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1766年2月25日 アムステルダム火曜時報
特別な希望によりモーツァルト氏の二人の子供は2月26日水曜日「サール・デュ・マネージュ」で2回目の大演奏会を催す。 二人は2台のクラヴィーアで協奏曲を演奏するだけでなく1台で四手の演奏もする。 少年はオルガンで自分自身のカプリッチョ、フーガ、それに大作曲家達の作品も演奏する。[ドイッチュ&アイブル] p.44
1778年2月16日、ザルツブルクのレオポルトから
ブロイナー侯近侍のマルティーン・グラスルは今日埋葬されました。 この人のためにヴォルフガングがヴァルトホルンの小曲を一つ作ったのを思い出すことだろう。[書簡全集 III] p.531
1778年2月14日、マンハイムからザルツブルクの父へ成立時期は不明である。 手紙で「以前に書きとめておいた」ことを父に確認しているので、モーツァルトがザルツブルクをあとにして旅に出た「1777年9月23日以前」であることは間違いないが、プラートは筆写譜の筆跡から、1772年頃ミラノで書かれたと推定。
もしぼくの思い違いでなければ、以前に書きとめておいたカデンツァがあるでしょうし、少なくとも装飾音を全部書き出した形のアリア・カンタービレが一曲あるでしょう? 真っ先にそれがほしいのです。 ヴェーバー嬢の練習にとても役立ちますから。[書簡全集 III] p.526
CD [MDG 301 0499-2] t=11'08 Consortium Classicum 1998年 |
CD [KKCC-4123-4] t=0'44 オランダ・ソロイスツ・アンサンブル 1992年 |
CD [ポリドール F35L-21020] t=0'44 ホグウッドはこの練習帳のIV-38「メヌエット ト長調 32小節」とIV-52「トリオ ニ長調 18小節」をとり、セレナード「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(K.525)の第2楽章に置いて演奏している。 |
CD [キング K32Y 297] t=2'30 クロムランク (p) |
CD [キング K32Y 297] (27)フーガ ハ短調 t=0'45, (48)運指練習曲 t=1'13 クロムランク (p) |
〔参考文献〕
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