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セレナーデ 第7番 ニ長調 「ハフナー」 K.250 (248b)
〔作曲〕 1776年7月 ザルツブルク |
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父レオポルトと親交のあった元ザルツブルク市長ジークムント・ハフナーの娘マリア・エリーザベト(Maria Elisabeth, 1753~1781)がフランツ・クサーヴァー・シュペート(Franz Xaver Anton Späth, 1750~1808)とこの年の7月に結婚することになり、その婚礼前夜(21日)の祝宴のために、行進曲ニ長調 K.249 とともに作曲された。 そのため「ハフナー・セレナーデ」と呼ばれる。 このセレナードと行進曲の自筆譜には父レオポルトによって作曲の目的と時期が明記されている。
ザルツブルク宮廷顧問官のシーデンホーフェンは日記に「7月21日、食後に私は婚礼の演奏を聴きに行った。 これは子息のハフナー氏が妹のリゼルのために作らせたものだ。モーツァルトの作曲で、ロレート教会の庭園で演奏された」と記している。 このとき新婦マリア・エリーザベトは23歳。 彼女は5年後の1781年11月1日に28歳の若さで亡くなる。 余談であるが、彼女の弟ジークムント2世(モーツァルトは彼のために「ハフナー交響曲 K.385」を書いた)も31歳の短命だった。
この長大なセレナードはモーツァルトのザルツブルク時代のセレナードやディヴェルティメント作品の中で特に代表的なものと高く評価されている。
これはもはや、一対のホルンを持つ室内楽曲でもなく、吹奏楽ないし「ハルモニー」でもなく、コンチェルトなものへの傾向を持つオーケストラ楽曲であり、シンフォニー楽曲である。モーツァルトは自分と年齢が近い女性のために「すでに身に着けていたシンフォニックな音楽の作曲技法の粋」を意欲的にこの曲の中に注ぎ込んだのだった。[アインシュタイン] p.289
市長を出したこともあるザルツブルクの名門ハフナー家の令嬢の婚礼という派手やかな機会に、同地の名高い若手の宮廷音楽家が、積極的に筆を執って、こうした意欲作を書き上げたとしても、けっして不思議なことではなかったろう。[海老沢] pp.23-24
第2〜4楽章では独奏ヴァイオリンが活躍し、ヴァイオリン協奏曲のようだ。 第4楽章を後にクライスラーがヴァイオリン・ソロ用に編曲して親しまれている。 その反対に第1、第5〜8楽章を取った5楽章からは交響曲が作られている。
〔演奏〕
CD [GALLERIA F28G-22058] t=58'26 ベーム指揮 Karl Boehm (cond), ベルリン・フィル Berlin Philharmonic Orchestra 1970年5月、1972年5月、ベルリン ※第2・3・4楽章で独奏ヴァイオリンとカデンツァはブランディス Thomas Brandis が演奏。 |
CD [WPCS-21106] t=59'57 コープマン指揮 Ton Koopman (cond), アムステルダム・バロック管弦楽団 The Amsterdam Baroque Orchestra 1988年11月, Doopgezinde Kerk, Haarlem ※第2・3・4楽章で独奏ヴァイオリンとカデンツァは Pavlo Beznosiuk が演奏。 |
CD [CAMPANELIA Musica C 130076] (7) t=3'15 ズュス Anna Süss (hp), シュトル Klaus Stoll (cb) 1999年8月 |
〔動画〕
行進曲 ニ長調 K.249〔作曲〕 1776年7月20日 ザルツブルク |
セレナード第7番「ハフナー」の演奏者の入退場のために前日の7月20日に作曲した。
〔演奏〕
CD [キング KICC 6039〜46] t=3'27 ボスコフスキー指揮 Willi Boskovsky (cond), ウィーン・モーツァルト合奏団 Vienna Mozart Ensemble 1964年4月 |
CD [COCO-78047] t=3'48 グラーフ指揮 Hans Graf (cond), ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団 Salzburg Mozarteum Orchestra 1988年5月 |
CD [DENON COCQ-85184] t=3'44
スウィトナー指揮 Otmar Suitner (cond), ベルリン・シュターツカペレ Staatskapelle Berlin 1988年8月 |
CD [WPCS-21106] t=3'58
コープマン指揮 Ton Koopman (cond), アムステルダム・バロック管弦楽団 The Amsterdam Baroque Orchestra 1988年11月, Doopgezinde Kerk, Haarlem |
〔動画〕
交響曲 ニ長調「ハフナー」 K.250
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1776年のセレナード「ニ長調 ハフナーK.250」を改作したシンフォニーだが、「ハフナー・シンフォニー」という名称では「交響曲第35番ニ長調 K.385」の方が有名である。
原曲にはないティンパニのパートをレオポルトが付け足した。
その上に全体的にモーツァルト自身が修正している。
1780年3月18日、たぶんモーツァルトの家(タンツマイスターハウス)で催された音楽会でこのシンフォニーが演奏された。
自筆譜の大半が保存されている。 このシンフォニーのほうは、セレナードが有名であるにもかかわらず、不思議なことに、いまだにケッヘル番号を貰っておらず、知られていないのも同然の始末である(アンドレによって出版もされている)。なお、5楽章形式のシンフォニーはほかにK.62aがあるだけで、どちらもセレナードから作られている。[ランドン] p.46
〔演奏〕
CD [ポリドール FOOL 20371] t=38'26 ホグウッド指揮AAM 1979 |
CD [DENON COCQ-85184] t=29'32 スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレ 1988 |
CD [SONY SRCR-8623/4] t=33'08 ヴァイル指揮ターフェルムジーク・バロック 1991 |
ヴァイオリン協奏曲 K.250
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セレナード「ハフナー」からヴァイオリン協奏曲風の第2〜4楽章をとって作られた演奏版。
〔演奏〕
CD [koch schwann WWCC 1097] t=22'14 (ト長調) シュナイダー (vn), シュタードルマイアー指揮ミュンヘンCO |
CD [DENON COCQ-85184] t=21'10 (ニ長調) バッツドルフ (vn), スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレ 1988 |
Sigmund Haffner1699 - 1772 |
ザルツブルクで商人として財をなし、1768年から1772年まで市長を努めた。
1733年(34歳)、アンナ・エリーザベト(Anna Elisabeth Kaltenhauser, 1712~1744)と結婚し、8人の子をもうけたが、そのうち2人の娘マリア・アンア(Maria Anna, 1734~1775)とマリア・テレジア(Maria Theresia, 1740~1798)だけが生き延びた。
マリア・テレジアはフランツ・クサヴァー・ヴァイザー(Franz Xaver Andreas Athanasius Weiser, 1739~1817)と結婚。
ヴァイザーはハフナーのあとを継いで市長(1772〜75年の間)になった。
二人の間に生まれた息子イグナーツ・アントン(Ignatz Anton Weiser, 1701~85)はザルツブルク市参事会員を勤め、のちに彼の台本によるオラトリオ『第一戒律の責務』(K.35)の第1部にわずか11歳の少年モーツァルトが曲を書いた。
1745年(46歳)、マリア・エレノーラ(Maria Eleonora Apollonia Metzger)と再婚し、4人の子をもうけた。
〔参考文献〕
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