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三重唱 「優しき光、美しき光」 K.346 (439a)

Notturno "Luci care, luci belle"
  • Allegretto ヘ長調 4/4
〔編成〕 2 S, Bs, 3 basset-hr
〔作曲〕 1783年/1787年以降? ウィーン

ウィーンで親しくしていたジャカン一家との交際の中から生まれたものだろう。 自筆譜はないが、ほかのノットゥルノと同じ時期に書かれたと推定され、第5番(K.439a)に位置づけられている。 ただし1786年または1787年の成立とする説もあり、[全作品事典]は一連のノットゥルナとともに1787年(ケッヘル番号は500番台前半になる)としている。 作詞者は不明(メタスタージョか?)。

よく知られているように、モーツァルトは1784年2月から死の直前まで自作目録を作成し続けているが、5つのノットゥルナは記載されていない。 1787年11月4日のジャカン宛の手紙にあるように、歌曲「夢のすがた K.530」を友人のジャカンに贈り、彼が自分の作品とするのに任せた(「ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき K.520」と共に、ジャカンの作品として1791年に出版された。)ことを考えると、彼が自作目録に記録しなかったとしても不思議ではない。 しかしそれでは、K.530 の方は自作目録にしっかり記録し、K.346 の方が記録されなかった矛盾は残る。 その理由は、前者(K.530)に比べて後者(K.346)は作品として小さい(傑作ではない)と、モーツァルトが考えたからだろうか。 アインシュタインは「モーツァルトは自分のリートにいささかも重きを置かなかった。 それは彼のオペラと器楽の作曲の副産物、余り物であった。」と言っている。 そうだとすると、1788年の「交響曲第41番ハ長調ジュピター」(K.551)と「弦楽三重奏のためのディヴェルティメント 変ホ長調」(K.563)の間に11曲もの歌曲(歌詞つきカノン)をしっかりと自作目録に記録したのはなぜなのか、疑問は晴れない。

〔歌詞〕
  Luci care, luci belle,
Cari lumi, amate stelle,
Date calma a questo core!
愛しい光、麗しい光
愛しい灯、かわいい星たちよ
この心に安らぎを与えておくれ
  Se per voi sospiro e moro,
Idol mio, mio bel tesoro,
Forza e sol del Dio d'amore.
もし、お前たちに恋焦がれ、死ぬのなら
愛する人よ、私の美しい宝よ
愛の神の力と光を与えよ
  
奥田佳道訳 CD[PHILIPS PHCP-5306]

〔演奏〕
CD [PHILIPS 422 524-2] t=1'20
アメリンク Elly Ameling (S), クーイマンス Elisabeth Cooymans (S), ファン・デア・ビルト Peter van der Bilt (Br), オランダ管楽アンサンブル団員
1973年12月
CD[PHILIPS UCCP-4085/7] t=1'21
※上と同じ。
CD [PHILIPS PHCP-5306] t=1'09
ファン・ルネン Camille van Lunen (S), クレーゼ Myra Croese (A), ダイクストラ Peter Dijkstra (Bs), シュタトラー・トリオ Stadler Trio
1988年6月
CD [ORFEO C218-911A] t=1'32
シェーファー Christine Schäfer (S), ヒンツ Gundula Hintz (S), フィッシャー・ディスカウ Dietrich Fischer-Dieskau (Br), ベルリン・フィル団員
1990年4月

〔動画〕

〔参考文献〕

 

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2014/08/17
Mozart con grazia