Aloysia Weber1760? - 1839 |
ウェーバー家の次女。 1777年、21才の青年モーツァルトは母と二人でパリへ向う。 その途中、マンハイムで知り合った写譜家ウェーバーの一家と親しく交際するうちに、17才のアロイジアにひかれていった。 後ろ髪をひかれる思いでマンハイムをたち、パリへ。しかしモーツァルトが望むような就職先は見つからず、最愛の母も失ってしまう。 失意のままザルツブルクに帰る途中、父の心配をよそに再びミュンヘンに寄ってウェーバー家に近づいたが、アロイジアには無職のモーツァルトに用はなかった。
右はヨハン・バプティスト・フォン・ランピが描いたアロイジアの肖像画。
■モーツァルトが書いた彼女のための曲
1786年2月7日、ウィーンで「劇場支配人」が初演されたとき、マダム・ヘルツ役で歌った。
1829年7月、ノヴェロ夫妻の訪問を受け、そのとき「モーツァルトの愛を拒んだことを悔やんでいる」と語ったという。
ただし、その頃すでにモーツァルトの名声が高まっていたので、彼女はそういう気持ちになったのだろう。
Josef Lange1751 - 1831 |
1751年4月1か2日ヴュルツブルクで生れ、1831年9月17日ウィーンで没。
ウィーンのブルク劇場の俳優を長く(1770-1821年)勤めた。 モーツァルトが片思いしたアロイジアと結婚したこと、モーツァルトの肖像画(未完、右の絵、モーツァルト博物館所蔵)を残したことで有名。 コンスタンツェの肖像画(グラスゴー大学所蔵)も残している。
1775年、歌手のアンナ・マリア・エリーザベト・シンドラー(1757-79)と結婚。3人の子を作った。
1780年、アロイジアと結婚。6人の子を作った。
アロイジアと離婚した後、女中のテレジア・フォーゲルと同棲し、彼女は3人以上の子を産んだという。