Mozart con grazia >

フリーメーソン

∴ 起源

11世紀、西ヨーロッパの各地に石工(mason メーソン)たちの職人組合(あるいは同業者組合)が存在していた。 大聖堂を建てるには、石工、大工、ステンドグラス職人などが厳格な規律のもとに一致協力して作業しなければならない。 そこでより良い仕事をするためには、建築学と幾何学の知識を持っているだけでなく、石の加工についての秘密を守り、入念に仕事をする強い意志も求められたであろう。 また、そこで使われる道具は、鏝(こて)、直角定規、コンパスなどである。 それらの扱い方の熟練度により、あるいは実践的な経験の差により階級が生まれたが、まだその団体はいわゆる「秘密結社」と言われるようなものではない。 単なる職人組合ではなく、思想結社となるのは18世紀に入ってからである。

道具としての「直角定規」は「物質と地上」を、「コンパス」は「精神と天上」を、「鏝(こて)」は「結束と友愛」を象徴するものとなる。 メーソンはこれらの象徴的な道具を使って、自らを磨き、対立を和解によって乗り越え、人類という神殿の建設を目指すことになる。

英語の freemason という言葉が初めて登場するのは1376年だという。それは freestone(砂岩や石灰岩のように自由な形に加工しやすい軟石)を扱う石工を意味していた。 そのような軟石はステンドグラスをはめ込む窓や、アーチ形の天井などに使われ、したがって特に熟練した特権的な石工たちの仕事であった。

∴ 発展

イギリスには14世紀から18世紀初めにかけて数多くのフリーメーソンの規則書が残されている。それらによると、石工たちは建築現場近くの集会所(ロッジ)で石工長から仕事の秘密が伝授されていたことが分かる。 さらにそこでは、互いに信義を重んじること、秘密を守ること、仕事熱心であること、仲間を「兄弟」とみなすこと、清廉潔白であること、などが求められていた。 ロッジの仲間として認められるためには、仕事の能力だけが条件であったようであるが、これらの規律を守ることのほか、男性であることなど、以後のフリーメーソンの象徴的規律が形成されていった。

17世紀に、ロッジに石工以外の一般人が入会するようになった。財政的な援助者を名誉会員として受け入れたことによるのかもしれないが、同業者でない者を仲間として受け入れるようになったことから、職人組合から思弁的な思想結社に変貌することになる。 石工たちの道具はますます象徴的な意味を深め、ロッジでの儀式は重要性を増していった。

1717年6月24日、ロンドンの4つのロッジがまとまり「ロンドン・グランド・ロッジ」が誕生し、1723年に「フリーメーソン憲章 The Constitutions of the Free-Masons」が作られた。 その一部を下記参考文献 [2] から抜粋すると

神と宗教について
メーソンはその誓いにより、道徳律に従うことを義務づけられている。 信仰は各人の選択に任せ、すべての人間が同意できる宗教にのみ従わせるのがよい。善良で正直な人間、名誉と公正を重んじる人間であること。 人間同士がいかなる呼称、あるいは宗教のもと区別されていようとも、フリーメーソンは人々の間に真の友情を結ぶ手段となるのである。

1725年頃から、イギリス人の手でフランスの各地にロッジが作られ広まった。1738年にフランス・グランド・ロッジが誕生し、さらに内部分裂して、1773年にフランス大東社 le Grand Orient de France

∴ ヒラム伝説

初期の頃は位階は「従弟」と「職人」の2つしかなかったが、のちにその上に「親方」ができた。 また、フリーメーソンに入会する(つまり「従弟」になる)儀式も初期の頃は「Reception 入会式」という簡単なものだったが、複雑な意味が込められた儀式「参入儀礼 Initiation」となった。 さらに、新規の位階「親方」へ昇級するためには

∴ モーツァルト

モーツアルトは1784年12月14日、ウイーンのロッジの一つ「善行に向かって進む Zur Wohltatigkeit」に入会し、死ぬまでの7年間、熱心な会員となった。 最初の階級は第1位階の「従弟位階」。このロッジは前年2月2日にゲミンゲン男爵によって結成されたもので、彼にはモーツァルトは1777〜78年にマンハイムで世話になっていた。 (1778年からウィーンに移住していた)ゲミンゲンは、さっそくモーツァルトに結社への加入を勧めたものと思われる。

1784年12月24日、フリーメーソンのウィーンにおける最大の支部が集会を開き、モーツァルトが出席したことが知られている。 この頃からモーツァルトの作曲の仕方が変わり、聴衆を対象としたものから自分自身に向けて作るようになった。その大きな変化の原因はフリーメーソンに入会したことと考えられている。

1785年1月7日、モーツァルトは第2位階の「職人」に昇進した。

1月10日、ハイドン・セット第5番「K.464 弦楽四重奏曲 第18番 イ長調」を作曲。シリーズ中で最大規模のこの曲全体を透明で柔らかな雰囲気が貫いている。 さらに14日、ハイドン・セット第6番「K.465 弦楽四重奏曲 第19番 ハ長調」(通称「不協和音」)を作曲。この曲の成立も前年末のフリーメーソン入信との間に連関があるらしい。 15日、ウィーンのモーツァルトの家で、ハイドンを招き、新作の弦楽四重奏曲3曲を演奏した。

2月11日、ハイドンはフリーメーソンの「真の融和」ロッジに入会。モーツァルトがこの先輩に「辛苦の結晶」である6曲の弦楽四重奏曲を捧げたことは、このことと無縁でない。 ただし、ハイドンはこの年の暮れ頃に脱会したらしく、会のための音楽曲は一つも書いていない。

11日から4月25日まで、父レオポルトがウィーンに滞在する。そして、息子の勧めにより、レオポルトは4月4日にフリーメーソンに入会する。

3月26日、父レオポルトがフリーメーソンの第2位階に昇格するのを祝うために、モーツァルトは「K.468(歌曲)結社員の道」を作曲したといわれる。 レオポルトは早くも16日には異例なことに第2階級「職人位階」へ昇級した。

4月20日、フリーメーソンの「テーブルの祭式」という儀式のための「K.471(カンタータ)結社員の喜び」を作曲。 22日、モーツァルトはフリーメーソン第3位階「親方(マイスター)」へ昇進した。 さらに24日、フォン・ボルンの名誉をたたえるためにロッジ「新桂冠希望」で儀式で「結社員の喜び」が演奏された。

∴ 今日

その時代、その国、さらにロッジ毎に儀礼・儀式が異なり、位階数も様々である。たとえば、アングルサクソン系の正規分派で使われている儀礼は3つの位階から成るが、フランス大東社が1786年に定めた儀礼では7つの位階から成る。 現在、世界で一番広く用いられている「古式公認スコットランド儀礼」は33の位階があり、また「修正スコットランド儀礼」では6つの位階がある。

石工たちの道具は象徴的な意味を附加され、その後「錬金術」や「


∴ 参考文献

[1] ジャック・シャイエ 「魔笛、秘教オペラ」 (高橋英郎&藤井康生訳) 白水社

[2] リュック・ヌフォンテーヌ 「フリーメーソン」 (村上伸子訳、吉村正和監修)創元社

[3] ロジェ・コット 「モーツァルトのフリーメイスン作品」 (笠原 潔訳)青土社「ユリイカ」1978年12月臨時増刊 pp.132-152

[4] エーリッヒ・ノイマン 「魔笛について」 (松代洋一訳)青土社「音楽の手帳、モーツァルト」1979年 pp.264-293
 


Home K.1- K.100- K.200- K.300- K.400- K.500- K.600- App.K Catalog

 
2002/08/15
Mozart con grazia