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ピアノ協奏曲 第17番 ト長調 K.453
〔作曲〕 1784年4月12日 ウィーン |
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モーツァルトの金銭出納帳にこの鳥が歌った節が書きこまれているが、ほんの少し音程のちがうところがある。 鳥はよけいなシャープをつけて歌ったが、モーツァルトは寛大に許して「これは美しかった」と譜の下に書き添えた。ここで「鳥が余計なシャープをつけて歌ったが、モーツァルトは寛大に許した」とかはソロモンの個人的な感想にすぎないが、譜例とともに「それはきれいな声だった Das war schön!」という書き込みをしたことは事実であったらしい。 その貴重な金銭出納帳は紛失してしまったが、オットー・ヤーンの『モーツァルト』初版から伝えられているこのエピソードは広く知られている。 小鳥を飼うことが好きだったモーツァルトの素直な気持ちを感じ取ると同時に、ウィーンで自立し、希望に燃え、しかも新婚早々の青年作曲家の微笑ましくも生き生きとした日常生活を垣間見ることができる話である。 なお、このエピソードについては[野口]がたいへん詳しい。[ソロモン] p.500
ウィーンでの忙しい音楽活動のためザルツブルクの父へ手紙を書く暇もないモーツァルトは「あらゆる不愉快なことを避けるために」最近の新曲をすべて送ったが、もちろんこの曲も含まれている。
1784年5月15日、ウィーンからザルツブルクの父へここで4曲の協奏曲とは、変ホ長調 K.449、変ロ長調 K.450、ニ長調 K.451、そしてこのト長調 K.453であるが、同じ手紙には次のような興味深いことを記している。
4曲の協奏曲については「家で、あなたのそばで写譜をしてもらうよう」お願いします。 ザルツブルクの写譜屋は、ヴィーンよりも信用できませんからね。[書簡全集V] p.504
変ホ長調の協奏曲以外は、あなたが使うことはほとんどないとぼくは思いましたし、いまでもそう思っています。 (変ホ長調の曲は、管楽器を除いて、弦4部でも演奏できます。) ほかの3つの協奏曲はすべて伴奏に管楽器をもっています。 そして、そのような音楽をあなたのところで演奏することは、めったにないでしょう。このように変ホ長調の曲は本人の言葉によれば「特殊なジャンルの協奏曲」であり、小編成のオーケストラのために書いたものであるとモーツァルトは言っている。 そして大編成のオーケストラのために書かれたほかの3曲(大協奏曲)について、「お父さんとお姉さんにどれがいちばん気に入るか、ぜひ知りたいものです」また「ぼくの判断と一致しているかどうか知りたい」と伝えている。 これについて返答がなかったようで、モーツァルトはさらに7月21日の手紙でも姉に「3つの大協奏曲をみんな聴き終えたら、あなたがどれを一番好むか、とっても知りたいのです」と催促しているが、ザルツブルクで実際に演奏して聴き比べする機会はまだ実現していなかったようである。 姉ナンネルは8月23日にザンクト・ギルゲンの地方貴族ベルヒトルト・フォン・ゾンネンブルクと結婚したので、この時期は、モーツァルトがウィーンで忙しかったように、ゆっくりピアノに向き合っている余裕はなかったのだろう。
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1784年6月9日、ウィーンからザルツブルクの父へモーツァルト自身が高く評価していたと思われるこれらのピアノ協奏曲の連作中で、このト長調協奏曲は最も美しいと後世の評価も非常に高い。 吉田秀和は
あす、郊外のデーブリングにある宮廷連絡官プロイヤー氏邸で、演奏会が開かれます。 そこでバベッテ嬢が、彼女のために書かれた新しいト長調の協奏曲を演奏します。[書簡全集V] p.512
トーヴェイ(Donald Framcis Tovey, Essay in Musical Analysis の著者)は、この曲を「モーツァルトの全作品の中でも最も豊かで、最もウィットに富んだものの一つ」と呼んでいるけれど、私は全面的に賛成である。 あるいは、これを「モーツァルトのピアノ曲中の最高峰の一つ」と、まるでアインシュタインか何かになったみたいなつもりで呼ぶことだって、私は躊躇しないだろう。と手放しで賞賛している。 アインシュタインは[吉田] p.145
先だつ3曲よりも親しみがある。 独奏部とオーケストラをいっそう密接に混和している。 親しみやすい調性のなかに、秘められた微笑、秘められた悲哀が満ち満ちている。 第一楽章における感情のたえまない虹色の変化、第二楽章の熱烈なこまやかさを言い表すべき言葉もない。 このハ長調楽章が嬰ト長調にまで行ってしまうのは、まさにこの熱情の外的なしるしである。 フィナーレは全く素朴で小鳥のような、パパゲーノ風の主題の変奏曲であって、雄大な多声的終結を持つ。と言い、さらに、[アインシュタイン] pp.411-412
トゥッティのリトルネルロは、なんと短く、集約的で、メロディーの案出の点でほとんどシューベルトの豊富さを持っていることだろう! それはいっそう興奮した、いっそう動揺した深みから現れて来る。 動機の案出と調性の選択は、ただ一つの創造行為に所属しているのである。と絶賛している。 また、メシアンは「変化とコントラストに富んでいる作品の一つであり、中間のアンダンテだけで彼の名を不滅にするに十分だろう。」と言いきっている。 ピアニストでモーツァルト研究家としても知られている久元は「私のもっとも好きな曲のひとつ」と前置きし、
音楽の流れは柔らかく、洗練されているし、とても味わい深い。 これまでの作品に比べて管楽器の活躍が目立っており、第一楽章では力強さは慎重に抑えられ、フルート、オーボエ、ファゴットが競い合い、慈しみ合うように旋律を受け渡していく。 あちこちでいろいろな小鳥がさえずり、さまざまな花々が咲き競っているかのような、多彩で豊かな幸福感にあふれる。と、素晴らしさを讃えている。 各楽章ごとに魅力的な動機の案出と豊かな表現に満ちたこの曲を演奏することは並大抵なことでは不可能なのであろう。[久元] p.116
一つの曲でありながら、この天才のつきることを知らない自由な幻想と変身の象徴のような、実に多面的な音楽になっているので、そのどの面に焦点をあてて、演奏するかを決定するのは、簡単ではないだろう。[吉田] p.145
初版は1787年にシュパイヤー(Speyer)のボスラー(Bossler)から出された。 自筆譜はベルリンDeutsche Staatsbibl.にあったが、現在は不明だという。 チュービンゲン大学図書館に自筆カデンツァが残る。
〔演奏〕
CD[TELDEC WPCS-10102] t=29'57 エンゲル (p), ハーガー指揮ザルツブルク・モーツァルテウム 1974年 |
CD[ANF S.W. LCB-137] t=29'21 バーンスタイン (p) 指揮ロンドン交響楽団 1975年、ザルツブルク |
CD[Golden Master Series CD 16e] t=28'12 ホカンソン (p), レーデル指揮カメラータ・ラバセンシス 年 |
CD[PHILIPS PHCP-5038] t=30'57 内田光子 (p), テイト指揮イギリス室内管弦楽団 1986年7月、ロンドン |
CD[TKCC-30210] t=31'48 ショルンスハイム (fp), クレツナー指揮ライプツィヒ新バッハ・コレギウム・ムジクム 1989年5月 ※古楽器による演奏。フォルテピアノはデュルケン製作(1815)のレプリカ(ノイベルト製) |
CD[CBS 38CD51] t=29'48 ペライア (p) 指揮イギリス室内管弦楽団 1981年頃 |
〔動画〕
〔参考文献〕
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