Mozart con grazia
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- K.38 アポロとヒアキントス
- ラテン語喜劇、序曲と1幕9曲
Apollo et Hyacinthus seu Hyacinthi Metamorphosis
1767年4〜5月 ザルツブルク [11歳]
ヴィードル Rufinus Widl 詞。
ザルツブルク大学の依頼。
- K.51 (46a) 見てくれのばか娘
- オペラ・ブッファ、序曲と3幕26曲
La finta semplice. Opera buffa in tre atti, sinfonia and 26 numbers. Libretto by Marco Coltellini after Goldoni
1768年4〜6月 ウィーン [12歳]
ゴルドーニ作、マルコ・コルテリーニ編の詞。ヨーゼフ2世の依頼によるオペラ。
- K.50 (46b) バスティアンとバスティエンヌ
- ジングシュピール、序曲と1幕16曲
Bastien und Bastienne. Singspiel in one act, intrada and 16 numbers. Libretto by F.W. Weiskern, Johann Muller, J.A. Schachtner
1767年〜68年 ウィーン [11〜12歳]
台本はジャン・ジャック・ルソーの「村の占師 "Le Devin du village"」や、そのパロディー化したファヴァール Marie-Justine Benoite Favart, Charles-Simon Favart とアルニー Harny de Guerville らの「バスティアンとバスティエンヌの恋 "Les Amours de Bastien et Bastienne"」。
それらをヴァイスケルン Friedrich Wilhelm Weiskern、ミュラー Johann Muller、シャハトナー Johann Andreas Schachtner らがドイツ語詞に直した。
ニッセンの記述によると、医師アントン・メスメル Dr Anton Mesmer の依頼。
- K.87 (74a) ポントの王、ミトリダーテ
- オペラ・セリア、序曲と3幕25曲
Mitridate, rè di Ponto. Opera seria in tre atti, overture and 25 numbers. Libretto by V.A. Cigna-Santi
1770年9月29日〜12月末 ボローニァ、ミラノ [14歳]
台本はラシーヌ Racine の悲劇。
それを基にチーニァ・サンティ Vittorio Amedeo Cigna-Santi が作詞。
ミラノ総督フィルミアン伯爵の注文による。
初演は12月26日、ミラノの大公家宮廷劇場(テアトロ・レッジオ・ドゥカーレ)で。
- K.118 (74c) 救われしベトゥーリア
- オラトリオ
La Betulia liberata. Azione sacra in due parti for 6 solo voices, chorus and orchestra
1771年3月〜夏 ザルツブルク [15歳]
物語は旧約聖書ユディットの書から、メタスタージォがイタリア語で脚色したもの。
パドヴァでアラゴン大公ジュゼッペ・クシメネスから注文を受け、1775年5月にミュンヘンで上演された。
オラトリオの伝統に従って2部に分けられ、各曲は劇の進展を語るレチタティーヴォでつながる。
- K.111 アルバのアスカニオ
- 劇場セレナータ、序曲と2幕33曲
Ascanio in Alba. Serenata teatrale in due atti, overture and 33 numbers. Libretto by A.G. Parini
1771年8月21日〜9月23日 ミラノ [15歳]
パリーニ Abbate Giuseppe Parini 詞。
マリア・テレジア女帝の皇子フェルディナンド大公とモデナのベアトリーチェ王女の婚儀のために。
初演は10月17日。
- K.126 シピオーネの夢
- 劇的セレナータ、序曲と1幕12曲
Il sogno di Scipione. Serenata drammatica in 1 act, overture and 12 numbers. Libretto by Pietro Metastasio
1771年3〜8月 ザルツブルク [15歳]
メタスタージオ詞。
その詩は1735年カール6世の誕生日を祝って書かれた。
1772年1月に予定されていた大司教シュラテンバッハ在位50周年記念のために作ったが、突然の死によりそれをヒエロニムス・コロレド伯の大司教新任祝典のために書き直した。
- K.135 ルチオ・シラ
- オペラ・セリア、3幕23曲
Lucio Silla. Dramma per musica in tre atti, overture and 23 numbers. Libretto by Giovanni de Gamerra
1772年10月〜12月 ザルツブルク、ミラノ [16歳]
ジョヴァンニ・ダ・ガメルラ詞。
1773年のカーニヴァル用として。
初演は12月26日ミラノで。
- K.196 偽の女庭師
- オペラ・ブッファ、序曲と3幕28曲
La finta giardiniera. Opera buffa in 3 acts, overture an 28 numbers. Libretto by Giuseppe Petrosellini (?)
