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ジングシュピール「魔笛」 K.620"Die Zauberflöte" 序曲と2幕21曲〔編成〕 2 fl (picc), 2 ob, 2 cl, 2 basset-hr, 2 fg, 2 hr, 2 tp, 3 tb, グロッケンシュピール, timp, 2 vn, 2 va, vc, bs 〔作曲〕 1791年3〜9月 ウィーン |
序曲 Adagio - Allegro 変ホ長調
第1幕
モーツァルトは1784年12月14日にウィーンのフリーメーソン結社「善行」(1783年2月2日に結成された小分団)に入ったが、その後もっと規模の大きな分団「真の融和」の方に出ていた。 その分団の親方イグナーツ・フォン・ボルンのもとで、モーツァルトは1785年1月7日に「職人の位階」に昇格した。 フォン・ボルンは『魔笛』のザラストロのモデルといわれている。
1790年8月末、シカネーダーはベネディクト・シャックにメルヘン・オペラ(童話歌劇)『賢者の石 Stein der Weisen』あるいは『魅惑の島』の作曲を依頼した。
それにモーツァルトも手伝い、他にヨハン・バプティスト・ヘンネベルク、フランツ・クサヴァー・ゲルルも加わり、シカネーダーも含めて5人の合作となった。
モーツァルトは、喜劇的二重唱「いざ、いとしき乙女よ、共に行かん」(K.625 / 592a)を作曲したらしい。
そのオペラは9月11日に初演された。
その楽譜をアメリカの音楽学者D.J.バックが1996年、ハンブルク図書館で発見した。
マーティン・パールマンは『魔笛』との関連に注目し、ボストン・バロックを指揮し、この『賢者の石』を1998年、世界初録音した。
そのCD [TELARC PHCT-5190/1] にはパールマンによる『魔笛』との比較解説が含まれている。
礒山は『賢者の石』を『魔笛』の姉妹作といい、次のように両者の間の深い関係を指摘している。
『賢者の石』と『魔笛』には、魔法のアイテムをめぐるストーリーにおいても、人物の設定や思想においても、そして音楽の様式と楽想においても、並々ならぬ類似が存在している(フルーメーソン用の神殿や鳥籠などもあらわれる)。 『魔笛』は明らかに『賢者の石』におけるシカネーダー路線を継承する作品なのである。他方、ベンダ(Georg Anton Benda, 1722~95)のメロドラマがモーツァルトに大きな影響を与えたことが知られている。 確かに『ナクソス島のアリアドネ』や『ピグマリオン』(CD [NAXOS 8.553345])を聴くと、ところどころ聞き覚えのある旋律が現れる。 語りの間に切れ切れに挿入されたその音楽は劇的な場面を効果的に演出し、物語の進行に役立っている。 モーツァルトもメロドラマを一つ作っている(K.315e)が残念ながら現存しない。 もし残っていれば、ベンダの作品と『魔笛』をたして2で割ったようなものだったろうか?
もちろん、芸術的に見れば、『魔笛』は『賢者の石』をはるかに上回る傑作である。 だが、『賢者の石』もそれなりにレベルの高い作品であり、モーツァルトの作曲したとされる部分と他の部分に、はっきりした断層があるわけではない。 むしろこのオペラを聴くと、シカネーダー一座が、一定の水準をもつ「作曲家」を何人も擁していたことに、驚かされてしまう。 それはけっして、一部に曲解されているような、ごろつきどもの芝居小屋ではないのである。[礒山] p.76
1778年11月12日、マンハイムからザルツブルクの父へモーツァルトは同業者(音楽家)をほめることはあまりなかったが、ベンダのメロドラマにはこのように高い評価を与えている。 ただし、よく知られているように、1778年、モーツァルトはパリからの帰郷の途中、マンハイムに寄り道し、その地に長居しようとする口実としてベンダが利用されたのかもしれないが。 父レオポルトはいつも金銭的な損得で息子の行動をコントロールしようとしていたので、「40ルイドール」の儲け話を持ち出せば、レオポルトには文句のつけようがないだろうというわけである。
