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オラトリオ「第一戒律の責務」(第1部) K.35Die Schuldigkeit des ersten Gebots /(英) The Obligation to Keep the First Commandment
〔作曲〕 1766年12月〜67年3月12日 ザルツブルク |
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ザルツブルク大司教ジギスムント(69歳)の依頼による。 当時、復活祭前40日間の四旬節には、オペラの上演が禁じられ、その代りに宗教音楽や宗教劇が演奏されていたという。 この曲もこうした状況の中から生まれた。内容は単純な宗教的たとえ話で、全体は3部に分かれる。 当時のザルツブルクの習慣では宗教的ジングシュピールは何人かの作曲家で分担して作られており、この宗教劇もその習慣にしたがって、第1部をモーツァルト(11歳)が、第2部はミハエル・ハイドン(30歳)、第3部は宮廷オルガン奏者アードルガッサー(38歳)が担当した。
西方への大旅行からザルツブルクに帰省した少年モーツァルトは、1766年の暮れから明くる年の3月にかけて、はじめて劇音楽を手がけることになった。 それがこの福音書のイエスによるいましめを主題とした『第一戒律の責務』(K35)であった。作曲には1766年末に着手し、用意周到な父レオポルトの関与が指摘されているので、演奏用パート譜の準備そして稽古が必要なことも考えると、1767年3月になる頃には完成したと思われる。 3月12日、大司教宮殿内騎士の間で初演、そして4月2日に再演された。 ザルツブルクのベネディクト会修道院聖ペテロ司祭ヒューブナー(Beda Hübner)の日誌には次のように記されているという。[海老沢] p.186
3月12日木曜日。 宮廷での夕べの祈りの後、いわゆる騎士の間で5名による音楽形式でのオラトリオが上演された。 即ち3人の女性歌手と2人の男性、マイスナー氏とシュピツェーダー氏によるものだった。 ドイツ語の歌詞は豪商にして市参事会員のヴァイザー氏が制作、音楽は10才の少年ヴォルフガング・モーツァルトが作曲。このような記録があることが、なんと20世紀の1957年になってヘルベルト・クラインによって発見されたのだという。 それまではこの曲の台本(1767年)に印刷されていたイニシャル「J.A.W.」に当てはまる作家について諸説があり、推測の域を出ていなかった。 ヒューブナーのおかげで台本作者は当時ザルツブルク市参事会員であり、のちに(1772〜75年の間)ザルツブルク市長となったイグナーツ・アントン・ヴァイザーと判明したのである。 なお、ここで「10才の少年ヴォルフガング」と書かれているが、彼は(誕生日が1月27日であり)すでに11歳になっていた。 父レオポルトには神童の息子の年齢を少しでも若く見せようとする意図があったのだろうと言われている。 この演奏会のために印刷された台本には次の5人の歌手の名前が記載されていた。 のちに1769年5月1日『みてくれの馬鹿娘』(K.51)初演でも揃って出演するザルツブルク宮廷の看板歌手たちである。[ドイッチュ&アイブル] p.66
序曲に続く第1部の内容は、優柔不断だが熱心なキリスト信徒が霊の勧めにより改心しようとするが、世俗の霊の誘惑に負けそうになるあたりまでが描かれている。
ヴァイザーによる台本は、たとえばヘンデル的な意味でのオラトリオではなく、劇的というよりも、むしろ宗教的な寓話である。 その粗筋は「熱烈な信仰を失ったキリスト教徒の記憶と知性は、神の慈愛と正義に助けられながら、神への徳目の精神によって再生されることができる」というもので、第2部は、神にたいして従順となった知性と意志について、第3部は知性をおびやかしていた恐怖からの完全な自由と解放について、といった具合である。このような「無味乾燥で抽象的なテキスト」から11歳の少年はどのようにして作曲したのか、当然レオポルトの指導があり、そのほか身近で活躍するザルツブルクの音楽家の作品を模範にした。[ド・ニ] p.12
いうまでもなく、彼はザルツブルクの豊かな伝統に頼ることができたし、実際に手本となった作品を特定することも困難ではない。 中間部でリズムや速度が変化する三部形式のアリアは、事実上すべて父親の作品を模範としている。 アルト・トロンボーンの独奏というアイデアは、エバーリンのオラトリオ「敬虔な魂」から借りてきたものである。なかでもやはり父レオポルトの影響・関与がもっとも大きかった。同書
