17 age |
61 5 |
62 6 |
63 7 |
64 8 |
65 9 |
66 10 |
67 11 |
68 12 |
69 13 |
70 14 |
71 15 |
72 16 |
73 17 |
74 18 |
75 19 ▲ |
76 20 |
77 21 |
78 22 |
79 23 |
80 24 |
81 25 |
82 26 |
83 27 |
84 28 |
85 29 |
86 30 |
87 31 |
88 32 |
89 33 |
90 34 |
91 35 |
92 |
祝典劇「イル・レ・パストーレ(羊飼の王様)」 K.208序曲と2幕14曲 Il rè pastore, Dramma per musica in due atti, overture and 14 numbers〔編成〕 2 fl, 2 ob (第10曲 2 ehr), 第12曲 2 fg, 2 hr, 2 tp, 2 vn, 2 va, vc, bs 〔作曲〕 1775年4月23日前 ザルツブルク |
|
序曲 Molto allegro ハ長調
第1幕
登場人物
動画[http://www.youtube.com/watch?v=W8BDMN-_EBI]から |
メタスタージオ詞による原作をもとに編作した祝典オペラであり、モーツァルトは「オペラ」ではなく「セレナータ」と言っている。 その編作者は不明。 オペラ劇場のないザルツブルクでは、本格的なオペラは上演できなかった。 それで宮廷の一室を劇場に見立てて、歌手がそれらしい格好で、簡単な身振りをつけて歌う軽いオペラが上演された。 観客も役者もステージに見立てた台を囲むようにして周りに座った。 このような音楽は劇場用セレナータ(演奏会形式のオペラ)と呼ばれる。
女帝マリア・テレジアの皇子マクシミリアン・フランツ大公がイタリア旅行の途中、ザルツブルクに立ち寄るのに際してザルツブルク大司教は宮廷楽長フィスキエッティ(50才)とモーツァルトにそれぞれオペラを作曲させて、大公を歓迎することになった。 モーツァルトはオペラ・ブッファ『偽の女庭師』(K.196)をミュンヘンで上演し、父と姉とともに3月7日に帰郷したばかりだった。 初演は4月23日であり、大急ぎで作曲することになったが、そもそもザルツブルクには本格的なオペラ歌手がいなかった。 そのため『偽の女庭師』でラミーロを演じたカストラート歌手コンソーリ(Tommaso Consoli, 1753-1811以降、当時22才)とフルート奏者ベッケ(Johann Baptist Becke, 1743-1817、当時32才)をミュンヘンから呼んで間に合せた。 この二人の助っ人を呼び寄せたのはレオポルトなのか、それとも楽長フィスキエッティなのか、それとも二人の相談の上でそうしたのかは不明であるが、出演依頼するためには旅費も含めて相当額の手当てが必要であり、副楽長レオポルトが個人的に呼んだとは考えにくい。 いずれにしても、『羊飼の王様』の主役はアミンタであり、せめてその役だけでも一流の歌手が演じなければ単なる田舎芝居に終ることになってしまう。 しかし試演は、大公の一行がザルツブルクを訪れた4月21日の前日、初演の3日間の4月20日木曜日だったというので、舞台はともかくとして、はたして観客を満足させるほどの演劇になったかどうかわからない。 大急ぎで上演にこぎ着けたものと思われる。 マクシミリアン大公の『旅行日誌』には次のような簡単な記載しかない。
23日、日曜日・・・ 前日と同様今夜も最後に音楽会と夕食会があった。 音楽会に関して前日と違う所は前日の有名な楽長フィシェッティの他にそれに劣らず有名なモーツァルトが今夜のカンタータの音楽を制作していたことである。ここではこの種の歌芝居をカンタータと言っていることもわかる。 この「日誌」を書いたのは随行していたハルデック伯爵(Johann Franz Graf Hardegg)であったが、続けて次のように記載している。[ドイッチュ&アイブル] p.117
24日、月曜日・・・ 今まで同様音楽の楽しみがあったが、今夜はある未亡人と並んで大司教の姪のリュツォウ伯爵夫人がフリューゲルを演奏をした。 大公、大司教も演奏をしたがG・ウガルテ、ツェルニン、ハルデックが伴奏した。 音楽会の最後に有名な若いモーツァルトがフリューゲルの演奏をしたが、様々な曲を暗譜で技巧豊かに、しかも楽々と弾いた。 それでその日はお開きになったが、目前に迫った大公の出発のために各人つかの間の安らぎであった。ウガルテ伯爵(Johann Wenzel Reichsgraf Ugarte, 1748-96、当時27才)も大公の随行団の一員で、のちにウィーン宮廷劇場総監督(ブルク劇場とケルントナートーア劇場の両方の)になる人物である。 彼はヴァイオリンの演奏にたけていたという。 なお、フィスキエッティが書いたのもメタスタージョの台本によるセレナータ『ヘスペリデスの園 Gli orti esperidi』で、4月22日に上演された。 そちらも登場人物は5人であり、コンソーリも出演したのだろう。
この『羊飼の王様』はメタスタージョの書いた名高い台本の一つであり、ボンノが曲をつけて1751年10月にウィーンで初演されている。 その後、当時の有名なオペラ作家たち、サルティ、ハッセ、グルック、ヨメッリ、ピッチンニなどが曲をつけていたというが、その3幕ものの劇について、メタスタージョ本人は「これほどたやすく書けた作品はほかにありません、しかしこれほど顔を赤くしないですむ作品もほかにありません」と語っていたものであった。 しかしアインシュタインは「これは彼の最もつまらない駄作の一つである」と切り捨て、これをもとにモーツァルトが2幕の劇に切り詰めて音楽を書いたことについては次のように言って、物足りなさを強調している。