さて別な話ですが、ぼくはここで、ひょっとすると40ルイドールもうけるかも知れません! もちろん6週間は、あるいはせいぜい2ヵ月は、滞在しなければなりません。 評判を聞いてもうご存じかも知れないザイラーの劇団がここに来ていて、フォン・ダルベルク氏がその支配人です。 この人がぼくに二人劇を一つ書いてもらわないうちは、ぼくを離そうとしないのです。 そして、この種のドラマを書くのが、ぼくの前々からの希望だったので、ぼくは、じっさい、あれこれ考えもしませんでした。 覚えていませんが、ぼくが最初にここへ来た時、この種の作品をお父さんに書いてあげたでしょうか? ぼくは当時ここで、そのような作品が上演されるのを二度観て、とても愉快でした! 本当に、その時ほどアッと驚いたことは、一度もありません! じっさいそんなものは何の効果も生じないだろうと、いつも想像していたのです! ご存じのように、その場合は、歌うのではなく、まくし立てるのです。 そして音楽はオブリガート付きの詠唱のようなものです。 時々は音楽が演奏されている間にも(せりふが)語られたりしますが、それがまたすばらしい効果を上げます。 そのとき観たのは、ベンダの『メデーア』でしたが、ベンダはもう一つ『ナクソスのアリアードネ』も作っています。 いずれも、本当にすぐれたものです。 あの二つの作品は、あんまり好きなものですから、いつも持ち歩いています。 音楽の中で大抵の詠唱を、あんな風に扱って、ほんの時々、詞が音楽でうまく表される時にだけ、詠唱を用いるべきです。[手紙(上)] pp.204-205
さて、1791年、妻コンスタンツェは(ジュスマイヤーが同行)保養でバーデンに行き、モーツァルトは金の工面に悩まされながらウィーンで作曲を続けていた。 愛用のクラヴィコードと小鳥と、シカネーダーやプフベルクの世話を受けながら生活していたという。 左の写真は『魔笛』を作曲していた小屋と言われ、のちに(1897年)ザルツブルクへ移され、「魔笛の小屋」と呼ばれている。
6月11日、キルヒゲスナー嬢(1772〜1808)のコンサートが13日にあるはずと思っていたが、それは10日に終っていた。
聴くことができないことを残念がる手紙を妻に書き、その中で『魔笛』第11曲の二重唱「死と絶望がその人の報いだった」を引用した。
さらに「退屈しのぎにオペラのアリアを一つ作った」とも書いているが、どの曲かは不明。
晩にはレオポルトシュタット劇場で、ジングシュピール『ファゴット吹きのカスパル、またの名、魔法のツィター』を観た。
ヨアヒム・ペリネ作詞、ヴェンツェル・ミュラー作曲のこの作品は『魔笛』と同じくヴィーラント作『ジンニステン一名妖精物語萃』に題材を求めたもので、『魔笛』に影響を与えたとも言われている。
ただし、モーツァルトの感想は「大騒ぎの話題作だが、中身はまったくの空虚」というもの。
6月13日、モーツァルトはバーデンを訪問し、17日に「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(K.618)を書いて、その地で保養中のコンスタンツェが世話になっているシュトルに贈った。 モーツァルトはウィーンに戻り、金の工面だけでなく、妻とジュスマイヤーの関係にも心配しながら作曲を続ける。
7月2日、バーデンにいる妻へ手紙を送り、ジュスマイヤーに『魔笛』第1幕の導入部から終曲までの譜を送るよう求めている。
それらはモーツァルトが彼に預けていたものだった。
それにより、第1幕のオーケストレーションを完成させるつもりだったのである。
バーデンとウィーンの距離は「朝の始発の郵便馬車で送ってくれれば、昼には手にすることができる」ほどのものだった。
または、ジュスマイヤー自身が預かっている楽譜をすべて持ってウィーンに出て来れば、それで片付くことだった。
しかしなぜか彼はバーデンから離れようとせず、さらにまた7月5日にモーツァルトは「すぐに送るように」と催促している。
7月10日前後にモーツァルトはとんぼ返りでバーデンを訪問しているが、もしかしたら直接ジュスマイヤーから、彼に預けていた自筆譜をすべて取り返しに行ったのかもしれない。
突然の訪問にジュスマイヤーは慌てふためいたことだろう。
想像をたくましくすれば、モーツァルトは彼をウィーンに連れ戻して、仕事(総譜完成)の手伝いをさせたかもしれない。
日付は不明だが、7月にモーツァルトは自作目録に「9月30日上演」予定の『魔笛』を記載した。
7月中旬、モーツァルトはバーデンに行き、身重の妻コンスタンツェと7才の息子カールを連れてウィーンに戻った。 26日、コンスタンツェはフランツ・クサヴァーを出産。
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9月28日、ジングシュピール『魔笛』の「祭司たちの行進曲」と「序曲」が書かれ、初演を待つばかりとなった。 なお、自筆譜は12段からなる横長の五線譜で、序曲31頁、第1幕190頁、第2幕210頁と膨大なものだが、パミーナとパパゲーノの二重唱などほんの数頁にわたって書き直しがあるだけで、あとはインクの染みをたらしながら一気に書き上げてあるという。
30日にシカネーダーのヴィーデン劇場で『魔笛』が初演された。 モーツァルトがピアノを弾きながら指揮をし、ジュスマイヤーが譜めくりをした。 この初演は、あまり成功とは言えなかったが、10月2日に再演され、人気は次第に上昇した。
