Joseph Leutgeb1732 - 1811 |
イグナーツ・ロイトゲープと書かれてあることもある。
なお、モーツァルトはライトゲープ(Leitgeb)と綴っている。
ロイトゲープはザルツブルク生まれ(1732年10月8日)と伝えられ、宮廷楽団でホルンとヴァイオリンの奏者。
バルバラ・プラツェリアン(1733年頃 - 1785年)と結婚。
1777年にウィーンに移り、妻バルバラの父親からチーズ販売店を受け継いだ。 そのかたわらホルンを演奏し、モーツァルトにコンチェルトの作曲を頼んでいた。 4年後にウィーンへ行ったモーツァルトとは大の親友で、冗談と悪ふざけの相手。 彼のために4曲のホルン協奏曲とホルン五重奏曲を書いた。
1786年、フランツィスカ・ホーバー(1734年頃 - 1828年)と再婚。
スケッチで残るロンド K.514に書かれた落書きや、ホルン協奏曲第2番や第4番でのイタズラは、彼との親しい交際を物語っている。
cf : 野口秀夫「《伸縮自在な》ホルン協奏曲変ホ長調 K.495」
1791年、コンスタンツェがバーデンに保養に行ってる間、シカネーダーやジュスマイヤーの世話になっていたモーツァルトは、ロイトゲープの家にもしばしば滞在して世話になっていた。
1811年2月27日ウィーンで没。