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ピアノ協奏曲 第19番 ヘ長調「第2載冠式」 K.459
〔作曲〕 1784年12月11日 ウィーン |
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1784年はウィーンに定住したモーツァルトが自分の演奏会活動で忙しく活躍するようになり、そのため大量のピアノ協奏曲を必要とした。 この年の2月から「自作目録」を作り始めているが、この曲はその第11番目に、12月11日の日付で記載されている。 ただし、自筆譜には日付がない。 作曲にはその「自作目録」を作り始めた2月頃から取りかかっていたとも思われている。 1784年2月10日に父へ宛てた手紙には
今のところ、すぐにも、後になってからでなく、お金になるようなものを書かなければなりません。と知らせていて、その「お金になるもの」とは自作自演による最新作の発表演奏会用のピアノ協奏曲(K.449, 450, 451, 453, 456, 459)と推測され、さらに3月20日には[手紙(下)] p.99
これが私の予約者全部のリストです。 私一人で、リヒターとフィッシャーを合せたよりも、30人分も多く予約を取りました。 今月17日の最初の発表会は、うまく行きました。 広間はぎっしり一杯でした。 そして私が弾いた新しい協奏曲は非常に喜ばれ、どこへ行ってもこの発表会を誉めているのが聞かれます。と伝えている。 予約者は全部で174人であり、予約料金として1000フローリンの収入になった。 また、このとき発表された「新しい協奏曲」は「第14番 変ホ長調 K.449」(自作目録第1番)であった。 この「第19番ヘ長調」の初演についてはっきりしないが、「自作目録」に記載された日付からザスローは「待降節のコンサートのために作曲されたものと考えられる」と前置きしながら、次のように言っている。
いずれにしても、1785年2月11日から3月18日までの間にメールグルーベで催した四旬節コンサートの、6回の金曜コンサートのいずれかで演奏されたことはほぼ確実である。[全作品事典] pp.173-174
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「自作目録」には伴奏として、ヴァイオリン2、ヴィオラ2、フルート、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、バスと記入されているが、そのうちトランペットとティンパニのパート譜は現存しない。 第1楽章はヴィオッティ風の行進曲のリズムで始まる。 アインシュタインによれば、
ヴィオッティのコンチェルトの第一楽章の性格において典型的なのは、《理想的な行進曲》である。 彼の29曲のコンチェルトのなかで、この理想的な行進曲のしるしを全然持たないような曲は一つもないであろう。 理想的な行進曲のしるしというのは、確固たる歩調、区切りのはっきりしたリズム、軍隊風の曲相である。という特徴があり、これに感銘を受けたモーツァルトは1784年に書いた一連のピアノ協奏曲の最後の作品であるこの「ヘ長調 K.459」において最大限に表現したという。[アインシュタイン] p.414
第1楽章は行進曲のリズムでつらぬかれており、モーツァルトの他のどれよりも、強くヴィオッティのヴァイオリン・コンチェルトの影響下にある。中間楽章はピアノ、弦、木管がそれぞれ対話し合う情緒豊かなアレグレット。 終楽章の流麗で繰り返し現れる主題はハイドンの交響曲第78番フィナーレのテーマを用いたものと言われる。
(中略)
軍隊的なものはたしかに以前もモーツァルトのコンチェルトに縁遠いわけではなかった。 しかし彼はこのヘ長調コンチェルトの第一楽章におけるほど、それを強調したことはなかった。
(中略)
総譜は失われたが、トランペットとティンパニは、両端楽章に慎重に入れるのがよいであろう。 第1楽章はその《軍隊的な》輝きのために、無条件でそれらを必要としており、フィナーレのユーモアはそれらによって、あちこちでいっそうの効果をあげるだろう。
K.459を作曲していた当時、モーツァルトはハイドンに献呈した6曲の弦楽四重奏曲を完成しつつあるところで、ハイドンの音楽が脳裏にあったに違いない。 この協奏曲のフィナーレの主題は、(アメリカの音楽学者・ピアニスト・指揮者のジョシュア・リフキンが指摘しているように)ハイドンの《交響曲第78番ハ長調》(1782)のフィナーレの中間主題に由来している。[全作品事典] p.174
余談であるが、作曲から2年後の1786年、モーツァルトは「第16番 ニ長調 K.451」と「第23番イ長調 K.488」とともに、この曲の写譜をヴィンターを介してフォン・フュルステンベルク侯爵に送っているが、その際「他人にこれらの曲を渡さないように」と願っている。
1786年9月30日その写譜の総額としてモーツァルトが記した金額は次の通りだった。