登場人物とウィーン初演のときの歌手
パパゲーノ像 ザルツブルク | パパゲーナ像 ザルツブルク |
〔演奏〕 全曲
LD[東芝EMI WV045-3508] t=130分 監督 : ベルイマン Ingmar Bergman / ザラストロ : コールド Ulrik Cold / タミーノ : コストリンガー Josef Kostlinger / パミーナ : ウルリラ Irma Urrila / パパゲーノ : ハーゲゴート Hakan Hagegard / パパゲーナ : エリクソン Elisabeth Eriksson / 夜の女王 : ノーディン Birgit Nordin / モノスタトス : ウルフンク Ragnar Ulfung エリクソン指揮スウェーデン放送SO、スウェーデン放送局製作 ; 1974年 |
LD[PHILIPS PHLP-10032-3] t=160分 演出 : イェルヴェフェルト Goeran Jaervefelt / パミーナ : ビール Ann Christine Biel (S) / タミーノ : ダールベリ Stefan Dahlberg (T) / ザラストロ : ポルガール Laszlo Polgar (Bs) / 夜の女王 : フランドセン Birgit Louise Frandsen (S) / パパゲーノ : サムエルソン Mikael Samuelsson (Bs) / パパゲーナ : ラーション Birgitta Larsson (S) エストマン指揮ドロットニングホルム宮廷劇場O, Cho, ; 1989年 |
CD[NAXOS 8.110828-9] t=156分 トスカニーニ指揮ウィーン・フィル, Cho. 演出 : グラーフ Herbert Graf / タミーノ : ロスウェンゲ Helge Roswaenge (T) / パパゲーノ : ファスベンダー Willi Domgraf-Fassbander (Br) / 夜の女王 : オスヴァート Julie Osvath (S) / パミーナ : ノヴォトナ Jarmila Novotna (S) / ザラストロ : キプニス Alexander Kipnis (Bs) / パパゲーナ : コマレク Dora Komarek (S) 1937年8月14日 ザルツブルク音楽祭 |
〔演奏〕 ハイライト
CD[CLASSIC CC-1065] t=61'47 ショルティ指揮ウィーン・フィル |
CD [ピジョン・グループ GX-239] t=71'42 クレンペラー指揮 Otto Klemperer (cond), フィルハーモニア管 Philharmonia Orchestra & Chorus タミーノ : ニコライ・ゲッダ (T) / パミーナ : グンドラ・ヤノヴィッツ (S) / パパゲーノ : ワルター・ベリー (Bs) / 夜の女王 : ルチア・ポップ (S) / ザラストロ : ゴットロープ・フリック (Bs) / 第1の侍女 : エリザベート・シュワルツコップ (S) / ※ 序曲と17曲、演奏年不明 |
〔演奏〕 一部
CD [BMGジャパン BVCC-9701] t=6'52(序曲) トスカニーニ指揮NBC交響楽団 1949 |
CD [DENON 28CO-2145] (序曲) スウィトナー指揮ドレスデン・シュターツカペレ 1970 |
CD [ドイツ・シャルプラッテン 22TC-280] (序曲) t=6'45 スウィトナー指揮 Otmar Suitner (cond), シュターツカペレ・ベルリン Staatskapelle Berlin 1976年1月、ベルリン・キリスト教会 |
CD [SONY SRCR-8948] t=6'28(序曲) ヴァイル指揮ターフェルムジーク・バロック 1991 |
CD [EMI TOCE-6819] 「おれは鳥刺し」 ワルター・ベリー (Bs) t=2'35 ; 1972年 / 「なんと美しい絵姿だろう」 ジークフリート・イェルサレム (T) t=4'00 ; 1981年 / 「復讐の心は地獄のように」 ルチア・ポップ (S) t=3'09 ; 1964年 / 「パパゲーナ、パパゲーナ!」 ワルター・ベリー (Bs) t=7'45 ; 1972年 ※ 歌詞対訳付き(西野茂雄訳) |
CD [WPCS-21094] 「なんと美しい絵姿」 ブロホヴィッツ (T) t=4'04 / 「復讐の心は地獄のように」 グルベローヴァ (S) t=3'01 アーノンクール指揮チューリヒ歌劇場管 1987年 |
