日に演奏されたと思われ、K.33i と改められている。 それはザルツブルク大司教ジークムント・フォン・シュラッテンバッハ(当時32歳)の叙階式記念日だった。 この日の宮廷日誌には
アヴェ・マリアの夕べの後、領主自らイタリア劇団に出掛けられた。 当地に滞在中のバンダの上演によるものである。 喜劇の題は『イル・カヴァリエーレ・ディ・スピーリト』、その後四声によるインテルメッツォ、題は『サッツェソ夫人の愛を求める三人の恋がたき』、最後にレツィタティーフとアリアによるリチェンツァ。 音楽は若いヴォルフガング・モーツァルト。 彼は当地の副学長の子息であり、十才の驚嘆すべき少年。のように記されている。 また、ザルツブルク聖ペトロ教会のヒューブナー神父(Beda Hübner, 1740-1811)が残した日誌にもそのことが書かれているという。 リチェンツァLicenzaとは18世紀の前半ころにオーストリアやドイツにおいて宮廷オペラの上演の際に歌われていた、次のような種類の曲である。[ドイッチュ&アイブル] p.65
彼は2つのいわゆる《リチェンツァ》を書いている。 これは、オペラが終ったのちに、聴衆のなかの最も身分の高い人に直接呼びかけて歌う曲のことである。 ヴィーンではこの種のリチェンツァは一つの小劇唱(ミニアトゥール・シェーナ)にまで成長し、そのなかではたいていオリュンポスの神々がそっくり持ち出されるのだったが、ザルツブルクではそれよりひかえめに作られていた。モーツァルトが誕生した18世紀の半ばはこの種の習慣がなくなりつつあるころだった。 彼が書いた2つのリチェンツァとは K.36 と K.70 である。 前者はテノールのため、後者はソプラノのために作られている。 アインシュタインは「いずれも名人芸(ブラブーラ)アリア式ではあるが同時に地方的である」と評している。[アインシュタイン] p.486
〔歌詞〕
Or che il dover m'astringe,
In scelte e corte rime
Grato mostrarmi a qual onor sublime,
Di cui ci ricolmaste, o prence eccelso,
Ne'miei pensieri immerso
Ricerco un buon concetto.
...
Tali e contanti sono
Di Sigismondo i merti,
Che i nostri ingegni incerti,
Non sanno qual riverendo cor.
...
〔演奏〕
CD [koch schwann CD 313 021 H1] t=8'43 Marcel Reijans (T), European Chamber Orchestra, Wilhelm Keitel (cond) 2002年6月、バイロイト劇場 |
〔動画〕
〔参考文献〕
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