17 age |
61 5 |
62 6 |
63 7 |
64 8 |
65 9 |
66 10 |
67 11 |
68 12 |
69 13 |
70 14 |
71 15 |
72 16 |
73 17 |
74 18 |
75 19 |
76 20 |
77 21 |
78 22 |
79 23 |
80 24 |
81 25 |
82 26 |
83 27 △ |
84 28 |
85 29 |
86 30 |
87 31 |
88 32 |
89 33 |
90 34 |
91 35 |
92 |
三重唱 「いざ恐るべき時が来た」 K.436
〔作曲〕 1783年? ウィーン |
ノットゥルノと呼ばれている三重唱の第1番。 詞はメタスタージオの「カンツォネッタ集 Canzonette」(1746年作)第4部から。 タイトル Ecco quel fiero istante の訳として、「いまこそあのむごい時が来た」、「さて悲しい時がやってきた」、「いよいよあのむごい瞬間だ」などがある。
作曲の時期は不明。
1783年頃と推定されているが、1786年あるいは1787年という説もある。
[全作品事典]は「1787年頃」としている。
ほかのノットゥルノと同様、モーツァルト自身による作品という確たる証拠はなく、むしろ友人のゴットフリート・フォン・ジャカンの作として言い伝えられてきた。
しかし、モーツァルト自筆の管楽器パート譜が残っていること、作品の書法、ジャカンとの関係などを考えると、真作とみなされている。
そして、その頃ウィーンにおいて魅力的な社交場の一つだったジャカン家に出入りしていた縁で親しくしていたゴットフリートに譲渡した「社交リート集」(K.436, K.437, K.346, K.438, K.439, K.532, K.549, K.562)に属する作品と考えられている。
これらの曲には、伴奏にバセットホルンが用いられていることから、シュタドラー兄弟も大いに関係していると思われる。
また、ゴットフリート自身もいくらか歌曲の作曲ができ、モーツァルトからもらった曲を合わせて「自作」として出版したり、ときには譲渡されてもいない曲を「自作」として利用したりもしていた。
それに対して、モーツァルトはそれほど気にしていなかったようである。
このことについて、アインシュタインは「モーツァルトは自分の歌曲を重視していなかった。
それはオペラの副産物、あるいは余り物だった」と説明している。
植物学の権威であり、ウィーン・シェーンブルン庭園の設計をしたことでも有名なウィーン大学教授を父(ニコラウス・ヨーゼフ・フォン・ジャカン 1727~1817)にもち、その道楽息子ゴットフリートは気のおけない友人だったようで、冗談が通じ合う仲だった。
「フィガロ」で盛り上がっているプラハからは
1787年1月15日と書いている。 そして、この手紙の数ヶ月後、父レオポルトが死んだときには
到着するとさっそく、することが山ほどあって、・・・(途中略)・・・ 舞踏会に出かけて行ったが、そこにはいつもプラーハの粒よりの美人が集まる。 こんなのは、君向きだったのだろうね! ぼくには、それら未婚既婚の美女たちを追っかけて走っている、いやびっこを引いている君の姿が、目に見えるような気がする。 ぼくは踊りもせず、女に媚びもしなかった。 踊らないのは、疲れすぎていたからだし、女に媚びないのは、生まれつき内気だからだ。[手紙(下)] pp.120-121
帰宅した時、最愛の父が死んだという悲しい知らせを受け取った。 ぼくの情況を察してくれるだろう!と知らせている。 このような親友の頼みなら、その使用目的など野暮なことは言わずとも、歌曲の1つや2つ(実際にはもっとあったが)代筆するのはモーツァルトにとってお安い御用だったろう。同書 p.127
〔歌詞〕
Ecco quel fiero istante: Nice, mia Nice, addio! Come vivro ben mio, Cosi lontan da te? Io vivro sempre in pene, Io non avro piu bene; E tu, chi sa se mai Ti sovverai di me! |
あの悲しい時がやってきた ニーチェ、私のニーチェよ、さようなら! どうして生きていられよう、愛しい人よ お前から遠く離れてしまっては 果てしない苦しみの中で 私はもう幸せをつかむことはないだろう お前は、いつの日かお前は 私のことを思ってくれるだろうか |
|
奥田佳道訳 CD[PHILIPS PHCP-5306] |
〔演奏〕
CD [PHILIPS UCCP-4085/7] t=1'45 アメリンク Elly Ameling (S), クーイマンス Elisabeth Cooymans (S), ファン・デア・ビルト Peter van der Bilt (Br) 1973年12月、アムステルダム・コンセルトヘボウ ※下と同じ。 |
CD [PHILIPS 422 524-2] t=1'45 アメリンク Elly Ameling (S), クーイマンス Elisabeth Cooymans (S), ファン・デア・ビルト Peter van der Bilt (Br) 1973年12月、アムステルダム・コンセルトヘボウ ※上と同じ。 |
CD [PHCP-5306] t=1'34 ファン・ルネン Camille van Lunen (S), クレーゼ Myra Croese (A), ダイクストラ Peter Dijkstra (Bs) 1988年6月、オランダ、レンスウォウデ、カステール |
CD [ORFEO C218-911A] t=1'53 シェーファー Christine Schäfer (S), ヒンツ Gundula Hintz (S), フィッシャー・ディスカウ Dietrich Fischer-Dieskau (Br) 1990年4月、ベルリン |
〔動画〕
〔参考文献〕
Home | K.1- | K.100- | K.200- | K.300- | K.400- | K.500- | K.600- | App.K | Catalog |