CD [東芝 EMI TOCE-55200] 「地獄の復讐が私の心臓の中で」 t=2'57 / 「ああ私は感じる、愛のしあわせが」 t=3'47 / 「おお、恐れることはない、愛する若者よ」 t=4'38 ナタリー・デセイ (S), ラングレ指揮ジ・エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団 2000年 |
〔演奏〕 編曲
CD [Teldec WPCS-22045/6] t=14'17 シュミット編曲「序曲と4つのアリア 変ホ長調」 コンソルティウム・クラシクム Consortium Classicum 1976年4月28〜30日、ウィーン、Teldec Studio 編成 : 4クラリネット、2ホルン、2ファゴット、コントラバス |
CD [Teldec WPCS-22043] 「恋人か女房が」 t=1'52 メーデル編曲 ; 「魔法の調べのなんという力強さ」 t=2'11 ペチュコ編曲 ; 「おいらは鳥刺し」 t=1'53 デルシュミット編曲 ; 「これはすばらしい音」 t=1'22 ペチュコ編曲 トビアス・ライザー・アンサンブル Ensemble Tobias Reiser 1983年頃 |
CD [BVCF-5003] (10) t=4'03 ニュー・ロンドン・コラール 1984年 |
CD [ビクター VDC-1333] t=18'54 Heidenreich編曲 モーリス・ブルグ木管アンサンブル, 1986 |
CD [POCG-4131] t=18'50 1792〜1809年頃の編者不明の「2つのフルートまたは2つのヴァイオリンのための二重奏」 シュルツ (fl), シェレンベルガー (ob), 1987 |
CD [harmonia mundi 3903008] t=12'18 Joseph Heidenreich 編曲(第1幕第2・5・8曲、第2幕終曲から引用) Kalman Berkes 指揮、ブダペスト管楽アンサンブル Budapest Wind Ensemble (2 ob, 2 cl, 2 hr, 2 fg) 1989年5月、Town Hall de Budapest ※ Joseph Heidenreichについてはよく知られていない。モーツァルトより20年先に生まれ、いくつかのオペラを器楽用に編曲し、1821年没。 |
CD [クラウン CRCC-10] 第1幕第2・3・7・8曲、第2幕第10・15・16・17・20曲 ; 演奏者による編曲 山下和仁, 尚子 (g), ギター・デュオ 1991年8月22〜23日、埼玉県松伏町、田園ホール・エローラ |
CD [SONY SRCR-9101] t=4'44 ゲネリス編曲 カツァリス (p), 1992 |
CD [EMI 7243 5 55513 2 0] t=11'13 Rainer Schottstaedt 編曲 トリオ・ディ・クラローネ Trio di clarone : Sabine Meyer, Reiner Wehle, Wolfgang Meyer (3 basset-hr) 1994年9月7日, La Salle de Musique, La Chaux-de-Fonds |
CD [TOCP 67726] (20) t=3'25 チルドレン・コア・オブ・ラジオ・ソフィア/45人のエジプトのミュージシャン, Milen Natchev指揮ブルガリア交響楽団 1997年 |
CD [COCQ-83281-82] (17) t=3'31 有田正広 (fl), 有田千代子 (fp) 1998 |
CD [CAMPANELIA Musica C 130076] (2) t=0'51, (6) t=0'46 ズュス Margit-Anna Suss (hp), シュトル Klaus Stoll (cb) 1998年 ※ 演奏者による編曲。 |
CD [ERATO 3984-27318-2] t=26'04 1792年頃の編者不明の「2つのフルートまたは2つのヴァイオリンのための二重奏」を「4つのヴァイオリン」に演奏者が再編曲 Les Quatre Violons (vn), 1998年 |
CD [ムジークレーベン DICM-23001] t=75'57 宇野功芳指揮, 宮下恵美 (p), 跡見学園女子大学合唱団 2000年12月、川口総合文化センター リリア音楽ホール ※ 跡見学園女子大学合唱団第34回定期演奏会ライブ |
CD [BICL 62193] (2) t=2'39 近藤研二 (ウクレレ) 2006年 |
CD [NAXOS 8.570027] t=43'52 Saxonian Wind Academy 2006年3月 ※ ハイデンライヒ編曲 |
〔動画〕
多数あり、以下はその一部
〔参考文献〕
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