確か、ピアニストの内田光子がモーツァルトについて語ったとき、「人間がもっとも関心を示すのは人間に対してである」と言ったことがあり、私はその言葉に強い印象を受けたことがある。 ほんとに、モーツァルトは人間に対してしか関心をもたなかったようである。 自然現象に対しては、1770年6月5日のナポリからの手紙で「ヴェスヴィオ火山がひどく煙をはいて、大変です」と、ザルツブルクにいる姉に伝えていることぐらいしかないという有名な話があるほどである。 「どこそこの景色がどのように美しい」とか書き残したことはなく、そのかわりに「だれそれという人物がどうした」ということに関しては実に鋭い観察や批評などをたくさん残している。
そんななかで、飼い犬と小鳥は例外的にモーツァルトの関心のまとになることがあった。 特に鳥は死の年まで飼っていた。 以下、ここでは鳥について、あいうえお順に関連することを並べてみたい。
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1770年頃、ザルツブルクのモーツァルト家ではカナリアを飼っていた。 1770年5月19日、イタリア旅行中のヴォルフガングはナポリから姉ナンネルに手紙を書き、カナリアが鳴いているかどうかをきいている。 そして、姉ナンネルのことを「カナリア姉さん」というニックネームで書いている手紙もある。(1777年9月23日など)
1772年12月18日、ミラノから姉へ次の内容の手紙を書き送っている。
お元気のことと思います。 お姉さん、あなたがこの手紙を受け取る頃、お姉さん、ちょうどその晩、お姉さん、僕のオペラが上演されます。 明日、僕らはフォン・マイヤー氏のところで食事をします。 なぜだか分かる? 当ててごらん。 招かれたからです。 明日舞台稽古があります。 でも、劇場支配人のカスティリオー氏から頼まれています、それを言い触らさないようにと。 さもないと、みんな来て困ったことになります。 だからお嬢さん、お願いだから、誰にもこのことを言わないでね、お嬢さん、さもないと大勢の人たちが駆けつけるからね。 お嬢さん、ところで、ここで起こったこともう知ってる? 話してあげるね、僕らはフィルミアン伯爵邸から家に帰ろうとしました。 家の通りまで来て、玄関の戸を開けたとき何が起こったと思う? 僕らは中に入りました。 ごきげんよう。 僕の肺臓さん、キスを贈るよ、僕の肝臓さん。 僕の胃袋さん、いつも変りないあなたのろくでなしの弟、ヴォルフガング。この手紙には、ハートに火がついて燃えている側に鳥が「さあ、飛んで行って僕の可愛い子ちゃんを探せ。 そこらじゅう、すみずみまで探せ!」と言いながら飛んでいる漫画が書いてあり、その周りに上記の文が輪になっているが、この鳥はカナリアであろう。
なお1787年に、飼っていたむく鳥シュタールが死んだ後、モーツァルトは再びカナリアを飼っていた。 「魔笛」を作曲していた頃の1791年6月7日の手紙にある「小鳥」はそのカナリアであろう。
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ニール・ザスローは次の曲の中にシジュウカラの鳴き声を聞いている。
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O komm und bring' vor allen Uns viele Veilchen mit! Bring' auch viel Nachtigallen Und schöne Kuckucks mit! |
ああ、やってきて、なによりもまず ぼくたちにすみれをたくさんもって来ておくれ! それにまたたくさんの夜鶯と 奇麗なカッコウらもいっしょにもって来ておくれ! 海老沢 敏訳 CD[ERATO WPCC 4279]
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Und Vögel singen fern und nah, Dass alles widerhallt; Bei Arbeit singt die Lerch' uns zu, Die Nachtigall bei süßer Ruh. | 遠くや近くにさえずる鳥も、 みなが呼び合っているのだ。 働いている時にはひばりが、 寝る時にはナイチンゲールが歌ってくれる。 石井 宏訳 CD[Polydor POCA-2066]
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Und alle Vögel schwingen Sich aus dem Schlaf empor. Und schwebend durch die Lüfte Lobsingt die Lerche dir. |
そしてすべての鳥は 眠りから覚め、羽ばたく。 そして空の中にただよいつつ、 ひばりはあなたに讃歌を歌う。 海老沢 敏訳 CD[ERATO WPCC 4279]
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ここに眠るいとしの道化 一羽のむくどり いまだ盛りの歳ながら 味わうは 死のつらい苦しみ |
Oiseaux, si tous les ans Vous changez de climats, Dès que le triste hiver Dépouille nos bocages; Ce n'est pas seulement Pour changer de feuillages, Ni pour éviter nos frimats; |
小鳥よ、お前たちが 来る年も来る年も、さびしい冬が 木立を裸にしてしまうと、 すぐさまほかの土地に飛び立ってゆくのは、 ただ、ちょっとねぐらを変えてみたり、 霜を避けたりする ためばかりではない。 西野茂雄訳 CD[EMI CC30-9018]
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フィナーレは最後期の弦楽五重奏曲の薄くて軽い網を予告しているが、そこには晴々とした飛翔がみられるというには程遠く、落ち着かず、恐れ、怯えている・・・。 この楽曲もやはり鳥を思わせるが、鳥といってもどちらかといえば、出口のないかごの仕切りに痛ましくぶちあたる鳥といったほうがよい。「モーツァルト」白水社(西永良成訳) p.122
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