1774年9月〜75年1月 ザルツブルク、ミュンヘン [18歳]
イタリア語の原典はラニエロ・デ・カルツァビージ Raniero de Calzabigi 詞、マルコ・コルテリーニ Marco Coltellini 改訂という説があるが、新全集ではジュゼッペ・ペトロセリーニ Giuseppe Petrosellini?としている。
1774年9月ミュンヘンの選帝侯マクシミリアン3世から作曲を依頼され、同年12月に初演の予定だったが、年を越して1月13日ザルヴァートル劇場 Salvatortheater で初演された。
後にドイツ語のジングシュピールに書き直し(シャハトナーが翻訳)1780年アウクスブルクで上演した。
- K.208 イル・レ・パストーレ(羊飼の王様)
- 祝典劇、序曲と2幕14曲
Il rè pastore. Dramma per musica in due atti, overture and 14 numbers. Libretto by Metastasio
1775年4月23日前 ザルツブルク [19歳]
メタスタージオ詞。
ザルツブルク大司教の依頼。
1775年4月23日、女帝マリア・テレジアの皇子マクシミリアン・フランツ大公のザルツブルク訪問を記念して初演された。
- K.345 (336a) エジプト王タモス
- 合唱と間奏曲
Thamos, König in Ägypten. Play with music in 5 acts
フォン・ゲプラー von Gebler 詞。
劇の内容は後の「魔笛」を先行する。
K.173d (初稿) 1773年夏終か秋 ウィーンかザルツブルク [17歳]
1774年4月4日にウィーンで初演。
K.336a (再稿) 1779年 [23歳]
ベーム劇団がザルツブルクで上演するとき、書き直した。
- K.344 (336b) ツァイーデ
- ジングシュピール、2幕15曲(未完)
Zaide. Singspiel in two acts (fragment)
1779年〜80年 ザルツブルク [23〜24歳]
原作はセバスチアーニ F.J. Sebastiani。
シャハトナー編作。
ザルツブルクに来演中のベーム劇団のために。
2幕15曲までで未完成。
生前に演奏されたか不明。
序曲もなく、タイトルも不明。
「ツァイーデ」とはこのオペラの女主人公の名による仮称で、正式なタイトルではない。
前曲 K.345 が「魔笛」の、そしてこれは「後宮からの逃走」の先行作と見られている。
- K.366 クレタ王イドメネオ
- オペラ・セリア、別名「イリアとイダマンテ」、序曲と3幕32曲
Idomeneo, Rè di Creta, ossia Ilia ed Idamante. Opera seria in 3 atti, overture and 32 numbers. Libretto by Gianbattista Varesco
1780年10月〜81年1月 ザルツブルク、ミュンヘン [24歳]
ヴァレスコ詞。
シャハトナー翻訳。
ミュンヘン選挙侯カール・テオドールの依頼。
初演は新築のミュンヘン宮廷歌劇場で、カンナビヒの指揮により。
1786年3月13日ウィーンのアウエルスベルク侯宅でアマチュアによる内輪の演奏が行なわれ、そのとき大幅な改編をした。
その後この改訂版とオリジナル版とが今日まで混ぜ合わされて使用されている。
- K.384 後宮からの誘拐
- ジングシュピール、序曲と3幕21曲
Die Entfuhrung aus dem Serail. Singspiel in 3 Akten, overture and 22 numbers. Libretto by J.G. Stephanie
1781年7月30日〜82年5月19日 ウィーン [25〜26歳]
ブレッツナー Christoph Friedrich Bretzner の台本を、シュテファニー弟 J. Gottlieb Stephanie が編集。
ヨーゼフ2世の依頼で。
ウィーンを訪問したロシアの大公の歓迎行事で演奏される予定だったが、宮廷内の妨害でかなり延期され、1782年7月16日ウイーンのブルク劇場で初演。
皇帝ヨーゼフ2世が「音楽が多すぎる」と言ったのに対して、モーツァルトが「ちょうど必要なだけの音符です」と答えたという有名な話がある。
- K.422 カイロの鵞鳥
- オペラ・ブッファ、2幕7曲 (未完)
L'oca del Cairo. Opera buffa (dramma giocoso) in 2 acts (fragment), 6 numbers are scored. Libretto by Gianbattista Varesco
1783年7〜10月 ザルツブルクとウィーン [27歳]
ヴァレスコ詞。
モーツァルトは意欲的に取り組んだが、それに応じてヴァレスコは詞を作らなかったので、作曲を断念した。
- K.430 (424a) 騙された花婿
- オペラ・ブッファ、序曲と2幕4曲(未完) 副題 「唯一人の愛人のために起こった3人の女の争い」
Lo sposo deluso ossia La rivalita di tre donne per un solo amante. Opera buffa in 2 acts (fragment). Libretto by Lorenzo da Ponte (?)
