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Giambattista Padre Martini1706 - 1784 |
1706年4月24日ボローニャに生れ、1784年8月3日同地で没。
1770年3月24日、14歳のモーツァルトはボローニャに到着し、大音楽理論家マルティーニ帥の教えを受けた。
1776年9月4日、コロレド大司教の命令で「もっとも荘厳なミサでさえも、45分以上にわたることはできません」と手紙で不満を伝えている。
またその手紙で、聖節の奉献歌「主の御憐みを」Offertorium "Misericordias domini" K.222の批評をあおいだ。
それに対して1776年12月に神父から賛辞の返事があった。
Johann Adolf Hasse1699 - 1783 |
1699年3月25日(洗礼)ハンブルク近郊で生れ、ナポリ派中期の代表的な作曲家として活躍し、1783年12月16日ヴェネツィアで没。
ウィーン王室マリア・テレジア女帝の皇子フェルディナンド大公とモデナのベアトリーチェ王女の婚儀のための祝祭オペラ「ルッジェロ」を作曲し、 1771年10月17日ミラノで初演したとき、同時に初演されたモーツァルト(15歳)の「アルバのアスカニオ」に完全に食われてしまい、72歳の老ハッセは「この子は今に我々みんなを忘れさせてしまうだろう」と予言したという。
〔作品〕
CD [DECCA 466 196-2] 「アルタセルセ」から "Pallido il sole" |
CD [NA NACC5044] カンタータ「嫉妬」 |
Giovanni Battista Pergolesi1710 - 1736 |
オペラ・セリア「囚われ人」の幕間の間奏曲として作曲され、1733年ナポリで初演された「奥様女中 La Serva Padrona」はオペラ・ブッファの原典といわれる。 この作品はその後1746年と1752年にパリで上演され、「ブフォン論争」を巻き起こし、フランスのオペラ・コミックを生み出すもとになった。
パイジェルロ、チマローザなどとともに近代イタリア・オペラの様式を確立し、ヨーロッパ全体(フランスは除いて)を支配するナポリ楽派の中心的人物。
Giuseppe Sarti1729 - 1802 |
イタリア、ファエンツァで生まれ、コペンハーゲン、ロンドン、ヴェネツィア、ミラノなどで活躍した当時の大作曲家。 パイジェッロの後任として、1784年6月、ペテルブルクに宮廷作曲家として招かれて行く途中ウィーンに寄ったとき、モーツァルトは次の曲を演奏した。 1802年ベルリンで没。
〔作品〕
CD [L'oiseau Lyre 458 557-2] アリア「仔羊のごとく Come un agnello」 |
オペラ「アルメニアのポンペオ」 |
Giovanni Paisiello1740 - 1816 |
イタリアのタラントで生まれ、ナポリ、ローマ、ヴェネツィアで活躍したのち、サンクト・ペテルブルクに招かれた。 当時の第一人者。 1784年にはウィーンでモーツァルトと出会っている。 作曲したオペラは80を越え、ヨーロッパ中の劇場で上演されていた。 1815年ナポリで没。
作品
関係するモーツァルトの作品
Quirino Gasparini1749 - 1778 |
トリノの宮廷と本寺(ドゥオモ)の合唱長。ボローニャのアカデミア・フィラルモニカ会員。
Domenico Cimarosa1749 - 1801 |
ナポリに生まれ、サッキーニ(Antonio Sacchini 1730-86)やピッチーニ(Nicola Piccini 1728-1800)などに師事し、1772年「伯爵の御乱行」でオペラ作曲家の仲間入りした。 おもにローマ、ナポリで活躍していた。
モーツァルトがウィーンでオペラ作家としての成功を渇望していた1780年代、チマローザはパイジェルロの好敵手と見なされていた。 その当時、ウィーン宮廷劇場で上演できたモーツァルトのオペラがわずか3つであるのに対して、チマローザは10、パイジェルロは12、そしてサリエリは8つだったという記録もある。
1787年、ロシアの宮廷作曲家としてペテルブルクに招かれた。
1792年、サリエリの後任としてウィーン宮廷楽長に就任。
1799年、ナポリ共和国設立運動に加担し、ナポリに入るフランス革命軍を熱狂的に歓迎したため、ブルボン王朝の再現とともに逮捕され、死刑の宣告を受けた。 しかし、ロシアからの申し入れで釈放され、ペテルブルクへ向う途中、ヴェネツィアで急死したが、毒殺されたともいう。
関係するモーツァルトの作品
〔作品〕
CD [TKCC-15005] ピアノ・ソナタ全曲 関 孝弘 (p) 1996年1月、八王子市芸術文化会館いちょうホール ※全88曲を収録。ただし、ロシア国内に未発見のものが眠っている可能性があるという。 |
CD [30DC-5189] 2本のフルートのための協奏曲 ト長調 |
CD [L'oiseau Lyre 458 557-2] 「Il mercato di Malmantile」から序曲と "Tosto ch'io son venuto a Malmantile... A consiglio" |
Giuseppe Gazzaniga1743 - 1818 |
1743年10月5日イタリア、ヴェローナ生まれ。 ヴェネツィアで活躍。 ジョヴァンニ・ベルターティの台本によるオペラ『ドン・ジョヴァンニ・テノーリオ、あるいは石の客人』がプラハで上演され、モーツァルトの同名のオペラ『ドン・ジョヴァンニ』のきっかけとなった。 1791年にヴェネツィアからクレーマに移住し、当地の楽長を勤め、1818年に没。
〔作品〕
〔演奏〕
CD [L'oiseau Lyre 458 557-2] 「L'isola d'Alcina」から "Due baronesse amabili" スカルトゥリーティ (Br), ルーセ指揮 Les Talens Lyriques 1996 |