御希望の楽譜は、あす、郵便馬車で当地を発つことになります。 この手紙の終わりに、写譜の総額を記しておきます。
(中略)
ぼくが自分のために、あるいは愛好家や音楽通の小さなサークルのために(そとに洩らさないという約束で)手もとに置いている曲が、よそで知られることはありません。 なぜならヴィーンでさえこれらは知られていないのですから。 そういうわけで、今回は特に3つの協奏曲を侯爵殿下に送らせていただきました。 その際、写譜代のほかに、それぞれの協奏曲について、6ドゥカーテンのちょっとした謝礼を添えなくてはなりませんでした。 そして、やはり他人の手にこれらの協奏曲をお渡しにならないよう、殿下にお願いしなくてはなりません。[書簡全集 VI] pp.309-310
クラヴィーア・パートを別として、3つの協奏曲ここで「3つのシンフォニー」とあるのは「ハ長調リンツ K.425」、「変ロ長調 K.319」、「ハ長調 K.338」である。 このとき送った写譜は当時のウィーンの三大写譜工房の一つであったトレーク(Johann Traeg, 1747-1805)のものだったらしい。
全紙109枚(1枚8クロイツァー) 14フローリン32クロイツァー
3つのクラヴィーア・パート
全紙33枚と2分の1(1枚10クロイツァー) 5フローリン35クロイツァー
3つの協奏曲のための謝礼
18ドゥカーテン(1枚4フローリン30クロイツァー) 81フローリン
3つのシンフォニー
全紙116枚と2分の1(1枚8クロイツァー) 15フローリン32クロイツァー
印税と郵税 3フローリン
合計 119フローリン39クロイツァー同書 p.311
1786年夏に、ドナウエッシンゲンのフュルステンベルク侯爵に3曲の交響曲と3曲の協奏曲の筆写譜を売っているが、その際、モーツァルトはコピストに新たに筆写譜をつくらせてそれを売るのではなく、トレークがヴィーンで販売していた当該作品の筆写譜を入手し、それを相場より高い値段で侯爵に転売する、という方法をとったといわれている。[西川] p.204
ヴィンター(Sebastian Winter, 1744-1815)はかつてモーツァルト一家が西方への大旅行をした際に、従僕として道中を共にした人物である。 その後、彼は故郷のドーナウエッシンゲンに帰り、そこでフォン・フュルステンベルク侯爵(Joseph Wenzel Furst von Furstenberg, 1728-83)に仕えていた。 そのような縁があってか、フュルステンベルク侯爵はモーツァルトの作品をいくつか注文している。 そして現在、フュルステンベルク侯宮廷図書館に貴重な資料が残されているという。
第1と第3楽章の自筆カデンツァがあるはずだが、その所在は不明だという。 自筆譜はマルブルク Westdeutsche Bibliothek にあるといわれていたが、ザスローによると、自筆譜に加えて、モーツァルトの筆跡による修正が加えられた筆写スコアがモスクワのグリンカ音楽文化博物館に所蔵されている。
〔演奏〕
CD [COCQ-84576] t=28'52 クラウス (p), モラルト指揮ウィーン交響楽団 1950年 |
CD [PHILIPS PHCP-10171〜77] t=27'56 ハスキル (p), フリッチャイ指揮ベルリン・フィル 1955年、モノラル録音 |
CD [CLASSIC CC-1085] t=28'24 ポリーニ Maurizio Pollini (p), ベーム Karl Böhm 指揮ウィーン・フィル 1976年 |
CD [WPCC-5277] t=29'59 ピリス Maria Joao Pires (p), ジョルダン Armin Jordan 指揮ローザンヌ室内管弦楽団 1976年12月、ラジオ・ローザンヌ |
CD [TELDEC WPCS-10101] t=29'12 エンゲル (p), ハーガー指揮ザルツブルク・モーツァルテウム 1977年 |
CD [TKCC-30210] t=28'19 ショルンスハイム Christine Schornsheim (fp), グレツナー Burkhard Glaetner 指揮ライプツィヒ新バッハ・コレギウム・ムジクム 1989年5月、ライプツィヒ・パウル・ゲルハルト教会 |
CD [TELDEC WPCS 21219] t=28'19 ラビノヴィチ Alexandre Rabinovitch (p) 指揮, パドヴァ管弦楽団 1998年9月、パドヴァ、ジュスティ宮殿 |
〔動画〕
ピアノ協奏曲楽章 ハ長調 K.Anh.59 (459a)〔編成〕 p, fl, 2 ob, 2 fg, 2 hr, 2 vn, va, bs〔作曲〕 1784年12月? ウィーン |
断片 37小節の自筆総譜が残されている。
アインシュタインは「ニ短調 K.466」と関連させ、K.466a としたが、自らその説を改め、「ヘ長調 K.459」の第2楽章のためとして、ここに位置づけた。
現在もこの説が支持されている。
〔参考文献〕
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