1783年後半 ザルツブルクとウィーン? [27歳]
ダ・ポンテ詞。
- K.486 劇場支配人
- ジングシュピール、序曲と4曲
Der Schauspieldirektor, overture and 4 numbers. Libretto by Gottlieb Stephanie Jnr.
1786年1〜2月初 ウィーン [30歳]
シュテファニー詞。
オランダ総督がウィーンへ来る祝典のためにヨーゼフ2世が依頼した。
1786年2月7日、ウイーンのシェーンブルン宮で初演。
- K.492 フィガロの結婚
- オペラ・ブッファ、序曲と4幕28曲
Le nozze di Figaro. Opera buffa in 4 acts, overture and 29 numbers. Libretto by Lorenzo da Ponte
1785年10月末〜86年4月29日 ウィーン [29〜30歳]
ボーマルシェ原作、ダ・ポンテ詞。
初演は 1786年5月1日ウイーンのブルク劇場で。
- K.527 罰せられた放蕩者、またはドン・ジョヴァンニ
- ドラマ・ジョコーゾ(滑稽劇)、序曲と2幕24曲
Il dissoluto punito, ossia Il Don Giovanni. Dramma giocoso in due atti, overture and 24 numbers. Libretto by Lorenzo da Ponte
1787年夏〜秋 ウィーン、プラハ [31歳]
ダ・ポンテ詞。モーツァルト自身の目録では「オペラ・ブッファ」。
1787年10月29日、モーツァルト自身の指揮によりプラハ国立劇場で初演された。
- K.588 コシ・ファン・トゥッテ (女はみなこうしたもの)
- オペラ・ブッファ、序曲と2幕31曲
Cosi fan tutte, ossia La scuola degli amanti. Opera buffa in 2 acts, overture and 31 numbers. Libretto by Lorenzo da Ponte
1789年秋〜90年1月 ウィーン [33歳]
ダ・ポンテ詞。
初演はモーツァルト自身の指揮により、1790年1月26日ブルク劇場で。
- K.620 魔笛
- ジングシュピール、序曲と2幕21曲
Die Zauberflöte. German opera in 2 acts, overture and 21 numbers. Libretto by Emanuel Schikaneder
1791年3〜9月 ウィーン [35歳]
シカネーダーの注文を受けて作られた。
1791年9月30日にシカネーダーの劇場で初演された。
- K.621 ティトの仁慈
- オペラ・セリア、序曲と2幕26曲
La Clemenza di Tito. Opera seria in 2 atti, overture and 26 numbers. Libretto by Caterino Mazzola
1791年夏〜秋 ウィーン、プラハ [35歳]
原作はメスタージォ Metastasio。
マッツォーラ Caterino Mazzola による編集。
皇帝レオポルト2世のボヘミヤ王即位戴冠式のために。
1791年9月6日プラハ国立劇場で、皇帝皇妃の臨席のもとに、モーツァルトの指揮で上演された。
2001/07/18