アリアや重唱曲をつなぐレチタティーヴォのテキストは、すべてレーオポルトの手で書かれているほか、楽譜にも随所に父親の手が加えられている。 200ページを越える手稿のすべては、モーツァルトの手蹟が示すあらゆる特徴をあらわしている。 ただし、その上に加えられたレーオポルトの修正、追加との区別はなかなか困難である。しかしこの曲は先輩音楽家たちの手本を継ぎ接ぎしただけの見かけ倒しではない。 ザルツブルク大司教も、11歳の子供がほんとにこれほど見事な曲を書くことができたのかと疑ったほどだった。海老沢 CD[PHILIPS PCD-15〜16]
この少年が種々の手本を(自ら選んだにせよ、押しつけられたにせよ)すでに目覚めていた自己の個性に溶けこませた手腕は、文句なしに讃えないわけにはいかない。 『第一戒律の責務』の洗練された管弦楽法は、その父親にもエバーリンにも見られないものである。 非常に緻密に書かれているために、歌詞がなくて楽器だけで演奏されてもおかしくないような部分もある。 さらに彼がすでに、音楽によってある種の情景をつくりだす技量をもっていることにも感心させられる。 たとえば第一のアリア「悲嘆の目で私は見つめる」の苦悩の雰囲気は息を呑ませるものがあり、もはやバロック時代の「感情(アフェクシヨン)」とは無縁のものである。 アリア「哲学者の述懐」における2本のフルートや、おなじくアリア「獅子の怒り声」の管楽器のコンチェルタントな用い方、さらに全体を通して見ると、たとえば台本のなかではあまりぱっとしない登場人物の一人である「世界精神(ヴェルトガイスト)」を、無駄なく、しかも毅然とした扱いをしていることなどにも感心させられるのである。この経験が次の作品『聖墓の音楽』(K.42 / 35a)につながる。[ド・ニ] pp.13-14
この曲の詳細な解説と歌詞(レチタティーヴォとアリアのすべてがそれらの対訳とともに)はCD[PHILIPS PCD-15〜16]の解説書(海老沢氏による)に載っている。 その一部を抜粋すると以下のような内容である。 なお「・・・」は省略部分である。
舞台は「庭園と小さな森に面した心地よい一帯、元気のないキリスト信徒が花々の咲く茂みでまどろんでいる」ところから始まり、序曲(シンフォニア)が演奏される。
▽
正義(レチタティーヴォ): そなたが人間たちの救済のために、ともに苦しみながら、・・・
キリスト信徒の霊(同): わかりました! それなら、私の度重なる懇願を、・・・
慈愛(同): そなたはなにを期待しているのか?
キリスト信徒の霊(同): ああ! あなたのご好意と援助の手のすべてをです。
慈愛(同): して、なにをそんなに悲しんでいるのか?
キリスト信徒の霊(同): ああ、優柔不断な人の子らの、憐れむべき状態、・・・
キリスト信徒の霊(第1曲アリア): 悲しみつつ私は眺めねばならぬ・・・
Aria Christgeist: "Mit Jammer muss ich schauen"
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慈愛(レチタティーヴォ): かくも多くの魂たちの堕落は、・・・
正義(同): 理性が、しかもついには本性が・・・
慈愛(同): それなら彼は唯一の真実な善に、・・・
正義(同): 虚飾、快楽、私利、そしてむなしい名誉の幻想は、・・・
慈愛(同): その偶像が要求するものは、・・・
正義(同): 彼らはその偶像の偽りの輝きに、・・・
慈愛(同): 彼らは自分たちの救済や責務の教えを・・・
正義(同): もし彼らがそのようにして、・・・
慈愛(同): もし彼らが、私の呼びかけ、私の警告を聞こうともせず、・・・
正義(同): その時、正義は彼らを罪から解き放つことはできず、
慈愛(同): その時、慈愛は彼らのために同情することはできぬ。
慈愛(第2曲アリア): 怒り狂った獅子は咆哮し、・・・
Aria Barnherzugkeit: "Ein ergrimmter Löwe brüllet"
▽
慈愛(レチタティーヴォ): そなたはどう思うのか、彼の見すぼらしい死を、・・・
正義(同): 彼を嘆き悲しむかわりに、・・・
キリスト信徒の霊(同): 彼らが全然気づかいせず、まるで無感覚なのは、・・・
慈愛(同): 彼らは、そなたの実例とそなたの言葉とを、・・・
キリスト信徒の霊(同): ああ、せめて、恐ろしい警告を・・・
慈愛(同): そうだ、そなたの願い通りにおこなわれんことを。
正義(同): 正義はそなたにその点賛成しよう。 だが、・・・
キリスト信徒の霊(同): ああ、あなたの有益な恐怖が、・・・
正義(第3曲アリア): 目覚めよ、怠け者の奴隷よ、・・・
Aria Gerechtigkeit: "Erwache, fauler Knecht"
▽
キリスト信徒の霊(レチタティーヴォ): 彼は身動きしています。
慈愛(同): 彼は目覚めるかにみえる。
正義(同): さて、そなたはここに身を隠して見ることができる・・・
<慈愛と正義は雲中に消える>
キリスト信徒の霊(同): 一番よかれと願っていよう。
<身を隠す>
キリスト信徒(同): はて、誰が私を起こしたのか?
