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交響曲 第36番 ハ長調 「リンツ」 K.425

  1. Adagio - Allegro spiritoso ハ長調 3/4 ソナタ形式
  2. Poco Adagio ヘ長調 6/8 ソナタ形式
  3. Menuetto ハ長調 3/4 三部形式
  4. Presto ハ長調 4/4 ソナタ形式
〔編成〕 2 ob, 2 fg, 2 hr, 2 tp, timp, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1783年10月終〜11月3日 リンツ
1783年10月


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新妻コンスタンツェを伴ってザルツブルクに帰郷したのち、ウィーンに戻る途中リンツに立ち寄り、モーツァルトは重苦しい気持が一気に晴れたようだった。 リンツに到着すると大歓迎を受け、さっそく待ち構えていたトゥン伯(Franz Joseph Reichsgraf Thun-Hohenstein, 1734~1800)につかまり、父であるヨハン・ヨーゼフ・トゥン伯(Johann Joseph Anton Graf Thun-Hohenstein, 1711~88)のもとに連れていかれ、そこに11月末か12月初め頃まで滞在していたようである。 トゥン伯爵父子はともにフリーメーソンであったことが知られている。 この曲はトゥン伯邸に滞在中、伯爵の企画した音楽会のために作曲されたと思われている。 それは10月31日付けの父への手紙で

(1783年10月31日、リンツ)
11月4日、火曜日、ぼくはここの劇場で演奏会を開きます。 そして、ぼくは1曲もシンフォニーを持参していないので、大至急、新しい曲を書きます。 その日までには完成しなくてはなりません。
[書簡全集 V] p.428
と伝えていのがこの曲だと思われているからである。 すると3日間ほどで(ソロモンによれば「多く見積もっても5日間」で)書き上げたことになる。 楽器編成が大規模であることから、オーケストラのリハーサルを考えると、もっと短い時間で完成させたかもしれない。 モーツァルトがイタリア風シンフォニアから本格的なウィーン風のメヌエット入り4楽章の交響曲のスタイルを初めて確立した曲でもあり、短期間にこれほどの作品を仕上げたのは驚くべきことである。 第1楽章はアダージョの序奏で始まる。 彼のシンフォニーに初めて本格的な序奏がついた。 それをハイドンの影響と見ることができ、アインシュタインは
彼ははじめて第一楽章に荘重な導入部を与えている──ハイドンと同じことをしているわけで、ハイドンはモーツァルトのまえに、すでに12回もやっているし、1780年から1782年までの決定的な時期にはことに重きをおいてやっている。 モーツァルトがハイドンのシンフォニーの展開部を書きつけた一枚の楽譜(K.387d)がある。 その中には、まさしく1782年の、グラーヴェの導入部を持つシンフォニー(75番)の冒頭がある。 しかし、ハイドンはそれまで、モーツァルトのような緩やかな導入部をまだ書いていなかった。 モーツァルトのものは、英雄的に開始され、このうえなく甘い憧れからぶきみな興奮の深みへ導いてゆく、薄明るい継続部を持っている。
[アインシュタイン] p.318
と評している。
ザスローは「急いで作曲されたという様子を微塵も見せない」と驚きつつ、第2楽章について
通常緩徐楽章では使われず、またヘ長調の作品では一度も使用されたことのなかったトランペットとティンパニをこの楽章に投入することによって、モーツァルトは、さもなくば単に優雅なカンティレーナだったかもしれないものを、ほとんど黙示的な強烈さを垣間見せる楽章へと変化させた。
[全作品事典] p.260
と、その隠された魅力に感嘆している。 また、この緩徐楽章での低音の美しい上昇について、オカールは『魔笛』の「武装した男たち」の劇唱(シェーナ)を予告するものだと評している。

その後、ウィーンに戻ったモーツァルトは、翌1784年2月にザルツブルクの父へ「この曲の総譜を送るので、清書したのち送り返してくれれば、それを他人に渡しても、好きに演奏してもいい」と伝えている。 また、モーツァルトは4月1日のウィーン・ブルク劇場コンサートでも演奏したようである。さらに、5月15日の手紙でもこの曲を父に送ったと書かれてある。 ザルツブルクでは、9月17日にバリザーニ邸で催された音楽会で演奏されたことが知られている。 モーツァルトの弟子フンメルによる編曲版も残され、人気のある作品であったことがわかる。

