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リタニア (聖母マリアの祝日のために) 変ロ長調 K.109 (74e)
〔作曲〕 1771年5月 ザルツブルク |
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童貞聖母マリアの祝日のためのリタニアであり、モーツァルトが残した4つのリタニア(K.109, K.125, K.195, K.243)中、最も短い。
また、このリタニアは「ロレートのリタニア」と呼ばれることがある。
それは、聖母マリア巡礼の地(イタリア中部に位置する)ロレート Loreto のサンタ・カーザ聖母教会の銘文がこの曲のテキストになっていることによる。
同じテキストで3年後に K.195 を作曲していることも知られている。
また、タイトル Litaniae de Beata Maria Virgine の訳として「童貞聖マリア」と表記するものもある。
さらに Lauretanae を冠して「女王(または元后)童貞聖マリア」と表されることもある。
したがって「聖母マリア Sancta Maria のための」という表題は適切ではないかもしれないが、言い慣れた(聞き慣れた)表現であるので、ここではそのままにしておくことにする。
音楽の素人にはよくあることだと大目に見ていただければ幸いである。
さて、リタニア(連禱)とは、ド・ニによれば
夕暮れになると連禱(先唱者が神や聖母マリアにたいする呼び掛けを行ない、会衆がそれに「われらをあわれみたまえ」、あるいは「われらのために祈りたまえ」を繰り返して応答する祈りの形式)を唱えるために集まる準典礼的な儀式は、18世紀には民衆に非常に好まれており、そのための信心会や信徒会といったものがあった。 モーツァルトは最も好まれていた2種類の連禱のために、それぞれ2曲ずつ作曲している。という教会音楽であり、毎年5月、ザルツブルク大司教はミラベル宮で聖マリアを讃えるリタニアを唱えていて、その際、父レオポルトやミヒャエル・ハイドンのリタニアなどが使われていたという。 この曲の成立については、教会歴では聖母マリアの月とされている5月の晩課の典礼のために書かれたのは間違いないようである。 それは3月末に最初のイタリア旅行(出発したのは1769年12月だった)から帰郷し、再びイタリア旅行に出かける8月までの休息の期間中のことになる。 この間は父子で手紙をやりとりすることがないため、いつ何があったかまったくわからない。 作曲には父レオポルトによるヘ長調の作品を手本にして、当時のザルツブルクにおける通例にしたがっているという。 ド・ニはこの曲の印象を[ド・ニ] p.53
春一番の花で一杯に飾られた、聖母マリア像の置かれた祭壇のように、楽しく親しみに満ちた曲である。 この連祷が素晴らしいのは、自然な若さの輝きが音楽の純粋な美しさとして発揮されているからである。と延べている。 この曲が書かれる前にはマルティーニ神父の指導による作品が数多く生れていることから、コーノルトは「言葉が注意深く考慮されていることは、ボローニャのマルテーニ神父の教えのおかげであろう。 神父はこの点でとりわけモーツァルトの助けとなっている。」と強調しているが、ただし同書 p.54
また、各楽章がひとつの主要楽想に基づく変奏であるかのように思わせるこの作品における主題の同質性は、言葉が課す拘束を超越して、音楽素材による循環的統一性を生み出す、モーツァルトの優れた感覚を示している。と続けている。 よく知られているように、モーツァルトは父に連れられて出かけた第1回のイタリア旅行の途中1770年7月20日から10月10日までボローニャでマルティーニ神父の指導を受け、特に声楽曲に意欲的に取り組んでいた。 その影響がこのリタニアにも現れているのである。 ただし、モーツァルトはその教えに閉じ籠っていたわけではなく、貪欲に吸収したのちもっと上の段階へと既に飛び立っていた。 1770年末にはオペラ『ミトリダーテ』(K.87)を、1771年3月にはオラトリオ『救われしベトゥーリア』(K.118)を、同時にオペラ『ルチオ・シラ』(K.135)作曲の契約までしていたモーツァルトにとって、このリタニアが声楽のための習作とはあり得ない。 アインシュタインはマルティーニ神父の影響については「生き生きとした多声音楽ではなく、ただ学問的な対位法しか教えてもらっていない」と異論を唱えている。 彼にはドイツ語圏に属する天才モーツァルトがイタリアから受けた影響をできるだけ小さく見積もりたいとする気持ちがあったのだろう。 この曲について次のように評している。[全作品事典] p.35
聖母連禱はその名を、ロレートのサンタ・カーザの聖母教会から得ていて、この教会の銘文がテクストのなかに要約されているのである。 この連禱もまた第一に個人的性格の礼拝に用いられるべきものである。 さて、この曲は実際にきわめて親しみぶかく、少なからずイタリア的ではあるが、イタリア的なけばけばしさはなく、モーツァルト的な柔軟さに満ちている。 なによりもまず、交誦中の連続的なアリオーソ『聖母マリアよ、われらのために祈り給え』(Sancta Maria ora pro nobis)がすばらしい楽曲である。 またアグヌス・デイ(神の子羊)の、吐息の消えゆくような変ロ短調の終結部がとりわけ美しい![アインシュタイン] pp.444-445
なお、追加されたトロンボーンの自筆断片が残っているという。
〔演奏〕
CD [PHILIPS 422 749-2〜753-2] t=12'29 白井光子 (S), Heidi Riess (A), Eberhard Buchner (T), Hermann Christian Polster (Bs), Leipzig Radio Chorus, Herbert Kegel (cond), Leipzig Radio Symphony Orchestra 1979年・1981年、ライプツィヒ |
CD [UCCP-4079] t=12'29 ※上と同じ |
CD [TELDEC WPCS-4459] t=10'44 メイ Eva Mei (S), フォン・マグヌス Elisabeth von Magnus (A), アツェスベルガー Kurt Azesberger (T), カシュマイユ Gilles Cachemaille (Bs), アルノルト・シェーンベルク合唱団 Arnold Schoenberg Chor, アーノンクール指揮 Nikolaus Harnoncourt (cond), ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス Concentus musicus Wien 1992年12月、ウィーン |
〔動画〕
〔参考文献〕
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