アレクサンドロス大王の庇護下に《国家理性と愛》というテーマを考究する相愛の二組が、高貴な心をまことに奔流のように流れ出させ、支配者の義務に関する、シロップのように甘ったるい智慧をしたたり落させる。 アリア(半ば英雄的、半ば牧歌的なもの)は事件の発展とはほとんど関係がない。 モーツァルトのなすべき仕事は、ただ美しい音楽、再び非常に器楽的な楽想のものを書くこと以外にはなにもない。ただし最初に曲をつけたボンノの初演でも、プロのオペラ歌手ではなく、宮廷の貴族たちによりシェーンブルン宮殿内で演じられたものであった。 このような事例を大公の一行が知らなかったはずはなく、前日のフィスキエッティのセレナータも同様に、美しい音楽とともに簡明な劇の進行と期待通りのハッピーエンドで十分だった。 多少の演技の拙さはご愛嬌として折り込み済みだったのだろう。 想像をたくましくすれば、むしろ特別出演のコンソーリが目立ちすぎて違和感があったかもしれない。[アインシュタイン] p.547
すなわち、この作品では、大王の裁断の後の恋人たちの悩み苦しみの描写が、余りにも単純化されてしまった。 しかし、ここでは、祝祭的気分を盛り上げることが第1で、当日の皇子を暗示する大王の勇気や慈悲の深さが盛り込まれていさえすれば、必要にして十分である。つまりこの劇音楽に求められていたのは、このようなものだったのであり、[事典] p.124
その意味では、アレッサンドロの慈悲と決断、アミンタの清廉と高潔とが中心に据えられる結果となって、立派にその目的を果たしている。このような事情であれば、アインシュタインの辛口批評は的外れのようである。 観客はモーツァルトの美しい音楽に不満はなかっただろう。 もう一人の助っ人、フルート奏者ベッケはどんな役割だったのか。 確証はないが、次の場面が仕事の一つだったかもしれない。同書
二つのアリアはコンチェルタントな器楽の独奏を使って歌唱声部と競争させている。 英雄的なアレッサンドロのアリアではフルート、抒情的なアミンタスのアリア『わたしが愛するなら、いつまでも変るまい』(第10曲)ではヴァイオリンを使っている。特にこのヴァイオリンを伴奏とする第10曲アミンタのアリアは美しく、今日でもよく歌われ知られている。[アインシュタイン] p.547
〔あらすじ〕
マケドニアの王アレッサンドロがシドンの町を占領し、羊飼いアミンタをその町の王にし、先王の娘タミーリと結婚させようとする。 しかしアミンタには約束の人エリーザがいる。 実はアミンタは自分がシドンの王位継承者であることを知らなかった。 その秘密を知っていたアジェーノレから告げられ、アミンタは王位と愛のジレンマに立たされる。 他方、アジェーノレはタミーリに恋していたことから、ここに二組の恋が交錯するというお決まりのパターン。 最後は訳を知った賢王アレッサンドロの配慮でめでたく解決する。
余談であるが、のちに(1777年)ミュンヘン滞在中のモーツァルトはこの作品をミスリヴェチェクに送った。 彼は梅毒に犯され見るも無残な形相となっていたが、カンタータまたはセレナータを作曲中で、あと数曲のアリアで完成というところだった。 そのようなミスリヴェチェクに同情してのことだったと思われる。
モーツァルトの『羊飼の王様』は生前に再演された記録はなく、自筆譜は第2次大戦中に紛失したという。 現在は旧ブライトコップ版全集の資料だけで残る。
第3曲の主題を、この年の9月に作曲した「ヴァイオリン協奏曲 K.216」の第1楽章の主題に使った。
[ソロモン]p.216 にそれらの譜例が載っている。
また、1778年2月、旅先のマンハイムでカンナビヒ邸で音楽会があり、そのとき序曲(あるいは序曲から作られたシンフォニー K.213c)を演奏した。
同地では、よく知られているように、モーツァルトはアロイジアに恋するようになり、この作品の中の数曲のアリア(たぶん第2曲、第3曲、第8曲、第10曲)をプレゼントしたが、そのために必要な譜面を送ってくれるよう、ザルツブルクの父に頼んでいる。
そのうちの1曲アミンタのアリア「穏やかな大気」を3月に催されたカンナビヒ邸での音楽会でアロイジアが歌い、大喝采を受けたことを父に伝えている。
〔演奏〕
LD [PHILIPS PHLP-7801] t=115'46 コックス演出/マリナー指揮アカデミー アミンタ Aminta = ブラーシ Angela Maria Blasi (S)/ エリーザ Elisa = マクネアー Sylvia McNair (S)/ タミーリ Tamiri = ヴァーミリオン Iris Vermillion (Ms)/ アレッサンドロ大王 Alessandro = ハドリー Jerry Hadley (T)/ アジェーノレ Agenore = アーンシェ Claes Ahnsjo (T) ザルツブルク州立劇場「モーツァルト週間」におけるライブ/1989年1月 |
〔動画〕
〔参考文献〕
Home | K.1- | K.100- | K.200- | K.300- | K.400- | K.500- | K.600- | App.K | Catalog |