世俗の霊(同): 弁明ってなんなのだ? 死って? 地獄って? ・・・
キリスト信徒(同): 友よ! 君がやってきてくれて本当によかった!
キリスト信徒の霊(同): 今、彼は私の敵の言葉を聴いている、・・・
キリスト信徒(同): ああ、私の魂の苦しみの慰めと忠告なのです!
世俗の霊(同): なにが起こったのだ?
キリスト信徒(同): 尋常でない叫びが、私の眠りを妨げ、・・・
世俗の霊(同): よく分った。 これが私たちの二人の敵の・・・
キリスト信徒(同): でもまだ耳の中でこう言葉が響いているのです。 ・・・
世俗の霊(同): 君についてどう考えたらよいか私には分らない。 ・・・
世俗の霊(第4曲アリア): 創造主がこの命を・・・
Aria Weltgeist: "Hat der Schöpfer dieses Leben"
▽
キリスト信徒(レチタティーヴォ): 夢が夢であるのは私もよろこんで認めます。 ・・・
キリスト信徒(第5曲アリア): あの雷のような叱咤の言葉の力が・・・
Aria Christ: "Jener Donnerworte Kraft"
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世俗の霊(レチタティーヴォ): もしそうなら、ああ、けっして疑うな、・・・
キリスト信徒(同): この私を、しかも私の罪でなく、・・・
世俗の霊(同): 彼が君を憎むのはこの私ゆえなのだ。 ・・・
キリスト信徒の霊(同): これ以上、黙っていることができようか?
世俗の霊(同): 彼は気紛れ屋で、自分にも、また他人にも、・・・
キリスト信徒の霊(同): ああ、恥知らずの嘘っ八め!
世俗の霊(第6曲アリア): 哲人をひとり、描いてみたまえ、・・・
Aria Weltgeist: "Schildre einen Philosophen"
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世俗の霊(レチタティーヴォ): 今ここで近くで声が聞こえるが・・・
<キリスト信徒の霊が医者の姿で現れる>
キリスト信徒(同): もし彼が医者なら、・・・
世俗の霊(同): 見なさい、彼は物思いにふけってここを通り過ぎて行く。
キリスト信徒(同): もし、見知らぬ友よ、大事な質問をひとつ、・・・
キリスト信徒の霊(同): その通りです! それが私の仕事です。 ・・・
キリスト信徒(同): 私の望みは、幾年も幾年も経ってから、・・・
キリスト信徒の霊(同): 私は今までこの世に現れた最高の医者と・・・
キリスト信徒(同): ああ、ほかのどんな病気よりもずっと・・・
キリスト信徒の霊(同): 私の方はきっとやってみますが、・・・
世俗の霊(同): わが友よ! 君の薬の話は、もう長すぎていけない。 ・・・
キリスト信徒(同): 行って、朝食を準備して下さい。
世俗の霊(同): ほんとに急いで、しかもこのうえなく熱心に・・・
キリスト信徒の霊(同): 天に感謝いたします。 敵は遠ざかって行く。 ・・・
キリスト信徒(同): どうして、私の胸が、私の眼が、・・・
キリスト信徒の霊(同): 私を信じなさい。 ・・・
キリスト信徒の霊(第7曲アリア): 病の多くは、時おりは、・・・
Aria Christgeist: "Manches Übel will zuweilen"
▽
キリスト信徒(レチタティーヴォ): 彼は私を病人と思っている。 ・・・
キリスト信徒の霊(同): この封をした紙を贈物として受けるのだ。 ・・・
キリスト信徒(同): それを飲むのはきっととても苦しいでしょうね?