さらにまた、1786年にモーツァルトは3曲の交響曲(第33番変ロ長調 K.319、第34番ハ長調 K.338、第36番ハ長調 K.425)と3曲のピアノ協奏曲(第16番ニ長調 K.451、第19番ヘ長調 K.459、第23番イ長調 K.488)の写譜をヴィンターを介してフォン・フュルステンベルク侯爵に送っているが、このとき送った写譜は当時のウィーンの三大写譜工房の一つであったトレーク(Johann Traeg, 1747-1805)のものだったらしい。

1786年夏に、ドナウエッシンゲンのフュルステンベルク侯爵に3曲の交響曲と3曲の協奏曲の筆写譜を売っているが、その際、モーツァルトはコピストに新たに筆写譜をつくらせてそれを売るのではなく、トレークがヴィーンで販売していた当該作品の筆写譜を入手し、それを相場より高い値段で侯爵に転売する、という方法をとったといわれている。
[西川] p.204
モーツァルトはこの曲(K.425)の扱いについてなぜか「気むずかしく考えていない」(1784年5月15日の手紙)と言っていたせいか、さまざまな海賊版が出回っていた可能性がある。
モーツァルトが侯爵に売った楽譜のうち、『リンツ交響曲』K425の筆写譜(D-KA, Don Mus. S.B.2, Nr.9)は、音符の間違いがきわめて多く、かなり質の悪い楽譜から写されたものと推測される。 すなわち、モーツァルトが入手した筆写譜の出所が本当にトレークだったとするなら、トレークは『リンツ交響曲』に関しては、モーツァルト所有の信頼できる楽譜から筆写譜をつくって販売したのではなく、どこか別ルートから入手した質の悪い楽譜から写しをつくり、それを販売していたと考えられるのである。
同書
この交響曲の自筆譜は残っていないので当時の写譜が貴重な資料となっているが、トレーク版は信頼性の点で劣るようである。 これに対して、ラノワ・コレクションの筆写譜(A-Gk, 40.562, Lanoy 43)ははるかに信頼性の高い資料として重要であるという。
このラノワ・コレクションの筆写譜セットは、トレーク工房で足された楽譜もおそらく含んでいるとはいえ、モーツァルトがウィーンで作成し同地での演奏に使用した、『リンツ交響曲』の唯一の楽譜であるという点で、楽譜校訂に欠かせない資料であるといってよい。 またクリフ・アイゼンはザルツブルクの筆写譜セットとドナウエッシンゲンの筆写譜セットの比較から、『リンツ交響曲』が1784~85年頃に改訂されたという説を唱えているが、この改訂問題に関しても、ラノワ・コレクションの資料は新しい視点を与えてくれるものとなっている。
同書 p.224

〔演奏〕
CD[SONY SRCR 8550] t=25'01
バーンスタイン指揮 Leonard Bernstein (cond), ニューヨーク・フィルハーモニック New York Philharmonic
1961年3月、ニューヨーク、マンハッタン・センター
CD[POLYDOR POCG-9536〜7] t=24'39
ベーム指揮 Karl Boehm (cond), ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 Berlin Philharmonic Orchestra
1966年2月
CD[ANF S.W. LCB-102] t=27'21
ジュリーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団
1982年、ロンドン
CD[NAXOS 15FR-019] t=29'46
パル指揮 Tamas Pal (cond), ブダペスト交響楽団 Budapest Symphony Orchestra
1987年2月、ブダペスト
CD[PHILIPS PHCP-10551] t=27'26
ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ
1989年
CD[PILZ CD-160-176] t=30'53
リッツィオ指揮 Alberto Lizzio (cond), モーツァルト祝祭管弦楽団 Mozrt Festival Orchestra
1991年頃
CD[Membran 203307] t=29'09
Alessandro Arigoni (cond), Orchestra Filarmonica Italiana, Torino
演奏年不明

■編曲版
CD[MDG 301-0495-2] t=28'51
コンソルティウム・クラシクム
1994年
※フルート、オーボエ、2クラリネット、2ホルン、2ファゴットの8重奏曲(パルティータ)、任意にコントラバス
CD[Boston Skyline Records BSD 144] t=32'46
クロル Mark Kroll (fp), パーラー・フィルハーモニック The Parlor Philharmonic
1997年
フンメル編曲版「フォルテピアノ、フルート、ヴァイオリン、チェロのための」

〔動画〕

〔参考文献〕


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2014/03/23
Mozart con grazia