Mozart con grazia
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「新全集」はグラス・ハーモニカと自動オルガンのための曲も含めて1つの区分を構成しているが、ここではピアノ(クラヴィーア)だけの小品を紹介する。
ただし、だからと言って以下の曲をピアノ以外の楽器で演奏しないとは限らないことは言うまでもない。
また、ここでは他の楽器との重奏曲もリストに含めてもいる。
要するに「ピアノのための・・・」という小品を集めて、探しやすくしているだけのことであり、音楽の素人には有りがちなこととお許し願いたい。
K.2 |
ピアノのためのメヌエット ヘ長調 1762 |
K.3 |
ピアノのためのアレグロ 変ロ長調 1762 |
K.4 |
ピアノのためのメヌエット ヘ長調 1762 |
K.5 |
ピアノのためのメヌエット ヘ長調 1762 |
K6.5a |
ピアノのためのアレグロ ハ長調 1763 / 64 |
K6.5b |
ピアノのためのアンダンテ 変ロ長調 (断片) 1763? |
K.386 |
ピアノと管弦楽のためのロンド イ長調 1782 |
K.533 |
ピアノ・ソナタ 第18番 ヘ長調 1788 |
K.540 |
ピアノのためのアダージョ ロ短調 1788 |
K.574 |
ピアノのための小ジーグ「アイネ・クライネ・ジーグ」 1789 |
姉ナンネルの楽譜帳には最初期の小品(K6.1a~1f、K6.5a、K.6)が書き込まれてあったが、ナンネルがのちに切り取って贈り物にした。
そのうちこの一曲だけが残ったという。
44小節にわたりモーツァルトの手で書かれている。
草稿には標題も速度記号もないが、アレグロと解釈されている。
ケッヘル番号は第2版で K2.9a とされていた。
なお、ピアノソナタ K.545 との類似性があるとも言われる。
〔演奏〕
〔動画〕
K6.15vとの類似性から新全集では1764年頃の作としている。
ケッヘル第2版は K2.9b 。
〔演奏〕
〔動画〕
父レオポルトが1768年に息子の作品をまとめ、「この12歳の少年が7歳の時から作曲し、かつ原物を示すことのできる全作品の目録」として作製した初期のモーツァルト作品目録に「クラヴィーアのためのフーガ」と記載されているが、消失。
ウィーンへ旅立つ11月頃に作曲したものか。
新全集では作曲技法上のいくつかの間違いを指摘しているが、モーツァルトの意図は不明。
〔演奏〕
〔動画〕
自筆の草稿から、1776年〜77年、ザルツブルクでの作と見られている。
ナンネルのための即興演奏またはある未完成の大作を書き直したものと思われる。
主題らしいものはなく、ヘ長調からホ短調へいくつかのパッセージをつないで転調する。
〔演奏〕
〔動画〕
マンハイム滞在中の1777年11月29日、モーツァルトがザルツブルクの父に宛てた手紙で選挙侯カール・テオドール侯令嬢のために1曲のロンドーを書いたことを伝えている。
そして12月3日の手紙には、モーツァルトが選挙侯の御前で演奏したことを知らせている。
1777年12月3日、マンハイムからザルツブルクの父へ
御養育係がお嬢様をちょうどクラヴィーアの前に腰かけさせ、ぼくがその傍らに坐って、レッスンをしていました。
と、そこへ、選挙侯が入って来られて、ぼくらに気づかれました。
ぼくらは立ち上がりましたが、侯はそのまま続けるように言われました。
彼女が弾き終えたとき、御養育係が口を切り、ぼくがとても美しいロンドーを書いたことを申し上げました。
ぼくが演奏すると、侯は非常によろこばれました。
[書簡全集 III] pp.312-313
それがこの曲であるが、ただし楽譜は残されていないので、その後この美しい曲は誰も耳にしていない。
消失したのか、それともピアノソナタの1つに取り入れられたのか。
- Andantino sostenuto e cantabile 変ロ長調
〔作曲〕 1782年?
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断片 33小節。
ニッセン、ヤーン、ケッヘルが「ト短調」と記した断片らしい。
しかしそれに該当するものがないため、この変ロ長調がそれであろうと推測された。
第6版では1781年作としたが、タイソンは1782-83年作と推定。
ロビンズ・ランドンはピアノと管弦楽のためのロンド K.386 のチェロ演奏用と見ている。
〔演奏〕
〔動画〕
3声のフーガ。
第6版から K6.626b/14 と同一のものとした。
ハ短調ミサ曲 K.427 のための6曲のスケッチと断片として集められた曲集(K6.417B)の第6曲の自筆譜裏にこのフーガが書かれているという。
- Allegro ヘ長調 6/8 (断片 16小節)
〔作曲〕 1782年4月 ウィーン
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3声フーガ。
新全集は1782年の春に書かれたとしているが、タイソンによる推定は1787-89年。
オルガンまたはピアノ変奏曲の主題として残る断片 K.Anh.38 (K6.383c) に添えて書かれてあった。
4声フーガの一部か。
新全集は1785年以降(80年代後半)としているが、タイソン推定は1783年。
1802年にモーツァルトがめったに使わない変イ長調の曲として出版されたが、長い間、偽作(K.Anh.C27.04)とされていた。
その後モーツァルト研究家プラートにより五重奏曲 K.452a を書き換えたもので、この時期には作られていたと判ったという。
1972年カール・マルゲールは、様式的に不調和な多くの部分を削除し、変ロ長調に移調したピアノのための曲とした。
〔演奏〕
〔動画〕
オルガンのためのものかもしれない。
タイソンは1786~91年と推定。
〔演奏〕
〔動画〕
成立時期について新全集は1785か86年以降、タイソンは1786~91年としている。
〔演奏〕
〔動画〕
〔参考文献〕
- [事典]
海老沢敏・吉田泰輔監修 「モーツァルト事典」 東京書籍
- [書簡全集]
海老沢敏・高橋英郎編訳 「モーツァルト書簡全集」 白水社
- [全作品事典]
ニール・ザスロー編 「モーツァルト全作品事典」 森 泰彦監訳、音楽之友社 2006
2017/12/17