キリスト信徒の霊(同): 真剣にそれを飲もうと決心する者には、・・・
キリスト信徒(同): で、その効能は?
キリスト信徒の霊(同): それは体をあたため、元気づける。 ・・・
世俗の霊(同): 友よ! すべて準備がととのって、陽気な連中が・・・
キリスト信徒(同): お許し下さい。 仕合わせになるために、私は・・・
世俗の霊(同): これであんたとの話は終りだ。 ・・・
キリスト信徒の霊(同): ああ! こんな具合に現世のはかない快楽は、・・・
慈愛(同): 今こそそなたは、私たち二人の助けがこの男に・・・
キリスト信徒の霊(同): ああ! 彼だけにです。 でも彼にはもうすこし・・・
正義(同): 人が罰や報いに備えてはいても、至高なる者には、・・・
キリスト信徒の霊(同): 彼が心を改め、そうしてお二人の名声に役立ち、・・・
キリスト信徒の霊・慈愛・正義(第8曲3重唱): あなた方の恩寵の輝きが・・・
Terzetto: "Laßt mir eurer Gnade Schein"
〔演奏〕
CD [PHILIPS PCD-15〜16] t=87'40 南ドイツ放送合唱団、マリナー指揮シュトゥットガルト放送交響楽団、他 1988年、シュトゥットガルト |
CD [UCCP-4061/70] t=87'40 南ドイツ放送合唱団、マリナー指揮シュトゥットガルト放送交響楽団、他 1988年、シュトゥットガルト ※上と同じ。 |
CD [ポリドール FOOL-20360] (1)t=4'41 ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団 演奏年不明 |
CD [カメラータ・トウキョウ 32CM-174] (1)t=3'39 バーダー指揮、草津フェスティヴァル交響楽団 1983年9月、渋川市民会館 |
〔動画〕
Ignaz Anton Weiser1701 - 85 |
ザルツブルクの豪商(織物業)で、また文筆家でもあり、「第一戒律の責務」のテキストを書いた。 このときザルツブルク市参事会員であったが、のちにハフナーのあとを継いで市長(1772〜75年の間)になった。 妻マリア・テレージアとは1764年に死別。 娘のひとりマリア・ドメニカ(Maria Domenica)はプラハでコルンバ(Columba)という名の薬剤師と結婚し、その娘ヨゼファはドゥーシェク夫人として知られている。
Joseph Dominik Nikolaus Meißner1724? - 1795 |
生年ははっきりしない。
1747年にザルツブルク宮廷楽団バス歌手となる。
バスの低音からテノールの高音までの並外れた声域の広さで有名だった。
ザルツブルク宮廷楽長エーベルリンの娘マリア・ツェツィーリア・バルバラ(Maria Cäcilia Barbara Eberlin, 1728~66)と結婚。
1767年3月12日『第一戒律の責務』(K.35)で熱心なキリスト信徒役、1769年5月1日『みてくれの馬鹿娘』(K.51)初演でフラカッソ役。
彼の妹マリア・エリーザベト・ザビーナ(Maria Elisabeth Sabina, 1731~1809)も1759年からザルツブルク宮廷楽団の歌手。
Franz Anton Spitzeder1735 - 96 |
1759年にザルツブルク宮廷楽団のテノール歌手として雇われた。 1760年にマリア・エリーザベト・バイヤーフーバーと結婚、さらに1770年にマリア・アンナ・エンゲルハルトと再婚。 1767年3月12日『第一戒律の責務』(K.35)でキリスト信徒の霊役、1769年5月1日『みてくれの馬鹿娘』(K.51)初演でドン・ポリドーロ役。
Maria Anna Fesemayr1743 - 82 |
ザルツブルク宮廷厩舎係フェーゼマイヤーの娘。 ヴェネツィア留学ののちザルツブルク宮廷歌手となる。 1767年3月12日『第一戒律の責務』(K.35)で世俗の霊役、1769年5月1日『みてくれの馬鹿娘』(K.51)初演でニネッタ役。 1769年6月、26歳のときアードルガッサー(40歳)と結婚。
Maria Anna Braunhofer1748 - 1819 |
オルガン奏者F.J.ブラウンホーファーの娘。
1748年1月15日生、1819年6月20日没。
ヴェネツィア留学(1761~64年)ののちザルツブルク宮廷歌手となる。
1767年3月12日『第一戒律の責務』(K.35)で神の正義役、1769年5月1日『みてくれの馬鹿娘』(K.51)初演でジアチンタ役。
〔参考文献〕
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