Mozart con grazia
> なんでも手帳(ハンディ索引)
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Pietro Antonio Domenico Metastasio1698 - 1782 |
ヴェネツィアに生まれた。ウィーンの宮廷詩人で、オペラの台本作家。マリア・テレジア女帝の庇護を受け、隠然たる力を持っていた。
「18世紀最大の音楽詩人」(ロマン・ロラン)と呼ばれ、スカルラッティ、ヘンデル、ハイドン、グルック、ハッセなどにオペラの台本を提供した。
フランス・オペラにリュリが占めたのと同じ絶対権をイタリア・ドイツのオペラ界に半世紀にわたり占めていた、と言われる。
関連するモーツァルトの作品
- K.21 (19c) アリア「行け、怒りにかられて」
"Va, dal furor portata."
- K.23 アリア「誠実に身を守れ」
"Conservati fedele."
- K.71 アリア「ああ、もはや慄えまじ」
"Ah, piu tremar non voglio."
- K.73A (Anh.2) アリア「不幸なのはあなたではありません」
"Misero tu non sei."
- K.78 (73b) アリア「願わくは、いとしい人よ」
"Per pieta, bell'idol mio."
- K.88 (73c) アリア「あまたの苦難に会いて」
"Fra cento affanni."
- K.79 (73d) レチタティーヴォとアリア「おお、大胆なアルバーチェよ。この父の抱擁ゆえに。」
"Oh, temerario Arbace ! Per quel paterno amplesso."
- K.77 (73e) レチタティーヴォとアリア「哀れなる私。哀れ幼な子よ。」
"Misero me. Misero pargoletto."
- K.82 (73o) アリア「もし勇気と希望が」
"Se ardire, e speranza."
- K.83 (73p) アリア「もしわが悩みのすべてを」
"Se tutti i mali miei."
- K.74b アリア「愛に心用いず」
"Non curo l'affettlo."
- K.118 (74c) オラトリオ「救われしベトゥーリア」
"La Betulia liberata"
- K.126 劇的セレナータ 「シピオーネの夢」
"Il sogno di Scipione"
- K.208 祝典劇「イル・レ・パストーレ(羊飼の王様)」
"Il re pastore"
- K.294 レチタティーヴォとアリア「アルカンドロよ、私はそれを告白する。どこからこの愛情が来るのか。」
"Arcandro, lo confesso. Non so d'onde viene."
- K.295a (486a) レチタティーヴォとアリア「もはや、あなたの勝よ。ああ、私を見棄てないで。」
"Basta, vincesti. Ah, non lasciarmi."
- K.368 レチタティーヴォとアリア「されど、おお星々よ、彼汝らに何をなかせし。岸辺近く願いぬ。」
"Ma che vi fece o stelle. Sperai vicino al lido."
- K.369 レチタティーヴォとアリア「不幸なこの私はどこにいるの? ああ、語っているのは私ではない。」
"Misera, dove son ? Ah, non son'io che parlo."
- K.440 (383h) アリア「あなたに望むは、おおわが夫よ」
- K.432 (421a) レチタティーヴォとアリア「かくて汝は裏切りぬ。激しく堪えがたき苛責。」
"Cosi dunque tradisci. Aspri rimorsi atroci."
- K.436 三重唱 「いざ恐るべき時が来た」
"Ecco quel fiero istante"
- K.512 レチタティーヴォとアリア「アルカンドロよ、私はそれを打ち明ける。どこから来るのか私は知らない。」
"Alcandro, lo confesso. Non so d'onde viene."
- K.532 三重唱「君が偽りのおかげで」
"Grazie agl'inganni tuoi."
- K.538 アリア「ああ、情け深い星たちよ、もし天にいて」
"Ah, se in ciel, benigne stelle."
- K.549 カンツォネッタ「もはや見当たらず」
"Piu non si trovano."
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1740? - 75 |
1740年頃トスカーナのモンテ・プルチアーノで生まれ、1758年からウィーンで作家活動した。
1768年、ウィーンで少年モーツァルト(12才)がゴルドーニの台本をもとにオペラ『ラ・フィンタ・センプリチェ』(K.51 / 46a)を書いたとき、コルテリーニはその台本に手を加えている。
それに対し、アインシュタインは次のように言っている。
リブレットはゴルドーニの作品であって、1764年にサルヴァドーレ・ペリルロの音楽によってヴェネツィアではじめて舞台にのせられたものである。
原作のリブレットは当時無名で公けにされていた。オペラ自体は不成功で、ヴェネツィアより先へはひろまらなかった。
こういうわけで、コルテルリーニが当時の帝室劇場請負人アフリシオ(彼は全くのならず者だった)と了解のもとに、他人の功を奪ったということは大いにありうることである。
彼は2、3のアリアを新しいものと取り替えたにすぎない。
そして僅かに第3幕だけはややうまく改作しており、ことにフィナーレは大いに新しく仕上げいるから、
ゴルドーニと並べて自分の名前をなのる権利は少しは持つであろう。
[アインシュタイン] p.532
1769年以後、メタスタージオの後継者と言われていた宮廷詩人。
娘チェレスタ(Cölestine [Celesta] Coltellini, 1760 - 1828)は歌手で、モーツァルトは彼女のために
- K.479 四重唱「せめて言っておくれ、どんな過ちをしたのか」
- K.480 三重唱「いとしのマンディーナ」
を書いている。
〔参考文献〕
- [アインシュタイン]
アルフレート・アインシュタイン 「モーツァルト、その人間と作品」 浅井真男訳、白水社 (復刊)
2012/09/16